1-16 悪魔の慈悲
「うん、なんか落ち着いた」
自分の正体を思い出すことで一気に沸き上がってきた悪魔的衝動も、だいぶ解消されました。悪魔的に飢えてたんだなぁ……私。ちょっとあの人らにムカついていたとは言え、ちょっと遊びすぎたことは反省しましょう。
「……でも」
あと二人……京時と久遠爺さんはこのまま見逃す訳にはいかない。ただ地上げするだけなら見逃しても良かったんだけど、私に害意を向けて、放っておけば美紗にも同じ事するかも知れないんだから。
それに……
「私の正体を知ったからには、無事で済むと思わないことね」
……何でしょう、この悪役台詞は。
さて、あの二人は何処にいるのか。
さっき、悪魔の言語を使って……【神霊語】? それを使ってこの廃校の全ての出入りを“禁”じた。
今の私の力を超えるモノでないと、生物どころか空気さえ入り込めない。
さっきまであれほどチンピラ屋さんが騒いでいたので、酸素も薄くなってきているけど、それでも酸素が切れるまで数日間も付き合う根性は私にはない。
悪魔だって根性は大事です。ただ今の私はだいぶ魂を食べたのでそんなにガツガツしてないんですよ。まぁ、それはどうでもいい話だね。
「……ふむ」
断片になっていた記憶がまた前に出てきた事で、だいぶ記憶がゴチャゴチャだけど、整理は後にして私が記憶の奥から使えそうなモノを捜していると、ちょっと使えそうな“知識”が浮かんできた。
「……『召喚』……」
私の中の力を使って手の中に小さな召喚魔法陣を作り出す。
記憶の整理がつけば、多分もっとややこしい魔法陣を描けると思うけど、今はこれで充分です。
手の中の魔法陣からパラパラと黒い粒が床に落ちる。
「………」
何を言いたいのか分からないかも知れないが、周囲の低級な【精神生命体】を呼び寄せたはずだったのに、呼び出したら乾燥した“ワカメ”でした。
仕方なく、そこらに転がっているご遺体に撒いてみると、血を吸収したワカメは何故か動きだし、そのまま遺体の中に入り込んで、『うぼーうぼー』唸りながら数体の遺体を操って立ち上がった。
コレじゃない感が半端ない。
「……ま、いいか。あなた達、生きている人間を捜しなさい」
『うぼー』
なんでしょう……。私は海産物にでも呪われているんでしょうか。
***
「なんなんだ、あれはっ!? 説明しろっ!」
薄暗い放送室で、久遠翁は理解できない不条理に混乱し、泡を吹きながらもう一人の若者に吠える。
防音がされて壁も扉も分厚い放送室は立て籠もるのに丁度良かったが、それでもあのような常識外の化け物相手に、ここまで騒いで気付かれないという保証はない。
そう考えつつも京時は酷く冷静な態度で、それを指摘もせずに久遠翁に頭を下げた。
「あれは間違いなく塔垣家の娘です」
「塔垣っ? あの先代からの成り上がりかっ。だがそんな事はどうでもいいっ! アレが何かと聞いておるのだっ!」
調べた限りでは間違いなく塔垣家の末娘、柚子だった。それが何故、あのような姿になり、大の大人を捻り殺せるだけの力を持ったのか。
京時も最初は混乱し、今でも底知れない畏れを感じるが、久遠家で裏事情にも精通していた京時は一つの結論に思い至っていた。
「以前も現場にて事故が多発する場合、あの方々にご助力を得ておりましたが、その時に私は似たようなモノを見たことがあります」
「事故……お前はアレがっ!」
「ええ。私はあの娘に“怨霊”が憑いたのだと推測します」
強引な地上げをしていると、希に“事故”が多発する現場がある。
その辺りの神社に頼んでも埒があかず、どうしようもない場合は政界の伝手を頼ってある機関に原因の払拭を依頼していた。
この国最大の退魔宗教機関、【御山】の僧侶達にである。
京時は一度、土地にでも神木にでもなく、野良犬に憑いた“怨霊”を見たことがあった。ただの犬が久遠家が使っていた外部の者数人をあっと言う間に噛み殺し、銃弾を受けても人のようにケタケタと嗤うそのおぞましい姿は、いまだに京時の脳裏にこびり付いていた。
「そうだっ、【御山】の僧を呼べッ! そうすればあんな子供…」
「ですが、先ほどから携帯電話が通じません」
「なにっ!?」
久遠翁は自分も携帯電話を取り出すと電波が来ないか試してみる。
「翁、そちらは危険です、こちらに」
放送室は完全に壁に囲まれているのではなく、廊下に面した一部がはめ殺しの大きな窓になっていた。窓は開かないが廊下から見える場所にいれば、あの“化け物”に見つかってしまう恐れがある。
「ええいっ、京時、お前が外に出て連絡してこいっ!」
「……分かりました」
窓の前からすぐに動かず、自分の失態を誤魔化すように怒鳴る久遠翁に、京時は気付かれないように溜息をつき、口の中で小さく呟いた。
「……潮時か」
バン……ッ!!
「ぎゃっ!?」
突然ぶ厚い窓硝子が震えるほど強く叩かれ、久遠翁が引きつった声を上げた。
「なっ、」
「これは……」
そこには血塗れの部下だった男達が、濁った目で硝子を叩いていた。あきらかに生きてはいないのに動き、折れた腕をぶつけてくる様子に戦慄する。
「ち、ここまでかっ」
京時は舌打ちすると、久遠翁をそのままに一人で放送室から出た。
「き、京時っ、儂をっ」
「では翁よ、私は一人で外に向かいます」
「な、何を言って…」
「どのみち、これ程の死者を出せば政界復帰は難しいでしょう。あなたは、この責任を取るべきでは?」
のろのろと掴みかかってくる動く死者の手をかいくぐり、京時は主人だった男にそう告げて走り出した。
「京時ぃいいいいいいいいいいいっ、…ぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
振り返りもせず走る京時の背後で、死者達に襲われた久遠翁の叫び声が聞こえたが、京時にとってそれはもう、どうでもいい事だった。
京時は父親のように心から主人に仕えていた訳ではない。
自分が成り上がり、いずれは政界や世界を裏から操る為の踏み台としてしか彼らを見ていなかった。
だから政治家としても個人としても先のない久遠翁にはもう用がない。あの場まで付き従っていたのは、自分が安全な場所に逃げる為の囮にする為だった。
だが、死体が動き出した事で、その“囮”を予定外に早く消費してしまった。
校内に点々と残る苦悶の表情を浮かべた死体はまだ動き出さないが、いつ動き出すか分からない。
「……まだ、死ぬ訳にはいかないのですが」
京時は少し考え、屋上に向かった。
階下の扉は奇妙な力で閉じられており、何よりあの“化け物”が徘徊している。
確か以前より屋上の扉は壊され取り外されていたはずで、廃校になったことで修理されずにブルーシートだけで塞がれていたことを思い出した。
京時の身体能力なら、屋上からでも雨樋を伝い、地上に降りられるかも知れない。
息も切らさず屋上まで駆け上がり、京時は屋上を塞ぐブルーシートを捲って久しぶりの外気を大きく吸い込んだ。
「さて、どこから……」
降りられる場所を探そうと、辺りを見回しながら呟いていた京時の声が止まる。
誰も居なかったはずのそこに……校舎へと通じる入り口の前に、今一番会いたくなかったあの少女が、真紅の瞳と紅の牙で微笑んでいた。
「……ぅ…ぁ……」
その手にボロボロになった久遠翁の首を掴んで引きずっているのを見て、京時はその眉を微かに顰める。
「……まだ、生きているのか」
万が一でも翁が生き残れば、これからの京時の計画に支障が出る。そんな思いから独り言のように呟くと、
「あら。私はただ見つけるように命じただけだから、逃げなくても良かったのよ?」
「……っ、」
まさか怨霊に憑かれているはずの少女が答えるとは思わず、京時は思わず息を飲む。
「……まさか、……意識があるのか?」
「ええ、もちろん。起きたまま夢を見る趣味はないから」
「…………」
その短い会話で、京時は目の前の化け物がここに来るまでに会話をしていた“柚子”だと理解する。
「……どうしてその男を生かしているのです?」
柚子として意識があるのなら口で誤魔化せるかも知れない。頭がよいと言っても所詮は“小学生にしては”なので、付けいる隙はあると京時は会話から探ろうとした。
「あなたも言っていたでしょ。責任を取る人がいないと困るのよ」
「っ!」
柚子は、先ほどの京時と翁との会話も知っていた。
声に詰まる京時の前で、柚子は片手で軽く久遠翁を持ち上げると、その肩に牙を突き立てる。
「……………ぷはっ、」
血を啜るようにして顔を上げた柚子は、翁をその場に投げ捨てると、その久遠翁は呻き声を上げることもなく、虚ろな瞳でただ空を見上げていた。
「気にしなくていいわよ。記憶も残っていない、ただの廃人だから」
「…………」
何も出来ない植物状態一歩手前にして、この責任を取らせる。そうなれば様々なしがらみから事件は表に出ないかも知れないと京時は気付いた。
「柚子さん……見逃してくれませんか?」
「あら、どうして? あなたには一番手加減する理由がないんだけど。……どうして、まともに死ねるなんて思っていたの……?」
京時は内心焦りながらも必死に退路を捜す。
武術の心得はあるが今は意味がない。武術とは、力の弱い人間が強い人間に勝つ為の技術で、猫が虎に勝つ為には役に立たない。
「……ッ」
京時はその瞬間に背を向け逃げ出した。
このまま策を講じても、待っているは“人間”が考えもしないような無残な“死”しかないだろう。
だから京時は一か八か、屋上から飛び降りることを選択する。途中で雨樋でも窓の枠でも木の枝でも、何か掴めれば生き延びられる可能性があった。
「なっ!?」
屋上の金網を一息で飛び越えた京時の前で、空に穴が開いていた。
直径1メートルほどの黒い穴は、辺りの空気ごと京時を吸い込み始める。
「なんだ、これはぁああああああああああああああっ!?」
光も闇も空気さえない空間に飲み込まれながら、全身を砕かれるような激痛の中で、京時は声を上げた。
「やっぱり半端な知識だとその程度ね」
その問いに答えるように、柚子が困ったような顔でそう言った。
「記憶の奥から拾ってきたから、その程度しか開かなかったわ……。折角だから京時にチャンスをあげる」
「……チャン…ス?」
「その中は、生き物が通れない、何処に通じているかも分からない【次元】の狭間よ。私は手を出さないであげる。運が良かったわね……」
「……う…ん、だと」
「あのお祖父さんの魂を半分食べたから、そこそこお腹は一杯なのよ」
京時は目の前の小さな少女が、悪霊や怨霊などではない、もっとおぞましい存在だとようやく気付く。
「お……俺が、こんなところで死ぬなんて、あり得ないぃいいいいいいいっ」
「そうなんだ? じゃあ頑張ってね。空気もないけど、肺活量に自信はある?」
「……おれはぁあああああああああああああああああああああぁあぁ…ぁ……」
最後の叫びを残して、綺堂京時は次元の狭間に落ちていった。
そして……
「………誰?」
柚子がゆっくり振り返ると、屋上の貯水塔の上に、黒ずくめに黒覆面の小柄な影が、柚子を黙って見つめていた。
黒覆面は手元に小さな黒い穴を作ると、そこに手を入れて身長ほどの巨大な大剣を取り出し、ゆっくりとした動作でその剣先を柚子に向ける。
「……お前、“転生者”か?」
次回、第一章の最終話になります。





