第1話:作戦開始時刻、午前0600――絶対防衛圏『我が家』の朝
作戦開始時刻、午前0600(マルロクマルマル)。
暗闇の中、私の脳内に アラーム音という名の出撃ラッパが響き渡る。
まぶたを開けた瞬間から、 私の戦場はすでに始まっていた。
「……フェーズ1、無音起動」
隣で大イビキをかいている巨大生命体―― コードネーム『夫』を刺激しないよう、
ベッドの軋み音すら立てずに離脱する。
彼を起こせば 「今日の俺の靴下どこ?」という 不必要な通信障害(無駄話)
が発生し、我が国の朝の標準タイムテーブルが 3分遅延するのだ。
この数分の遅れが、 のちの『登園拒否』という 壊滅的パンデミックを引き起こす
バタフライ・エフェクトとなる。
私は忍び足で司令部へ潜入。
照明を点灯させると同時に、 戦略物資の供給システムを起動する。
「湯沸かし器、点火。炊飯器、保温解除―― これより
『朝食及び弁当供給作戦』を開始する」
今日のメインミッションは、 最重要要人(コードネーム:5歳児&3歳児)
の 体内エネルギー充填。
だが、彼らは極めて気まぐれな同盟国だ。
昨日まで「卵焼き大好き!」と絶賛していた舌の裏で、 今日は「黄色いの嫌い」
と宣戦布告してくる。
私は冷蔵庫という名の兵糧庫を開き、 瞬時に戦況を分析した。
「卵、残数2。ウィーンナー、残り3本。……
くっ、 緑の補給物質が尽きている……!」
彩り(見た目の満足度)が低下すれば、 要人たちの士気(食欲)は著しく低下し、
食卓での【拒否権発動】という 泥沼の膠着状態に陥るだろう。
私は迷わず、冷凍庫の奥から最終兵器――
『星型にカットされたアンパンマンポテト』を召喚した。
「よし、これで制空権(子供の機嫌)は確保した」
コンロでフライパンが激しい咆哮を上げ、 油が跳ねる。
同時並行で、洗濯機という名の 重力制御装置に衣類を投入。
柔軟剤の投入タイミングを見極めつつ、 リビングに散乱する地雷――
『レゴブロック』の危険物処理(片付け)を 足の裏で手際よくこなす。
マルチタスクは、熟練の防衛司令官である 私にとって呼吸と同義だ。
「よし、朝食の配給準備完了。……時刻は 0630(マルロクサンマル)。
要人起こし(フェーズ2)へ移行する」
私は廊下を進み、子ども部屋のドアを静かに開けた。
ベッドの上では、5歳の長男 (コードネーム:リク・ザ・ディストロイヤー)と、
3歳の長女(コードネーム:プリンセス・メイ)が、
天使のような寝顔で丸まっている。
だが騙されてはいけない。
この天使たちは、目覚めた瞬間に 圧倒的な破壊力を持つ怪獣へと変貌するのだ。
「リク、メイ、朝よ。 美味しいアンパンマンのポテトがあるわよ」
優しく声をかける。 これが一番安全な起動シーケンスだ。
しかし、次の瞬間――。
「――ママァ! オシッコ漏れたー!」
長男の口から発せられた緊急入電(SOS)!
シーツへの浸水! バイオハザード発生だ!
同時に、玄関のインターホンが 「ピンポーン!」と高らかに鳴り響く。
置き配の配達員か!
さらに追い打ちをかけるように、 洗面所から寝ぼけた『夫』の呑気な声が
聞こえてきた。
「ねえ、俺のワックスどこ? あと今日のハンカチ取ってー」
危機の重畳。
前線、中央、後方のすべてで 同時にトラブルが勃発した。
常人ならばパニックを起こし、 頭を抱えて崩れ落ちる場面だろう。
だが、私の唇には不敵な笑みが浮かんでいた。
「フッ……想定の範囲内だ」
私はエプロンの紐を強く結び直し、 司令部から前線へ向かって疾走した。
「夫(お父さん)! ハンカチは洗面所右の引き出し2段目! ワックスは自分で探せ!
3秒以内に動かないなら 今日の夕飯は白飯のみとする!」
「ひッ、はいっ!」
「メイ! 兄の緊急事態につき、 あなたは自分で靴下を履きなさい!
成功報酬としてポテトを+1個与える!」
「メイちゃん、自分で履けるもん!」
指示を一瞬で飛ばし、私は濡れたシーツを剥ぎ取りながら
長男をトイレへと叩き込む。
その足で玄関のインターホンに応答し、 置き配の受領を完了させた。
タイムロス、わずか1分45秒。
未曾有の同時多発危機を、 私は完璧なコマンドさばきで鎮圧してみせたのだ。
バタバタとリビングに集まってくる家族たち。
食卓に並べられた朝食を前に、 長男と長女が「ポテトだー!」
と歓声を上げ、 夫が「アオイ、今日も朝からすごいな……」と
感心したように呟く。
時計の針は、午前0700(マルナナマルマル)を 指していた。
私は冷めたコーヒーを一口すすり、 静かに窓の外を見つめる。
朝の第一波は退けた。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
このあとは幼稚園への『輸送作戦』、
そしてスーパーでの『半額シール争奪戦』が控えているのだから。
専業主婦、朝倉葵、32歳。
我が家という名の絶対防衛圏を守るための壮絶な1日が、 いま幕を開ける――!
(第1章 第1話 終わり)
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