03.仮面と麝香<ジャコウ>(後)
※注※ この作品には本当に微妙ですが、イジメに関する描写があります。それを念頭においてお読みください。
「あら、横田さーん!」
智恵子は近所に住んでいる主婦仲間・横田まみ子をスーパーのレジで見かけて声をかけた。
「あらぁ! 有働さん! どうしたの、こんな時間に!」
まみ子は近所でも有名な男勝りのオバサンとして有名だ。智恵子より4つ年上。
「いやね、娘が昨日から熱をちょっと出してて……。それでゼリーとかを買いにきたのよ」
「あらまぁ。いけないわねぇ。夏風邪かしら? 気をつけないと長引くわねぇ」
「ホントに。まったくただでさえ普段から手がかかる子なのに疲れちゃう」
「アハハハハ! 子供がいるだけでアンタ幸せなんだから、そういうこと言わない! 見てよ、行かず後家のあたしなんてもう50歳よ〜!」
「行かず後家ってまたまた。横田さん、声がデカいわよ」
「あらヤダ! あたしとしたことが。アハハハハ!」
まみ子の笑い声がスーパー中に響いた。
帰り道、まみ子はいつになく真剣な表情で智恵子に話し始めた。
「ねぇ、有働さん」
「なぁに? 珍しいわね、怖い顔して」
「最近の学校でのイジメ問題、どう思う?」
「イジメ問題ねぇ……かなり深刻よね。娘も高校に通ってるし、息子も今年から中学生。二人とも明るいから大丈夫とは思うけど、気をつけてあげないと」
「そう! その明るいっていうのが意外と危ないんですってよ!」
「え?」
まみ子は事細かに教えてくれた。
最近のイジメのタイプが変わってきていること。明るく、目立つ子ほどイジメを受けやすくなっているらしい。イジメの発端はくだらないことが多いが、なぜか成績のいい子、運動が良くできる子、それまで明るくてひょうきんで人気者だった子などが集中的に狙われているらしい。
「おたくの由貴ちゃんも聖一くんもよくできるでしょう。気をつけてあげたほうがいいわよ」
「そうね……これから気をつけてあげないと」
智恵子は改めて子供たちに気を配ってあげようと心に決めた。
「ただいま」
智恵子が帰ると、由貴が台所で洗い物をしていた。
「あら、由貴。体調は大丈夫なの?」
「うん……」
「ホラ、まだしんどそうな声をしてるじゃない。寝てなさい」
「うん……」
「リンゴゼリー買ってきたから食べなさい」
「うん……」
ずっと同じ返事。少し様子がおかしい。気にしすぎだろうか。
買い物袋を置いて炊事場へ立つと、まな板の上にマスクメロンがあるのに気づいた。
「あら! マスクメロンなんて高級なもの、どうしたの?」
「友達がくれた」
「まぁ! なんていう子?」
「蓮沼くんっていう子」
「初めて聞くわね。こんな高級なもの、良かったのかしら」
不意に、由貴がギュッと智恵子に抱きついてきた。
「ど、どうしたの?」
「……なさい」
「なに? ハッキリ言ってくれないとわからないわ」
「ゴメンなさい、お母さん」
震えながら涙を流し、由貴は言った。
「私、学校でイジメられてるの。だから、学校を休んだの……」
「本当なのか?」
父親の武が由貴に聞いた。
「本当……」
由貴はヒックヒックと言いながらも答えた。
「いつからなの?」
智恵子も泣きそうな声で聞いた。
「1週間くらい前……」
「どうしてもっと早く言ってくれないの」
「お母さんやお父さんに余計な心配、かけたくなかったから……」
「……由貴」
武がポン、と優しく由貴の頭を撫でた。
「子供はな、親に心配かけたくないとか迷惑かけたくないって思わなくていいもんだ」
「でも」
「子供はな、親にとってはいつまでも子供なんだ。就職して自活していけるようになっても、結婚して苗字が変わっても、子供ができても、由貴も聖一もお父さんとお母さんの子供なんだ。いつだって、相談しなさい。いつだって、頼りにしてきなさい。わかったか?」
「……はい」
「よし。母さん、すぐに学校に連絡を」
智恵子が立ち上がって電話をかけようとして、由貴が遮った。
「待って!」
武と智恵子が思わず動きを止めた。
「私、自分で解決したい」
「でも、いま言ったように迷惑だとかじゃないんだぞ?」
由貴は首を静かに横に振り、言った。
「私、一人じゃないから」
そういって、携帯電話を取り出し電話をかけ始めた。
「ん?」
ポケットでバイブを鳴らしながら電話がかかっていることに気づいた一樹は筋力トレーニングを止めた。
『有働』
出ようかどうしようか迷ったが、思い切って出た。
「もしもし」
『もしもし? 蓮沼くん』
「おう」
『今日はゴメンなさい』
「いや、俺も悪かったし」
『私ね、ずっと嘘ついてた』
「え?」
由貴は一呼吸置いて、言った。
『私、学校でイジメられてるの』
これはいうべきなのか。
一樹は迷った。けれど、言わなければ一生後悔する気がした。
「俺も、嘘をついてた」
『え?』
「悪ぃ、有働。お前がイジメられてるのを、見て見ぬフリしてた」
『……。』
由貴は何も言わない。罵られても構わないと思い、一樹は続けた。
「俺がイジメられるんじゃないかと思って、知らないフリをしてた。でも、心配になって見舞いって形でお前に近づいて……少し弱々しくなってるお前を見てたらなんか抑えらんなくって……それで、その……」
これじゃ本当にエッチなことしか考えてないヤツだと思われてしまう。でもいい。本当のことは全部言った。
しばらく由貴のほうから声が聞こえなくなった。でも、電話は切られていない。
不意に、突然声がした。
『好きです』
「えっ……?」
『貴方のことが、私は好きです』
一瞬、一樹のすべての思考回路が止まったような気さえした。
「有働……」
『イジメられてる弱い私でよかったら、付き合ってください』
「……。」
今度は一樹のほうから声が聞こえなくなった。
(やっぱダメか)
そう思ったときだ。一樹の低い声が返ってきたのは。
『死ぬ気で、君を守る』
それを聞いて、心臓が止まるかと思った。
「……蓮沼くん」
『意地でもお前を救って、幸せにしてやる。俺とお前の約束だ』
「……ありがとう」
『明日、絶対学校に来い。微熱があっても来いよ?』
その声はさっきまでの声とは違う、力のある声だった。
「はい」
由貴は嬉しさのあまり、涙声になっていた。
翌日。
由貴は教室の前に立っていた。今朝も微熱はあった。37度4分。それでも、勇気を振り絞って学校へ来た。
上履きは既に画鋲でいっぱいになっていた。それをすべてゴミ箱へ捨てて、いま由貴は教室の前に立っていた。
ガラガラガラッ――!
引き戸を開けると同時に、由貴をバケツいっぱいの汚れた水が覆いかぶさった。そのあとにガーン!と音を立ててバケツが頭頂部を直撃する。
「アハハハハ! やだ、汚〜い」
あの女子生徒が笑う。クラスメイトも同じように嘲笑している。
「かっわいそうに〜。有働〜、臭ぇなお前。俺がキレイに化粧してやろうかぁ?」
女子生徒にイジメるよう指示をしていた彼氏――首謀者の岩井 寿明が黒板消しを由貴の頬に思いっきりぶつけた。
しかし、その2秒後には寿明は「グェッ!」と声を上げて教室の中央へと吹っ飛んでいた。
「は、蓮沼くん……」
一樹の表情は恐ろしいまでに怒りを抱えた表情になっていた。まだ高校1年生なのに、抜きん出て背の高い一樹にクラスメイト全員が凍りつく。
「どういうつもりだ?」
一樹はクラスメイト全員を一瞥する。
「弱い者イジメなんて最低だと思わねぇのかよ!」
ガシャーン!と音を立てて一樹の前に並んでいた机と椅子が2つほど吹き飛んだ。引き出しの中に入っていた教科書やノートが散乱し、クラスメイトが悲鳴を上げてその周りから離れた。
「今後この学校でイジメなんてやってみろ。由貴に限らず、誰かをイジメたヤツは俺が実力でこの学校から追い出してやる」
寿明を睨みつけ、由貴をお姫様抱っこしながら一樹は教室を後にした。
「ねぇ、あんな乱暴して大丈夫なの?」
屋上へやって来た由貴は心配になって一樹に聞いた。
「大丈夫だよ。イジメするようなヤツなんて案外心の弱いヤツだし。チクる勇気なんてねぇさ」
一樹がいつものように屈託なく笑った。
「ありがとね」
「いいってことよ」
そういうと一樹は制服のシャツを脱いだ。下はタンクトップを着ているようで、昨日とは見た感じが少し違う。けれど、体格は相変わらずいい。
「それ脱げよ。そんで、俺の服、着とけ」
「うん……」
「俺はあっち向いてるから」
「うん……」
屋上で由貴は着替え始めた。
「たまにはいいな」
「えっ?」
一樹が反対側を向いたまま、伸びをしながら言った。
「いい子ちゃんの仮面を取って、暴れるのも」
クスッと笑いながら、由貴は一樹のサイズでぶかぶかのシャツを着た。
少し汗臭い、けど安心する一樹の匂いが由貴の鼻に届いた。




