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34 十二歳の王子と「ノルドフォール王国の」守護精霊

 シャルルは取っ手だけになったカップをソーサーに戻して、何事もなかったかのように宙に向かって応えを返した。


「お言葉ですが、精霊様。わたしは嘘をついた覚えはありません」


《シャールール!》


「わたしは王太子になると言ったはずです。少々、時間がかかるとも言いました。ここからが正念場なの――」


《だーまーしーたーんーだーね!》


 怒りにまかせて大きくふるわせた風に、シャルルが耳を押さえて、やれやれと、これ見よがしに溜め息をついた。


「精霊様はルイを甘やかし過ぎです」


《はぁー!? なに言ってるの!?》


 よほどうるさかったのか、シャルルは頭を傾けて右肩で右耳をふさぎ、左手の人差し指を左耳に突っ込んだ。


「ルイ、わずか数日とはいえ、わたしは君に王国の置かれた状況を教えた。君が王子であったなら、当然、知っていたはずのことをね。いいかい? わたしは君だ。王子として育てられた君だ。君が王子であったならば、そうであった姿だ。君が父上のもとで育ったならば、わたしと同じ考えをするはずだ」


 変な姿勢だけど、あくまで魔道具から手を離す気がないのだろう。同じく両耳を手でふさいでいるルイに向かって、シャルルは大声で話を続けた。


「今、君がいなくなれば、王国は分裂する。王領貴族派と地方貴族派が争い、四大公爵家は漁夫の利を得ようと傍観、といったところだ。戦いが長引けば、近隣諸国が介入してくるかもしれないし、進んで他国の力を借りようとする勢力も出てくるだろう。その結果、王国は諸国によって山分けされ、地図からその名を消すことになる」


 怒りのままに吹き起こした風が、控室にしつらえられていた調度品をことごとく粉々に吹き飛ばした。シャルルがどう言い繕おうと、ルイをだましたのにはちがいない。ふたりをぐるっと取り囲むように渦巻く風の中心で、わたしは嵐のごとく声をふるわせた。


《そんなことルイには関係ない!!》


「精霊様にとっては、もちろんそうでしょうね! 守護精霊が守るのは守護主のみだ! ルイを守るためだけに、プレンナーの精霊様を使って力を見せつけた! そして、ルイのためだけに、辺境の村に帰ると言いだした! ルイさえ無事であれば、王国が滅ぼうが、力なき民が死のうが、一向にかまわないのでしょうね!」


 吹きすさぶ風にひるむことなく、シャルルは肘で魔道具を押さえつけて、さらに右耳にも指を突っ込んだ。


「君しかいないんだ! 君がこの国を守るんだ!」


「でも、シャルルが国王になったほうが……」


 耳を両手でふさいだルイの声が、渦巻く風でかき消される。


「わたしにも欲というものがあるからね! 王になろうと思った! 父上の遺志を継いで、父上が守ろうとしたこの国を守ろうと思ったんだ! だがね、わたしが王になるには、最低でも王国を二分する戦いに勝利をおさめなければならなかった! 悩んでいたわたしの前に、君の守護精霊様が現われたんだ! 君をわたしの右腕とすれば、内乱を引き起こすことなく、王位につくことができる! そう思ったんだが……」


 ルイが口の動きを見てとれるようにだろう。シャルルはゆっくりと言葉を紡いだ。


「それでも、わたしが王位につくには、少々ゴリ押しが必要だ! 王族だという意識もなく、さらには風属性である君は、嫌気がさして逃げてしまうかもしれない! 過保護な守護精霊様が、君を連れて飛んでいってしまう可能性だってある! ならば、答えはひとつだ! 君が国王になればいい! 一滴の血も流すことなく、王国は君のもとでひとつにまとまる! わたしが君の右腕となろう!」


 ルイがわたしに向かって「せ、い、れ、い、さ、ま」と、口の形だけを変えた。耳を押さえつけていた手が、スッと離れる。迷っている時のルイの癖だ。耳の裏をカリカリとかいた。


 ルイが決めるというのなら、わたしは見守るだけだ。ルイがいいというのなら……。しぶしぶながら、わたしは吹き荒らしていた風を収めた。それでも――


 風の渦の中で舞い踊っていた、かつて高級な家具だった木材や陶器の欠片が、ふたりを避けるように、ズシャッと音を立てて床に落ちた。だけども、いちばん大きな木屑がひとつだけ――


 ――なぜだか、シャルルの頭にあたって、カコーンと音を立てた。


 思ったより、痛かったらしい。目に涙を浮かべたシャルルが、頭をゴシゴシとさすりながら、破壊され尽くした部屋を見回した。


 ずいぶんたってからだ。悩ましげに「うーん……」と言いながら耳のうしろをかき続けるルイに視線を戻して、シャルルはズズッと鼻をすすりあげた。


「それとね、ここだけの話だけどね、ルイ。お金がないんだ」


「お金……?」


 もはや何であったか想像すらつかない、散乱する木屑や陶器の破片に視線を走らせながら、ルイはボソッとつぶやいた。


 まさか、王子様ともあろう者が、弁償しろと言いだすのかと身構えたルイに向かって、シャルルは「いやいや、そういう意味じゃなくてね」と赤くなった目をこすりながら苦笑した。


「先々代の王位を巡る争いの戦費に、その論功行賞による四大公爵家への大盤振る舞い。王国の台所は火の車どころか、破綻寸前なんだ。わたしたちのバカな曽祖父のせいでね。長々と王座に居座ったあげく、放蕩三昧。政治力は皆無。父上がなんとか立てなおそうとしたが、道半ばで亡くなってしまった」


 いつもの王子様の笑みではなく、苦り切った笑みを浮かべたシャルルの打ち明け話に、ルイが引き込まれるように身を乗り出す。


「軍を動かすのに、どれだけお金がかかるかわかるかい? モンフォール伯爵があっさり白旗をあげたのは、そのせいでもあるんだ。彼は王国の金庫番でもあるからね。よくわかっているはずだ。四大公爵家のひとつを相手取るお金すら、国庫には残っていないんだ」


 ルイの顔つきが急に真剣みを帯びた。ルイはけっこうなお金を村に住む両親に送っている。権力闘争などというわけのわからないものよりも、よほど説得力があったのかもしれない。


「ルイの故郷ですが、トロムス村でしたね? その村をルイの領地としましょう。王国が落ち着けば、休暇なり、保養なり、里帰りできるようにしましょう」


 シャルルが急に声色を変えた。どうやら、わたしに話しかけているようだ。


「形式上とはいえ、ルイは王太子に任命されることになります。王太子という称号には、本来、領地が付随するのですが、今ではずいぶん形骸化してましてね。後見人から、王太子領と呼ばれる領地を寄進されることになっています」


《ルイが村の領主になるってこと? 辺境伯領なのに?》


「名誉領主という形ではありますけどね。ブルンフョル辺境伯にルイの後見となってもらいましょう。貴族にとっては名誉なことですので、喜んで引き受けてくれるでしょう。離宮のひとつも建ててくれると思いますよ」


「離宮は……村には似合わないよ。それに、僕には実家があるし……ねえ、精霊様?」


 どうやら、シャルルへのお仕置きは先延ばしになったようだ。わたしは、ぽふっと息を吐き出して、ルイの瞳をのぞき込んだ。


《それでいいの、ルイ?》


「うん。精霊様には、また迷惑をかけちゃうだろうけど」


《なーに言ってんの。ルイはルイのしたいようにしたらいいの。ルイのしたいことが、わたしのしたいことだからね》


「ああ、そういえば、ルイ。ひとつだけ、わたしは君に嘘をついた」


 こぼれた紅茶で汚れてしまった衣装を、指先でピーンと引っ張りながら、シャルルが立ち上がった。


「四大公爵家のせいで、君はすべてを失った。わたしはそう言ったね」


 苦いものを飲み込んだかのように、シャルルの顔がゆがんだ。


「だけどね、たったひとつだけ失わなかったものがある。精霊様だ。そして、精霊様も君を失わなかった。それがうらやましくてね。ついつい、意地悪な言いかたをしてしまったんだ」


 シャルルに向けられていたルイの視線が、スッとわたしに向けてずらされた。シャルルを思いやるかのような色をたたえたその瞳は、瞬きとともに普段の色を取り戻した。


 ひょっとしたらルイは、シャルルが失ってしまったものに、思いをはせたのかもしれない。でも、それには触れないことにしたのだろう。コトンと首をかしげ、微笑んだ。


「失うも何も、精霊様がいなければ、僕はいないからね。シャルルの考えることは、難しすぎてよくわからないね、精霊様?」


《ホント、さっぱりだね》


 とたんに、シャルルが大きな溜め息をついた。


「精霊様を失わなかったことで、君はすべてを取り戻し、王国は時間を手に入れることができる。先々代の国王とその片割れが引き起こした内乱によって、失われた時間をね。双子によって失われたものを、双子が取り戻すんだ。精霊様と一緒にね」


 わたしとルイは、頭でっかちの王子様に向かって、「さっぱりわからないね」と声をそろえた。




 その一ヶ月後――十三歳の誕生日を迎えたルイは、ノルドフォール王国の国王に即位し、その場でもって、シャルルを王太子に任命した。

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