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Invitation  作者: 一奏懸命
12/13

05.いいだろ、別に。(後)

「どういうつもりだったんですか?」

 翌日、ちえは校長室に呼び出されて教頭の尋問を受けていた。


 昨日、教頭の訪問を受けてすぐにちえは帰宅させられた。亮平が何度もやましいことはない、ただ先生はウチのために尽くしてくれただけだと必死に弁解してくれた。しかし、那美子は聞く耳を持たず、ちえに「明日、朝一で校長室に来てください」とだけ言って帰ってしまった。


 そして、今に至る。


「どういうつもりで、木戸くんの家なんかに入り込んだんですか?」

 那美子が繰り返す。ちえはおそるおそる続けた。

「木戸くんの家を、掃除してあげるつもりで行きました」

 こうしか言いようがない。本当のことでもある。

「人様の家に上がりこんで、一教師がなぜそんなことを?」

「話を聞くうちに、木戸くんの最近の粗相は家庭環境にあるのだと私は感じたため、彼のためにもまずは家の環境から整えてあげようと思って……」

「そんなことは」

 ちえが言い終わる前に那美子が遮る。校長は黙って聞いているだけ。

「そんなことは、保護者に任せるものです」

「しかし、木戸くんのお母様は現在、病気を抱えておられてまして……」

「なんですか? そんなに我が子に目が行き届かないほどの大病ですか?」

「……。」

 ここで病名を漏らしてしまえば、それこそプライバシーも何もあったものではない。ちえは口をつぐんだ。

「どうせ育児放棄と似たようなものでしょう。近頃の親には多いと聞きますからね。まったく、私たちの頃にはありえないことが次々と起こるものですよ」

「……。」

 ちえはあまりの那美子の発言に愕然とした。こんな人が教育に携わっているのか。現実を知ってしまい、一気に空しさが胸にこみ上げてきた。

 しかし、次の一言がちえの決意を決定付けてしまう。


「あなたもですよ、的場先生」


 那美子が呆れた様子でソファに座っているちえを睨みつけた。

「だいたいですね、あなたにはプライバシーの保護というものが頭の中にないんですか? 生徒の家に入り込んで……。木戸くんでしたっけ? 彼が本当に家に入っていいとでも言ったのですか?」

「もちろん、了解を得た上で……」

「しかし、保護者の方の了解は得ていないわけでしょう?」

「それは……申し訳ありませんでした」

「本当のことをそろそろ言ったらどう?」

「は?」

 ちえは一瞬、那美子が何を言っているのかわからなかった。

「何かやましいことが本当はあるんじゃないの?」

「なっ……」

 何を言ってるの? この人……。

 ちえの思考回路が鈍っていく。

「本当は木戸くんに何かやましいことを言われて貴女がホイホイ誘われて、あの家に……」


(よくもそんなことが……)


 バン!


 ちえは机を叩くようにして立ち上がり、乱暴に校長の座る机の上にあったペン立てから油性マジックを強引に引っ張って取った。その拍子にペン立てが音を立てて机から落ち、中身が床にぶちまけられた。

「的場先生!」

 那美子が止めるのも聞かず、そのままさらに机の上にあった資料を強引に取った。校長は驚いてオドオドするばかり。

「的場先生! 立場をわきまえなさい!」

 しかし、ちえの耳にその声は入らない。

 『辞表!』と太字でデカデカと書いて、ちえはそれを乱暴に机の上に置いた。

「は……?」

 さすがの那美子も唖然としている。

「本日付けで、辞めさせていただきます」

「何を言ってるんですか!? そんなこと……」

「手続きは大変でしょうけど、後はよろしくお願いします」

 校長は呆然とするばかり。校長室を去ろうとするちえの手を、那美子が引きとめた。

「待ちなさい! いったいどういう……」

「こんな!」

 ちえが大声で叫んだので那美子も思わず動きを止めた。

「こんな私を信頼できないんでしょう? 大人が信頼できないんじゃ、子どもたちが私を信頼してくれるはずもありません。教える資格もないでしょう? 大人にすら『やましいことをしている』と感じさせるような人は。教師としての資格なんて全然ありません。そうじゃないですか?」

「それは……さっきの話は言葉のアヤで……」

 那美子がしどろもどろになる。校長は相変わらず何も言わない。

 ちえはフゥッとため息をついた。

「とにかく、今日付けで失礼します。引継ぎは副担任の塩見先生にしておきますので。お世話になりました」

「ちょっ、的場せ……」

 バシン!と音を立てて校長室を出た。もちろん、さっきのように突然明日から来ないなんてことはできないだろう。けれども、今日のような出来事があった以上、よくて転勤、悪ければ教師生命すら危うくなる。

 それでも後悔はしていなかった。

 心残りといえば――。


「先生……」

 

 声がしたほうを向くと、今にも泣きそうな顔で亮平が立っている。

「木戸くん……」

「先生、辞めるの?」

 辞める、とは決まったわけではない。けれども、さっきの流れから辞職は避けられない。

「残念だけど……十中八九そうなると思うわ」

「俺のせい?」

「……そんなこと」

 言い終わる前に、亮平が泣き出した。

「ゴメンなさい……。俺のせいで、俺のせいで……」

 亮平はガクガクと震えて、しゃがみこんで泣き出してしまった。

「木戸くん。木戸くんのせいではないわよ?」

「でも、でも……俺が昨日、先生を家に呼んだから……」

「思い出して。先生が自分で行ったのよ。あなたのせいじゃないの。先生が全部悪いの」

「でも……べも……」

 そこから先、亮平の言葉は言葉にならなかった。

「先生、じきに辞めなきゃならないと思うけど……木戸くんは頑張れる?」

 フルフルと首を横に振った。

「頑張らないと。木戸くん、昨日はとてもいい顔してたじゃない。お母さんも元気になってもらわないといけないし、梨未ちゃんだっているじゃない? お兄ちゃんがしっかりしないと」

「……。」

「頑張って」

 ちえはそういって、すぐに亮平の前から離れようとした。


「先生」


 その声に振り向くと、その瞬間には亮平の唇がちえのそれに重なっていた。


「え……」

「俺、先生のことずっと好きだった」

 さっきの亮平とは違った、凛々しい澄んだ目でまっすぐとちえを見つめていた。

「先生が俺の家に片付けに来てくれたとき、嬉しかった。お味噌汁を作ってくれたとき、感激した。一緒にご飯を食べれたとき、夢じゃないかと思った――」

「……。」

「もう一度、言います」


 一呼吸置いて、亮平は言った。


「先生、好きです。付き合って、ください」


 突然、蝉の鳴き声がした。夕方に鳴く、静かな鳴き方をする蝉が駐車場あたりで鳴いている。


 ちえはクスッと笑い、亮平の頭を撫でた。

「ダメよ、ダメ……」

「なんで?」

「だってさ……」

 ちえの本音が出た。

「君が結婚できるのは、18歳でしょ?」

「うん……」

「そしたら、3年後でしょ?」

「うん……」

「あたし、もう26歳よ?」

「で?」

「オバサンじゃん」

 プッ、と亮平が笑った。


「それでも、好き」


「……。」

 参ったな。


 この子、本気だ。


「ダメよ、ダメ」

「またかよ」

 亮平が苦笑いする。

「君みたいな若い子は、もっといい恋しなきゃ」

「俺としては、先生への恋がいい恋だけど?」


 なるほどね。


 この子、純粋だ。


 なおさら、傷つけたりするわけにはいかない。

「それなら、もっといい恋、見つけなさい」

「……どうしても、ダメ?」

「当たり前、でしょ」

「そっか……」

 諦めたような目をした。申し訳ないが、今後の自分が保障されていない今の状況で、これ以上この子を困らせるようなことをやってはいけない。

「それじゃ、今日はもう帰りなさい」

 そういって、ちえは踵を返した。


「先生」


 つい忘れて、またやってしまった。


 ちえの唇に、亮平のそれが重なる。


「……アンタって子は」

 ちえが苦笑いする。

「いいだろ、別に」

 亮平が人懐っこく笑う。

「俺、やっぱ先生が好きだもん」

 

 負けた。


 この子、本気すぎる。


「……それじゃあ、あたしを振り向かせられるような男になりなさい」

「……約束するよ」

「じゃあ、ね」

 ちえが小さく手を振った。

「また、な」

 亮平が振り返す。

 それっきり、二人は振り返ることなく、それぞれの家路へと向かった。


 1週間後。


 ちえは予想どおり、瀬戸南中学校を退くことになった。朝礼の日、挨拶をするために体育館の舞台に立ったが、そこに亮平の姿はなかった。

 

 教室で、亮平は手紙を書いていた。


「俺、絶対先生の旦那になる! 目標20歳!」


 それを、ちえのカバンに忍ばせるために亮平は職員室へと向かった。

5人の男女が経験した、かけがえのない恋。お互いに惑わし合い、誘い合い――様々な形となった彼らの恋、そして愛の終局は……?

次話、終結します。

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