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第9話 誓って、手は出しませんから

 薄らと夜が開けていく。


 山あいの空気はひんやりしている。

 五月の中頃という季節が幸いして、凍えるほどでも、蒸し暑くて眠れないほどでもなかった。


 昨晩は──異世界での野宿で散々使った、感知式と迎撃式の結界をパーキングエリアの外周に二重で展開しておいた。

 ゾンビ程度なら迎撃式に触れた瞬間、跡形もなく蒸発するし、万が一それ以上の脅威がいたとしても感知式が確実に察知する。


 この程度なら、消費魔力は微々たるものだ。消耗の心配もない。

 これだけ備えれば、安心してぐっすり眠れる。


 ……眠れる

 はずだった。


(──む、無理だろ! こんなの!)


 身動きすら出来ず、音を立てないように目線だけ横へ向ける。


 ミニバンの車内。広く作られているとはいえ、基本は“車”。

 その後部座席を倒して作った寝床で、ほぼ見ず知らずの女子高生が──手を伸ばせば触れられる距離で、静かな寝息を立てているのだ。


(マ、マジで一睡もできなかった……!)


 ……昨日の出来事が脳裏によみがえる。



 ◆ ◆ ◆



 茜が話を終えた頃には、山に夕闇が落ち始めていた。


「今から下山するのは無茶だな。視界が悪いし、ゾンビに囲まれたら逃げ場がない」


「……ですよね」


 頼れる街灯などあるはずもない山道。

 茜もそれを理解しているらしく、小さく息を吐く。


 このパーキングは見晴らしも良く、ここで夜を越すのが最善と判断した。


 駐車場には数台の車が静かに置かれたままになっている。

 どれも持ち主の姿は見えない。

 避難する際に置いていったのか、もしくは……考えないでおこう。


「とりあえず、寝床を探そう。車の中なら夜風を避けられる」


 俺の提案に、茜はこくんと頷いた。

 その頬は土埃で汚れ、疲労の色が濃い。


 残された車のドアにそっと手をかけ、一台ずつ確認していく。

 鍵がかかっている車もあれば、助手席の窓が割れて雨ざらしになっている車もある。


 ドアを引いても反応がない車が続き、茜は不安そうに指先をそわそわさせ始める。


「開いてる車……ありますかね」


「運次第だな。あのミニバンとか開いてたら助かるけど──」


 言いながらドアを引くと。


 ガチャ。


 拍子抜けするほど軽い音がした。


「……開いた」


「えっ、ほんとですか!?」


 茜が駆け寄ってきて、車内を覗き込む。

 中は散らかってはいるが、ほぼ新車のようだ。

 家族連れが使っていたのか、後部座席には子ども向けの座布団と、畳まれたブランケットが残っていた。


「これは、使えそうだな……」


「はい!」


「一応他も見てくる。せめてもう一台くらい選択肢がほしい」


 次に向かったコンパクトカーも、幸い鍵が空いていた。

 ただ、こちらは荷室が狭く、前席と後席を倒しても身体を伸ばすのは難しそうだ。


「うーん……まぁ、寝れないことはないな。君はミニバンの方を使ってくれ」


 茜は頷いたが、なぜか表情が固い。


「どうした?」


「……あの。言いにくいんですけど」


「ん?」


「一人だと、怖くて……」


 茜は唇を噛んで俯いた。

 視線は足元に落ち、握りしめた拳が小刻みに震えている。


 無防備で弱々しい声。


「ごめんなさい……子どもっぽいですよね。わかってるんですけど」


 彼女は煮え切らない顔で口をつぐむ。そして決心したように


「い、一緒に居て貰ってもいいですか!?」


「い、一緒にって、同じ車で?」


「はい! その、私、寝相は良い方なんで!」


(い、いや、寝相の話じゃなくて! JKと一緒に、車内で!?)


 どう考えてもまずいだろう!


 ……けれど、茜は俯いたまま、黙って俺の返事を待っている。


(……これは、不可抗力だよな)


「わ、わかった。その方が良いなら」


 コクコクと頷く茜と一緒に、車内に入り、後部座席を倒して寝床を作る。

 荷室は意外と広く、工夫すれば十分に休めるスペースになる。


「これ、使って」


 俺が持っていた服を枕代わりに置くと、茜が遠慮がちに頭を乗せた。

 車に置かれていた大きめのブランケットを茜にかけてやると、彼女はそれを持ち上げて、半分を俺の方へ差し出す。


「春日さんにも……夜は寒いですし」


「えっ、いや、俺は大丈夫だよ」


「……一人で使うの、なんか落ち着かなくて」


 それは、俺を心配してなのか。

 それとも──ほんの少し、寂しさを紛らわせたかったのかもしれない。


 結局、俺と茜は一枚のブランケットを自然と共有するような体勢になった。

 非常事態中の非常事態とはいえ……俺みたいな、ほぼ初対面の男に対して。

 本当に、優しい子だ。


「その……ごめんなさい。キャンプでお風呂とか全然入れてなくて。私、臭いかも……」


 おずおずと茜が言ったが、実際には毎日、湯を沸かして身体を拭いていたらしく、まったく不快な匂いなんてない。


「いや、全然大丈夫! むしろ俺の方こそ、おっさん臭かったらごめん!」


「え? 春日さん全然おじさんじゃないですよ。まだ二十代でしょ?」


「ギリギリな。二十九」


「ほら、若いじゃないですか」


 安心したように笑う茜。

 こうして見ると、ほんと可愛いんだよな……って、いかんいかん!


(お兄さん、……っても、俺より若い大学生なんだよな……すみません、本当にすみません。誓って、手は出しませんから!!)


 心の中で謎の謝罪をしつつ葛藤していると、茜が小さく囁いた。


「……おやすみなさい」


「あ、あぁ。おやすみ」


 なぜか少しカッコつけた言い方になってしまい、自己嫌悪で胸が苦しくなった。

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