2-14 足掻く人々 ④
今回も真面目です。三人称のみ。
『ゝe∞∬?ヾゞ〃〃♭e??∮¬⊥???∞∬∂??ゞ〃∞∬ー々ヽ⊿ゞ!!』
突然現れた膨大な魔力を撒き散らす小さなヌイグルミに、キマイラの群体が警戒の叫びをあげる。
元となった人間の魂は媒体として消費され、まともな知能は残っていないが、狂っているとは言え素材となった下級悪魔や精霊が、高位悪魔の出現に悲鳴をあげていた。
そんなキマイラにウサギのヌイグルミは棒状の腕を突き出し、挑発するようにチョイチョイと手招きをする。
『e??∮¬⊥???∞∬!!』
触手で繋がれた、鱗を生やした巨大カエルの群れが小さなヌイグルミに襲いかかり、ヌイグルミはその攻撃を受け流すように避けて数メートル離れた瓦礫の上に、アクションスターのように着地した。
大悪魔ラプラス。時を視る悪魔。
イメージ的には『鏡の国のアリス』で少女を異界に誘うウサギと言えば分かりやすいだろうか。
その特性を黄金の悪魔である【魔神】によって設定された恩坐は、人間の特性を色濃く残していた為、その力は【上級悪魔】程度に留まり、その能力を存分に発揮することが出来なかった。
そもそもユールシアが恩坐をラプラスと定めたのは、彼が地縛霊の想いさえ理解し、相手の想いを読み取ることで“先読み”にも似た能力を使っていたからだ。
その恩坐が悪魔となったのはユールシア――その前世である柚子を守ると誓いを立てていたからで、悪魔となった恩坐はラプラスの特性を得て、さらに先読みの能力を向上させていたが、恩坐は悪魔として生きるには“人”でありすぎた。
悪魔=悪。これはあらゆる世界において定命の者達の共通の認識だった。
実際に悪魔達は欲望に忠実で、全ての命を貪り喰らうことを至上の喜びとしている。
だが悪魔は精霊と同じく世界の一つだ。世界という生命体に病原菌が広がった時に、それを駆除する役目も負っている。
世界にとって最も身体を蝕む者は増えすぎた人間なのだ。だからこそ悪魔は本能的に人間を付け狙い、人間は悪魔を嫌悪する。
強大な力を持つ悪魔はもっとも自由に振る舞いながら、契約によって縛られる。
白血球である悪魔が体内細菌を食い尽くさない為の抑制機能だが、その中にたったひとつだけ、あらゆるモノに縛られない自由な悪魔が現れた。
彼女は特別ではない。ただ悪魔の本能に縛られない自由な心を持っていただけだ。
恩坐は彼女の存在の意味を知った。
悪魔が悪であるという概念こそが、恩坐の中にある悪魔の自由さを失わせていた。
それが解放された今、恩坐は本当の意味で『悪魔』となった。
『………』
ヌイグルミの短い手足がゆるりと拳法のような構えを取り、以前には無かったウォータークラウンを模った黄金の冠がクルクルと回る。
『ゝe∞∬?ヾ∬∂??ゞ〃∞∬ーゞ!』
襲いかかるキマイラの群体。それを軽くいなして、手にはめた真鉄のナックルがキマイラの胴に風穴を開けた。
昇華したばかりの【大悪魔】である恩坐の戦力はまだ高くない。
それでも一般的な大悪魔と同等程度の力は有るが、当時情報がなかった初見戦闘だったとは言え、物理戦に特化したニアやティナが倒しきれなかったキマイラを恩坐が圧倒できるのは、ラプラスの能力によるものだ。
先読みから昇華された未来予知。例え時空間を歪められる悪魔でも未来を視る事は出来ない。だが恩坐は新たに追加された王冠によって、過去と現在の事象から数万通りの未来を高速演算し、もっとも確率の高い未来を予見する。
それによって敵の攻撃を的確に避け、もっとも大きな隙が出来た瞬間に最大効率の攻撃を繰り出すことが出来るのだ。
『??∮¬⊥???∞∬∂?ゝe∞∬?ヾゞ∞∬ー々ヽ⊿ゞ〃〃♭e?ゞ〃!!』
『………』
以前の十倍以上にもなる悪魔の純魔力で高速戦闘を繰り返し、人だった頃に身に付けた体術が的確にキマイラを破壊していく。
触手で繋いだ全ての分体をことごとく破壊され、最後に残った最初の一体が本能からかまた少年の顔を、迫り来る恩坐に向けた。
ぐしゅっ!
『∬∂?ゝ…』
『………』
それを躊躇無く潰し、恩坐は砂のように崩れていく少年の目をヌイグルミの手でそっと閉じさせ、初めて声のような音を発する。
『……ユ…ズ……』
***
「困りましたね」
シルベール教国王女エステルによる、聖王国の勇者ノエルの魅了。
エステルの能力は【魅了】だと分かっているが、勇者がそれに抵抗したせいか催眠術に掛かったような状態になっている。
エステルか勇者のどちらかを戦闘不能にすれば洗脳は解ける可能性は高く、実際、ユールシアもそうしようとしていたが、それをすれば教国に加担する貴族から悪い噂を流される恐れがあった。
ユールシア自身はそれを気にしないだろうが、主に仕える従者としてそんなことは許せない。そしてなにより、悪魔としての冷酷さを持ちながら、どこかお人好しな彼女をギアスは心から心配していた。
ここら辺の感覚は、同じ従者でもユールシアの力を心の底から信頼し、崇拝している四従者と違い、人間寄りの恩坐に近いだろう。
だが現在ギアスが困っているのは、主の心配ではなく、その勇者ノエルが洗脳されざるを得なかった原因究明に行き詰まっていたからだ。
エステルの【魅了】が強力だとしても、光の精霊に守護された勇者を簡単に洗脳できたとは思えない。
おそらくは何か心の隙を突かれた。その隙を作った原因が学院内にあると考え調べていたが、ある時間帯から勇者の行動が追えなくなっていたのだ。
「……仕方ありません」
小さく呟き、人気の無いところへ移動すると、老執事姿のギアスが消えて、そのあとに50センチ程度の小さなテディベアが現れる。
『ガウ』
ギアスが自分の本性であるこの姿になるのを躊躇っていたのは、この姿になると思考までも単純化してしまうせいだ。
本質は変わらないのだが、気を抜いていると人化することを忘れて、恩坐と一緒に酒を呑んでいたり、ボールと戯れていたりする。
それでもギアスはこの状態にならなければいけない訳があった。
『ガウ』
四つん這いで辺りを回っていたクマのヌイグルミが不意に顔を上げる。
後を追えなくなった時間から半日。そこからわずかな勇者の匂いを嗅ぎ取ったギアスは、テトテトと歩いて追跡を再開した。
動くテディベアやウサギのヌイグルミはユールシアが作った自立型魔道具として知られており、捕獲しようとする不埒者は居ないが、その動く姿に悶える女生徒や、低学年の幼い子供達が後を追ってくるので、それらを撒くのに苦労した。
勇者ともう一人の匂いは学院の旧校舎の方へ続いていて、ギアスはその中の半壊した立ち入り禁止の校舎の前で足を止めた。
「ここですね」
何とか人化することを覚えていたギアスが老執事の姿に変わる。
その中を音も無く静かに進んでいると教国の関係者らしい姿が見えたので、
「もし、そこの方」
「ああ? 何だ爺さん」
「あっ、こいつはあの聖女の、」
ズシュッ!
二人の男の首があっさりと落ちて転がる。
両腕に付けた30センチ程の真鉄製の爪を振るって血を飛ばし、ギアスは何事もなかったかのように先へ進む。
ギアスは同じ人から悪魔になった恩坐とも、純粋な悪魔である四従者とも違う部分がある。
それはギアスの属性が『悪』なのだ。悪魔に唆されたとは言え数万の人間の魂を自分の願いの為に使ったギアスの魂は『罪』で汚れきっていた。
純粋な願いによる罪。その罪によって悪となった魂。ギアスはその贖罪を求めるよりも自分を救ってくれた主の為に、より深い闇に足を踏み入れることを望んだ。
魂などいらない。主に敵対する者を消去する。
目に付く者を確実に殺しながら進むギアスは、悪魔とは違う、人間の業が生み出した闇とも言えた。
「ここですね」
静かにある教室の扉を開くと、そこに両腕を縛られた二人の女生徒らしき姿を見つけた。
「そちらはシェルリンド様でいらっしゃいますか?」
「……ああっ、ギアスさんっ」
ギアスの姿を認めて声を上げるシェリーに、ギアスは人差し指を口元に当てて優しく微笑む。
「お静かに。お助けに参りました」
「わかりましたわ。それよりもノエル様はどうなっていますかっ? わたくしのせいでおかしな術を掛けられてそれで…」
「ええ、承知しております。今はユールシアお嬢様が対処しておりますが、何か彼を無力化する方法をご存じですか?」
「それは分かりません。でもっ、わたくしを連れて行って下さい。わたくしが止めて見せますっ」
「……そうですか」
シェリーが教国に拉致されたせいで勇者は魅了を受けざるを得なかった。自分のせいで友人達が困っているのだから何とかしないと思う気持ちは理解できるが、策もなく主の友人を危険に曝すのも憚られる。
「とりあえずここから脱出しましょう。歩けますかな?」
「ええ。あっ、その子も」
シェリーはもう一人捕まっていた女生徒に顔を向ける。
「そちらのお嬢様は?」
「知らない方ですが、私がここに連れられてきた時にはもう捕まっていて……もしかしたらノエル様のお知り合いかもしれません」
その女性とは腕だけでなく猿ぐつわもされていて、薬でも使われたのか朦朧とした瞳をギアス達に向けていた。
「その方は……」
ギアスはこちらの世界に来てから覚えた、全貴族の年齢と髪色、肌色、瞳の色が記された貴族年鑑と照合し、
「シェルリンド様、お下がりをっ。教国派の貴族ですっ」
『?∮¬⊥???∞∂?ゝe∬?ヾゞ∞ー々ヽ⊿ゞ〃〃♭?ゞ〃!!』
初めからそう仕込んであったのか、ギアスとシェルリンドが離れると女生徒の身体が肥大し、翼の生えたサンショウウオのような姿に変わる。
「……キマイラ」
そう呟いた瞬間、ギアスは真鉄の爪でキマイラの首を斬り払った。
『?∞∬ー々ヽ⊿ゞ〃?∮¬⊥???∞∬∂?ゝe∞∬?ヾゞ〃♭e?ゞ〃!!!!』
「きゃああっ!?」
だがその攻撃はキマイラの首を三分の一程度を斬り裂くに留まり、悲鳴をあげるキマイラの声に、精神攻撃を受けたシェリーも悲鳴をあげる。
「シェルリンド様、お逃げ下さいっ。私が食い止めます」
「そんなっ、……分かりましたわ」
ここにいても自分が足枷にしかならないと気付き、シェリーはふらつく頭を抑えながらもギアスに頭を下げた。
そんなシェリーをまるで孫娘を見るような瞳でギアスが微笑む。だが――
「きゃああっ」
「シェルリンド様っ!」
シェリーが扉の方へ向かった瞬間、誰も逃がすなと命を受けているのか、キマイラがシェリーに襲いかかり、それを庇ったギアスの背を深々と斬り裂いた。
「ギアスさんっ!?」
「これは……困りましたな」
額に汗を滲ませてギアスが苦笑するようにボソリと漏らす。
この状態でシェリーを庇いながら逃げる方法はない。まさか悪落ちした自分にまだこのような人の心が残っていたのかと、ギアスは溜息を漏らした。
だがこの状況でもキマイラを倒す方法はある。
ギアスは成長できなかった恩坐と違い、一度は【魔獣】にまで進化し、急速成長した反動で【上級悪魔】にまで退化していただけだ。
主の魔力を受ければ一時的に【魔獣】の姿にはなれるが、ギアスはこの世界に来てから自分なりに考えて、力を増す方法を模索していた。
今、ギアスの懐の中にはリンネから譲り受けた魔宝石がある。リンネを人化させることで一度は空になったが、これまでの戦闘である程度の純魔力が溜まっていた。
主の為に使おうと思っていた純魔力だが、それを使えばギアスは【大悪魔】に進化できるかもしれない。だが、それと同時に、今の微妙なバランスで成り立っている人化の法を失うかもしれない。
そしてこの場でそれを使うと言うことは、人間であるシェリーに自分が人間ではないことを知られることになり、悪魔とバレなくても人前で主の世話をすることが出来なくなる。
でも――
それが何だというのか?
このシェルリンドが亡くなればユールシアはとても悲しむだろう。
ユールシアの為。シェルリンドの為。この優しい孫娘達の為に、ギアスは人の世界で生きることを放棄した。
『ガウ』
魔宝石からの純魔力を受け、濃い色の茶色だった毛皮が真っ白なふわふわとした小熊のようなテディベアに変化する。
『ゝe∬?ヾゞ∞ー々ヽ⊿ゞ〃、』
次の瞬間、同化した真鉄の爪で斬り裂かれ、首を食い千切られてキマイラはあっさりと滅びた。
「…………」
『ガウ』
目を丸くして見つめるシェリーにギアスは扉のほうを指さし、姿を隠す為に歩き出した瞬間、後ろからシェリーに持ち上げられて力一杯抱きしめられた。
「ギアスさん、クマさんだったのですねっ! さすがユル様の従者ですわっ!」
「……ガ、ガウ?」
どうやらシェリーはギアスが考えていたより大物のようだった。
シェリーはユルが絡まないとまともですが、ユルが絡んだ瞬間、常識から外れます。
ある意味大物ですね。人がクマになった程度では怯みません。
次回、大悪魔二人を増やして、場面はユルに戻ります。





