第8話 口元を真っ赤に染めて、顔を上げた
茜は唇を噛みしめながら、震える声で語り続けた。
「……それから数日は、みんなで、どうにか生活のリズムを作っていったんです」
◆ ◆ ◆
キャンプの朝は早い。
太陽が昇れば、誰かが火を起こし、誰かが食べられそうなものを探しに行く。
昼は近くの山に入り、野草や木の実を探す。
釣り道具を持っている人たちは、朝から夕方まで釣り場に通ってくれる。
夜になれば、男性たちが交代で見張りに立つ。
ランタンの灯りが淡く揺れる中、子どもたちを不安にさせまいと、皆が必死に明るく振る舞った。
けれど——。
助けは来なかった。
連絡もつかない。
山を下りて行った人たちも……誰ひとりとして戻ってこない。
食料も徐々に減り、周辺の山で取れるものも尽きていく。
もちろん、釣りに行っても何も釣れない日も出てきた。
……
その夜、テントの中で、茜は兄に問いかけた。
「……お兄ちゃん。このまま、待ってて……いいのかな」
兄は少しだけ目を伏せ、考え込むように息を吸う。
「……あぁ。たぶん、もう……限界が近いかもしれないな。──明日、皆に相談してみよう。山を降りるなら……まだ体力が残ってる今のうちだ」
「……うん」
返事をしたものの、茜の胸は重かった。
寝袋の中で目を閉じても、悪い想像ばかりが浮かんできて眠れない。
けれど……身体は限界だったらしい。
気づけば茜は、意識を手放すように眠っていた。
◇ ◇ ◇
——どれくらい眠ったのだろう。
暗闇の中で男たちの怒鳴り声がして、茜はハッと目を覚ました。
『おい、あんた! 大丈夫か!』
『どうやってここまで来た!!』
隣で兄も身を起こす。
外は真っ暗で、キャンプ中央に置かれた充電式ランタンの明かりだけが、ぼんやりと辺りを照らしている。
『──おい、ちょっと待てって!』
『なっ、離せ!!』
急に騒がしくなった声に、茜はテントのファスナーを手探りで開く。
他のテントからも次々と人が顔を出した。
皆、眠気より恐怖が勝った顔をしている。
『痛っ!! いてぇって、マジ……ギャァァァ!!』
その悲鳴に、何人かが入口の方へ駆け寄っていく。
遠目にも、明らかに様子がおかしい。
見張りの男性の上に、ここにはいなかったはずの男が覆いかぶさり、何かをしている。
「──ちょっと! 何やってんの!!」
襲われた男性の奥さんが駆け寄り、必死に男を突き飛ばす。
だが——
「っ……」
突き飛ばされた拍子に見えた、見張りの男性の首元は……真っ赤に染まっていた。
奥さんの悲鳴が、夜の森に響く。
「キャァァァァァ!! お、お父さん! お父さん!!」
奥さんが揺さぶっても、男性はビクンビクンと痙攣し、口から血の塊を溢れさせるだけ。
他のキャンパーが応急処置セットを取りに走るが、慌てて転んでしまう。
そのとき——
突き飛ばされた男が……ゆらり、と立ち上がった。
「──皆さん! 離れて!!」
兄が声を張り上げる。
けれど、パニックになっている人達は、その声に気付かない。
噛まれた男性の周りに次々と人が集まってくる。
そこへ──口元を血に染めた“男”が飛びかかった。
「オオアオァァア゛!!」
今度は奥さんの首筋に向かって一直線に食らいつく。
夜の静寂を断ち切る悲鳴が森に響いた。
「やっ……いやああああぁぁ!!」
奥さんが暴れ、もがき、足が地面を掻く。
誰もがその場に凍りついたように動けない。
次の瞬間——奥さんの脚がビクンと跳ねた。
男……いや、“ゾンビ”は喉元の肉を貪り、口元を真っ赤に染めて、顔を上げた。
茜の息が止まる。
その場の誰もが悟った。
“殺される”──。
……
老夫婦の旦那さんが、茜の肩を掴んで叫んだ。
「逃げるんだ!!」
その声ではっと我に返る。
隣を見ると、兄も同じように目を見開いていた。
咄嗟に手元のリュックを掴む。
兄と視線を合わせ、大きく頷き合った。
老夫婦も震える手で慌てて靴紐を結んでいる。
けれど——。
茜の視界の奥。
ご婦人のすぐ隣に、いつの間にか“誰か”が立っていた。
ボロボロの服。裸足。
土気色の皮膚に、焦点のない黒目。
その顔は……生きている人間のものではない。
「──っ逃げ——」
声が出るより先に、
その“女”がご婦人に飛びかかった。
「いやあぁあ!!」
「夏子ぉ!!」
旦那さんが杖で思い切り殴りつけるが、女は離れない。
むしろ一層むしゃぶりつくようにご婦人にのしかかる。
助けに飛び出そうとした茜の肩を、兄が全力で掴む。
「助けなきゃ!!」
「無茶言うな!! 茜、逃げるぞ!」
その瞬間、別の方向からも悲鳴が。
足音。
呻き声。
林の奥から——“ゾンビ”が何体も現れ始めた。
皆、服は破れ、足取りはふらついている。
開いた口からは涎を垂らし、呻き声を漏らす。
「──っ、お父さん!!?」
子連れの母親が叫ぶ。
その目の前には……下山したはずの“旦那さん”の姿があった。
優しそうだった顔は──見る影もなく。口元は真っ赤な血に染まっている。
「いやぁぁあああ!!」
「走れぇぇ!!」
兄が叫んだ。
その声に、茜は兄の腕を掴み、藪の中へ飛び込む。
直後、背後でテントが派手に倒れる音がした。
誰かが茜たちのテントに突っ込んだのだ。
もしあと五秒遅れていたら——自分たちも。
枝に腕を切られようが、足がもつれようが構っていられなかった。
ただ必死に、必死に走った。
でも——
◆ ◆ ◆
「……真っ暗な林の中で、お兄ちゃんとも逸れちゃって……っ」
茜の声が震える。
「一晩中……朝になってからも、林を逃げ回って……。やっと道が見えたと思ったら……また襲われて……」
そこまで言ったところで、堪えていたものが決壊したのだろう。
茜は顔をくしゃくしゃにして、俺の目の前でぼろぼろと涙を溢れさせた。
しゃくりあげながら、声にならない声で何度も何度も息を吸う。
その様子は、まるで迷子になって親を探す子どものようで。
正直、こういう時どうすればいいのか分からない。
(……マジかよ。目の前で女子高生が泣いてる。これ、ドラマとかなら、イケメン主人公が黙って抱きしめる流れだろうが……)
だが、残念ながら俺はイケメンではない。
よくて中の上……いや、中の中かもしれない。
迷った挙句——
そっと茜の肩に手を置き、大きく頷く事しかできなかった。
「……大変だったな」
その一言が、限界寸前の彼女の心に届いたのか。
茜はさらに顔をぐちゃぐちゃにして、俺の服の袖を握ってきた。
(まいったな……こりゃ)
──ちなみに、話を聞いてる間にこっちへ近づいていたゾンビ三体は、土魔法で音もなく地中に沈めておいた。
(……この雰囲気の中来られても、困るしな)
情け無いが、泣いてる女子高生はどうにも出来なくとも、異世界帰りの俺にとって、ゾンビの数体は訳の無い事なのだ。
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