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Invitation  作者: 一奏懸命
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04.ごめんね(後)

 社員休憩室の中で椅子に座らされたまみ子は物珍しそうに室内を見渡した。

「こういうところ、なかなか入る機会がないですもんね」

 荘平は救急箱を探しながら話しかけてきた。

「えぇ。こういうところがあるのは知ってるけど、こんな部屋だったのね」

「汚い部屋ですいません、ホント」

「いいのよ。ウチのアパートの部屋のほうがもっと汚いわ。あたし、掃除ヘタだからねぇ」

「ハハッ! それをいうなら俺のほうがヒドいっすよ。いっつも母さんに怒られてます。部屋を掃除しろ、掃除しろってね」

「そ、そう……」

 ‘母さん’という言葉を聞いて、少し心が痛んだ。

 荘平の母親は、林さんの奥さんである他になんでもないのだ。まみ子はいわば荘平を‘捨てた’ような感じだった。世話を仕切れなくなったから、それを林さんご夫婦にお願いした。荘平を裏切ったと言っても過言ではない。


「あたしが、本当のアンタの母親だよ」


 そう言えたらどれだけ幸せだろう。しかし、その一言は荘平のいまの生活、そして今までの生活や想い出すべてを破壊する行為であることは間違いない。

 このまま言わないほうが得策だ。

「ちょっとしみるかもしれませんよ」

 救急箱から消毒液を出してきて、ティッシュで他の部分に垂れたりしないように押さえてくれている。ここまで気遣いのできる子になっていると思うと、嬉しくて仕方がない。

 思わず泣きそうになって、まみ子は目をギュッとつむった。

「昔……」

 荘平が懐かしそうに話し始めたのでそちらに意識を集中した。

「昔、俺も足に本当にちょっとしたヤツですけど怪我したらしいんですよ。本当に小さな赤ちゃんの頃……」

 まみ子の記憶が不意に鮮明に蘇った。


 あれは20年前。

 まみ子があの男と別れて初めのアパートへやって来たその日のことだ。カッターナイフや鋏を入れたダンボールに荘平が近づいてきて、それを見事にひっくり返した。鋏の刃が小さくやわらかい荘平の足を小さく切ってしまった。

 怪我はたいしたことがなかったが、驚いた荘平は大きな声で泣いた。

(大丈夫よ、大丈夫。お母さんが痛くないようにしてあげるからね〜)

 それでも泣き止まない荘平に、まみ子は言った。

(荘ちゃん、目をギューッとつむってごらん。ホラ、お母さんみたいに)

 まみ子がギューッと目をつむると、荘平もキャッキャッと笑ってマネをした。


「そう言ったんですよ、母親が」

「そう……。小さい頃の記憶って意外と残っているものなのね」

 それは紛れもない。まみ子と暮らしていたときの記憶だった。

「ねぇ」

 急に荘平の言葉遣いが敬語混じりのような感じでなくなった。

「横田さんも、同じじゃん」

「同じって……なにが?」

「泣きそうになったときに、目をつむる」

「……?」

 言おうかどうしようかためらっているのがわかる。しかし、荘平は口にした。


「俺の母親と、クセ、同じ」


 一瞬、何も音が聞こえなくなった。


 ドアの向こう側で続いているさっきの男の子への事情聴取。それに騒いでいるお客さんの声と雑踏。店のすぐ近くにある交差点の信号の音。車の音。何もかもが一瞬、聞こえなくなった。

 しかし、そのクセが同じなのは林さんの奥さんのことかもしれない。

「あら! そう! 珍しいこともあるのねぇ」

 言えた。ごくごく自然に言えた。不自然なところは全然ない。

「……。」

 荘平がポケットから1枚の写真を取り出した。

「横田さん。これね、俺が赤ちゃんの頃に母親と写ってる写真」

 まみ子は冷静さを装って写真を受け取った

 養子に出すとき、自分の小さい頃の写真がなかったら妙な疑いを持ってはいけないからと、まみ子やあの男の顔が写っていない範囲で荘平が写っている赤ちゃんの頃の写真を林さんご夫婦に渡しておいた。大丈夫。作戦はうまくいっているはず。

「カワイイわねぇ! 今のあなたもカッコいいけど、どおりでカッコよく育つハズだわ!」

「見て、ここ」

 荘平は右足の膝の部分を指差した。

 まみ子は高校生の頃、派手に階段から転げ落ちて右膝を大きく擦りむいたことがある。その傷は結局消えず、残ったままだった。

「さっき、傷テープ貼るときに見えた」

 思わずまみ子はその部分を手で隠したが、すぐに荘平の手でそれを離されてしまった。

「もう一枚、写真を見て」

 ゴクッと生唾を飲む音が聞こえそうなほど、辺りが静まり返る。

「俺の‘いま’の母親に傷はない」

「……。」

 こんなところで見破るとは。

 我が子ながら驚きだ。

「ねぇ、もういいだろ?」

 急に荘平がまみ子に抱きついてきた。

「俺をだまそうったって、そうはいかない」

「……。」

「知ってるぜ。義母かあ)さんが母さんに毎月手紙を出してることくらい」

「えっ!?」

「高校生の頃から知ってた」

「そんな前から……」

「だから就職した。母さんの家の近くにもあるアキオスーパーに。研修が終わったあと、母さんがいる近くのこの店に異動願いを出した」

「そんな……」

「全部、偶然なんかじゃなかったんだ」


 すべて見破られていた。


 自分はどうだ?


 嬉しさのあまり荘平の働く店に通うようになっていた自分。荘平はすべてを知っていたうえで、あんなに優しく接してくれた。それなのに、自分はどうなのだろう。すべてを隠して、他人のフリを通そうとしていたこと。


「ダメよ……」

「え……」

「あたしは、アンタの母親になんかなる資格、ないわ」

「なんで!?」

 荘平が半泣きになりながら聞いた。

「あたしは一度、アンタを‘捨てた’のよ!」

「俺は一度だってそんな風に思ったことはない!」

「アンタがなくたって、あたしがそう思っちゃってるの! どうしようもなく会いたかったけど、アンタを裏切るようなマネをしたあたしが受け入れられるハズないのよ、今さら!」

「……。」

 荘平が寂しそうにまみ子を見つめた。

「ごめんね、荘ちゃん」

 そういってまみ子は社員休憩室を飛び出した。

「待って!」

 荘平が止めるのも聞かず、まみ子は店を飛び出した。


 翌日。


 今日はアキオスーパーのセールの日だ。

 しかし、もう顔を出せるハズもない。

 まみ子はため息をついた。

「今日は燃えるゴミの日か……」

 ゴミ箱からゴミ袋を取り出し、玄関のドアを開けて外へ出たときだった。


「今日はセールの日、ですよ」


 振り向くと、荘平がいつものエプロン姿で立っていた。

「……。」

「ご案内します。ついてきていただけますか?」

「……はい」

 まみ子は目をギュッとつむりながら答えた。


 スーパーへ向かいながら歩く途中、まみ子が言った。

「今日、ウチへ来ない?」

「えっ?」

「汚いけど」

 荘平がしばらく考えた様子で次に言ったのは、思わぬ発言だった。

「誘惑してんの?」

「バカ言うんじゃないの」

 スーパーの入り口に立ったときにまみ子は続けた。


「あたしたちの今後を、しっかり考えたいの」


 荘平は何も答えなかったが、ギュッとまみ子の手を握ってくれた。

 それだけで、答えをもらったような感じがまみ子にはしていた。

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