第八話「ミステリアスと未知の古文書と」
「…俺…生きてる…」
「朝からほんとに何言ってんの哉兎」
統弥がそう思うのも無理はない。実際、今朝統弥がベッドから起き上がったところを、見下ろすように哉兎は突っ立っていたのだ。「うわああああああああ!?」という絶叫と共に統弥は起床し、心臓に悪すぎるモーニングコールに早朝から小声でキレ散らかした。
そして、件の哉兎。
あれから終始智尋の後ろでびくびくしていたのだが。本部に戻って、なんと説教なしでそのまま宿舎に帰されたのである。ただ、「戻りな」の一言。それが一番怖い。
「智尋さん…怒ってるかな…」
「哉兎?」
洗面台で鏡を前にぼーっとする哉兎を、統弥が見る。その表情には昨日のような切迫感はなかったが、確かに哉兎を心配していた、心の底から。
「憲兵にはこれ以上踏み込まない方が良いって言ってた」
「誰が?」
「智尋さんが」
「なんかあんのかな」
「ほらまた」
あ、と苦い声をあげる哉兎。呆れつつも統弥の目には怒りが滲んでいるわけではなかった。
顔を洗って着替えて、そうしたら2人の朝のメインイベント。理人を起こすことだ。寝室に向かうとやはり2人の淡い期待を裏切って布団で芋虫になっていた。哉兎が布団を剥がし、統弥が肩を叩く。
「理人!!起きろ!」
「…うるさ…」
「理人起きて。30分後に朝礼」
ごろん、と寝返り。どうやら反抗する気らしい。
「そんなことすんなら勝手に全裸にして着替えさせるぞー…って、何だこれ」
哉兎が理人のベッド下(散らかりまくっている)を漁っていると、一冊の本が出てきた。随分と埃を被っており、もろに匂いを嗅いだ哉兎はげほげほと咳き込む。手で表面の埃を払った。
重苦しそうな書物だな、と最初哉兎は思った。埃を払ってもなお表面は黄ばんでかなり古いものだと分かる。表紙すら使わないのが惜しいとばかりにびっしりと絵が描かれ文字が書かれていた。目に入った植物らしきものの絵を見て、哉兎が無意識に記憶を辿る。この植物、島のどれにも…
「あっ、」
「…人のもん勝手に漁んなっての」
理人が哉兎の手中にあった本を奪い、ベッド縁に座って哉兎を見下ろしている。眉間に皺が刻まれていた。はぁ、とため息を吐きつつ洗面台に向かう。どちらかといえばばつが悪そうだった。
「なぁなぁ理人、あの本結局何だったんだよ?」
食堂にて。哉兎は空気を読むという考えが良くも悪くも根本的に欠如しているのだ、机から身を乗り出して理人に迫っている。その姿は好奇心以外の何者でもなかった。
「いや別に」
「別にって感じじゃなかっただろ!」
「………」
黙りこくった理人の顔を無遠慮に覗き込んでしまう哉兎。踏み込まない方がいいこともあるのだと教えるべきだが、それを口にできるほどの者もここにはいない。依然、この好奇心の塊に嘘でも答えを投げ返さなければ、詮索されるのは時間の問題だ。
「…夏休みの宿題みたいなもんだよ」
「はい?」
斜め上の返しに、傍観していた統弥が声をあげた。その隣で硬い干しパンを齧っていた恋花も驚いたように理人を見る。
「夏休みの宿題??」
反芻してよりわけが分からなさそうな哉兎だったが、「そうか!宿題みたいなもんか!」とあっさり引き下がった。恋花が「理人くん大丈夫?」と理人を心配したが、当の本人はすんっとした顔でコップの水を煽っていた。右手首には、昨日外していた腕輪がまたはまっている。
「えー、全員注目!」
今日は、一嵜と智尋を始めとした教育官が中下流の下町で起きた暴動を止めに行っていてほとんど居ない。そのため隊員同士での手合わせ訓練だ。一世代前の先輩隊員に先導され、本部の外れにある闘技場のようなところへ向かう。
「じゃあこれから、男女で分かれて一対一で手合わせしてもらう。簡単な締め技や受け流しはここで教えるから、あとは怪我人を出さない程度にしてくれ」
殴ってどうやって怪我人が出ないようにするんだ?哉兎の頭にまた?が浮かんだ。
先輩の説明を聞き、金具が多いのは危険だということで隊服の上着を脱いで、適当に割り振られたペアで向かい合って並ぶ。哉兎の前に構えたのは面識のない新兵だった。
人を殴る経験がない哉兎はしどろもどろだったが、相手が「やーっ」と向かってきたので前に踏み出した。新兵の腕を掴んで、港にやってきた盗賊を投げる要領で投げ飛ばした。一応敷かれた暖衝材の上に新兵がぼふんと受け止められる。
「…す、すごいな。哉兎」
同じく他の新兵を倒した統弥が目を見開いていた。その頬やシャツには攻防の跡があり、手こずったのだろうと分かる。頬の擦り傷を拳で撫でた統弥は少しだけ顔を歪め、そして哉兎に笑って見せた。
「なあ統弥これ終わったらどうすんだ?」
「他の人の見て学べってさ」
「へー」
周りを見渡す。まだ三分の二ほどの新兵が取っ組み合いを続けていた。先輩はそれを観察して、訓練の終わった新兵に時折質問され、それに答えている。
「お、おい…あいつなんだ…!?」
統弥と哉兎の近くにいた新兵が、青ざめながら声を絞り出した。視線の先を二人で追う。すると、見慣れた影が佇んでいた。
「あれ…理人じゃね?」
理人は闘技場の中心で、向かってくる新兵をちょうど投げ飛ばしたところだった。しかしその距離が尋常ではない。くっついていたはずの理人の身体から数メートル吹っ飛んで、闘技場の壁にぐへっと蛙の潰れた声を出して倒れ込んでいた。
「…何だよ。お前ら。ボコボコにしてやるって言ったのどこのどいつだよ」
理人は構えの体制のまま、何やってんだと言いたげに首を傾けた。それに見事に煽られ、おそらく「こんなヒョロイやつ、一瞬でぶちのめしてやるよ」だの「再起不能にしてやるよ」だの理人に口走った新兵がにじり寄る。全員体格が大きく、鍛えられた腕には湯気が出そうなほど力が入っていた。
「っは、見かけの割にやるじゃ…がはぁっ…!?」
拳が無慈悲に新兵の腹に入った。うずくまる。回り込む形になった理人は足を振り上げ、思い切りその体躯を蹴っ飛ばした。さっきまでなんとか威勢を張っていた他の新兵も後ずさる。理人はといえば落ち着きはらっているものの少し左手を捻って、手首を摩りながら倒れる新兵を見て舌打ちしていた。
「っいて…」
「理人ーーーー!!!!」
「はぁっ…ちょ」
あの理人が焦っている。なぜなら哉兎に思い切り抱きつかれているからだ。じたばた腕を振るが無意味である。哉兎の密着具合を前にして悪あがきに等しかった。
「離れろよ…」
「すっげー強いんじゃんお前!なんで今まで何も言わなかったんだよ!?」
…それは。と吃る。
「言う必要なかったと思ったから」
哉兎はきょとんとして、底抜けに明るい笑顔で笑った。
「そっか。じゃあこれからはどうでも良いことでも話せよ!な!」
「お前話聞いてた??」
「え?」
統弥が丁寧に「あのね、理人はね…」と説明し、ようやく文脈を呑んだようだった。
「そっか…でもこれでもう秘密なしな!」
「秘密って。お前ほんと」
お人よしだな、という言葉は飲み込んだ。奇遇なことに、統弥も理人と同じ言葉を頭に思い浮かべて、そして喉の奥に消し去っていたのだ。
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一方。天龗島。中下流の下町。
「オレたちは警察じゃないんだぞ」
「まあまあ一嵜。憲兵の方々は皇宮の警備にさぞ忙しいお偉いさん方だから」
饒舌さの裏に隠しきれない量の皮肉を真顔で受け流して、一嵜は暴動を起こした盗賊を警備隊に引き渡した後路地を智尋と歩いていた。
「こっからどーする?どっかで夕飯食べてこっか」
「…なぁ。智尋」
「なに?」
一嵜が真っ直ぐ智尋を見る。何か隠してないだろうな、と真摯に問いかけていた。
「あー…桂木くんのこと?」
「それ以外に何があるんだよ」
智尋の目が空を仰いで、紫がかった雲の隙間を覗いた。
「じきに向こうから来るから心配要らないって」
「多分哉兎にも同じようなこと言ったんだろうなお前」
「一嵜には全部バレるねー、さっすが俺の相棒♪」
「離れろ。つーかお前が俺って言うの久々に聞いたわ」
11日ぶりの投稿です。お久しぶりです。
長らくお待たせしましたがこれにて桂木哉兎入隊編完結となります。
次章、「憲兵編」をお楽しみに。




