第二話 「羽……?」
この日からイザベルには新しい日課ができた。寝る前にこっそりとベラの小屋へ行き、卵に子守唄を歌ってあげるのだ。
自分が母のお腹にいた頃、毎日歌ってもらっていたと聞いたことがあり、それを思い出しての行動だ。
『愛おしい愛おしい我が子よ。安心してお眠りよ』
そして歌い終わるとおやすみのキスをして自分の部屋へと戻る。来る日も来る日もイザベルは毎日欠かさずこの日課を続けていた。
卵を持ち帰ってから十日ほど経っただろうか。寝る支度を終えたイザベルは今日もこっそりと犬小屋へ向い、子守唄を歌って、キスをする。
今日も何の反応も示さない卵。少し残念に思いながら、隣に寝そべっているベラにもおやすみのキスをした。眠そうな顔で欠伸を返すベラ。自分も寝ようと思い、立ち上がったときだった。
ゴロ
「あ! いまうごいた?」
今まで微動だにしなかった卵が揺れている。
「うごいてる!!」
揺れだした卵にピキピキと亀裂が入っていく。
「わぁ!!」
卵がついに割れたのだ。
「きゅ」
卵の中から姿を現したのは、トカゲのような白い生き物。割れた殻から頭だけを覗かせ、くりくりとした目でイザベルを見つめている。
きゅっと鳴き声をあげる姿にイザベルは夢中になった。
「なにこの子! かわいいー!」
ゆっくりと手を伸ばしてみるが、警戒心も恐怖心も見せない不思議な白い生き物。恐る恐る頭に触れてみると、嬉しそうに頭を擦り寄せてきた。
イザベルも嬉しくなり、それに応えるように頭を優しく撫でてあげる。
この様子を隣で見ていたベラも興味津々だ。卵が割れだしたときは驚いて距離を置いていたが、今は白い生き物に近寄り、くんくんと匂いを嗅いでいる。殻の中にいるのを不憫に思ったのか、首あたりを軽く咥え、藁の上におろしてあげた。
ちょこんと藁の上に乗せられ、こちらを見上げている白い生き物を見て、イザベルは目をしばたたかせた。
「羽……?」
トカゲの仲間か何かかと思っていたが、この白い生き物には羽が生えている。トカゲの魔物を見たこともあるが、羽が生えているものなんて見たことも聞いたこともない。撫でていた手を止め、混乱するイザベル。
ひとつ……。
ひとつだけ心当たりがあるが、それは……
「ドラ……ゴン……」
「きゅ?」
その名を口にした瞬間、恐怖に襲われたイザベル。何かから逃げるように犬小屋から走り出すと、そのまま自室に戻り、布団に潜り込んだ。
紙芝居の中で見たドラゴンにそっくりな白い生き物。眠ろうと目を閉じると、昼間の老婆の声が脳内に蘇った。
『大きな体に、大きな翼を持ったドラゴンたちは、その強い力で人間たちをいじめていました』
ドラゴン……。人間をいじめる悪い生き物。
自分が家に連れ帰り、卵から孵したあの子のことを考えれば考えるほど、イザベルは大きな不安に襲われ、その日はなかなか眠りにつくことができなかった。
翌朝、イザベルは明らかに顔色が悪かった。
それを見た両親は心配し、声をかけてくれたが、あの子の話をすることができないイザベルは、大丈夫と答えるしかない。
今日は両親揃って外出の予定だという。
いつもであれば友達の家へ遊びに行くか、広場に紙芝居を見に行くか。今日の予定を考えるところだが、今はそんな気分にもなれない。
両親が出ていくのを見送ると、自室に戻りもう一度布団に潜り込んだ。考えるのはあの子のこと。
この国ではドラゴンは『悪』とされている。イザベルはそれを紙芝居で何度も見たし、大人たちがそう言うのを何度も聞いてきた。ドラゴンは恐ろしい怪物なのだと。
そして老婆の言葉を思い出す。勇者様のおかげで、今の平和な暮らしがある。平和という言葉から胸に広がるのは、村の人たちの笑顔と笑い声。
大好きな村と、大好きなみんな。この大切な『平和』を自分が壊してしまうかもしれないという恐怖は、イザベルを震え上がらせた。そのためイザベルはあの子を手放すことを、ひとり決意する。
布団をガバっとはぎ、その足で犬小屋へと向かった。手を強く握りしめ、犬小屋へ一歩一歩近づいていく。
「わんわん!!」
イザベルの足元で元気に飛び跳ねているベラ。だけど、今はかまってあげられるほどの余裕がない。唇を強く結び、犬小屋の中を覗き込んだ。
白い生き物は、犬小屋の奥で体を小さく小さくして丸まっていた。
「……きゅ?」
イザベルの気配に気づいたのか顔をあげる白い生き物。イザベルの顔を見ると、くりくりの目を嬉しそうに細め、小さく鳴き声をあげる。
その無垢な姿を見ていると、これから自分がしようとしていることに罪悪感を覚える。一瞬の迷いが生じたが、心を鬼にし、その迷いをどこか奥底の方へと押し込めていく。
『平和』のためだから。
大人しくしている白い生き物を抱えあげる。持ち上げられた白い生き物は、暴れるどころか嬉しそうに小さな羽をパタパタとさせ、頭をイザベルの胸に擦り寄せる。
イザベルは罪悪感とともに全ての感情を心の奥底へとしまい込み、ただ運ぶことだけに集中した。
向かった先は森の中にある川。洗濯をするときに使う川だ。
近くに落ちていた洗濯桶をひとつ拾い、白い生き物を中に入れる。
「きゅ! きゅ! きゅ!」
イザベルの手が離れていくと白い生き物は、まだ抱っこしてと言わんばかりに鳴き続ける。
イザベルはゆっくりと視線を白い生き物から、川へと向けた。手前の方は緩やかに水が流れているが、奥は水深が深く、流れも速い。大きな岩にあたっては白い水しぶきをあげている。
イザベルは少しずつ怖くなってきていた。
この子はどうなるのだろうか。もしかすると死んでしまうのではないか。
桶の中の白い生き物に視線を戻す。
「きゅ!」
イザベルと視線が合ったことに喜び、白い生き物は嬉しそうに鳴き声をあげ、パタパタと羽を動かした。
イザベルの瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。
何もしていないこの子に、今自分は何をしようとしていたのか。
イザベルは持っていた桶を、川ではなく地面の上に置いた。
この子が例え紙芝居で聞いたあの恐ろしいドラゴンだとしても、今目の前にいるのはただ純粋に愛情を求めている赤ちゃんだ。何も悪いことなんてしていない。
「ごめんね……ごめんね……」
その場にしゃがみこみ、ただ謝り続けるイザベル。流れ落ちた涙が、河原の石を濡らしていく。
「きゅ! きゅ!」
白い生き物は桶から精一杯首を伸ばし、イザベルに近づこうとする。イザベルの悲しみを感じとったのか、ベラもいつの間にか傍に寄り添っていた。
「ふたりともありがとう……ほんとうにごめんね」
イザベルはこのとき、心に決めた。
この子を紙芝居に出てきたあの恐ろしい生き物のようにはしない。絶対にしない。
そう誓い、潤んだ視界でドラゴンを見つめる。
「ノア。あなたのなまえ」
「きゅ!!」
心配そうにこちらを見上げていた瞳を、今度は嬉しそうに細めるノア。
「気にいってくれてよかった」
実はまだノアが卵の中にいた頃、毎晩犬小屋を訪れてはどんな名前が良いかとイザベルは考えていたのだ。毎日寝る前にたくさん考えて、一番しっくりきたのが『ノア』だった。
「ノア!」
「きゅ!」
「ノーア」
「きゅー!!」
桶から出してあげると、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるノア。ベラも嬉しそうにはしゃいでいる。楽しくなったノアとベラはイザベルの周りをくるくると回る。イザベルも混じって三人はくるくるくるくる回る。
そのまま日が暮れるまで三人は遊び続けたのだった。
「ノア、ぜーったいにここから出てきちゃダメだよ!!」
「きゅ!」
「ベラもたのんだよ!」
「わふっ!」
本当に言葉が伝わっているのか不安はあったが、何となくノアもベラも分かってくれている気がした。
それから五年が経過しても、ノアの存在に気づく者はいなかった。




