S判定の弟子
深夜の地下教室に、予期せぬ来訪者があった。
テオの探知連句が地上の振動を拾い、「誰か一人、こちらに向かっている」と警告を発した。
全員が訓練を中断し、配置についた。ライナーが入口の螺旋階段前で杖を構え、クララが天井近くの影に身を潜め、テオが床に掌を当てて足音の位置を追跡する。
ティアとエルネストは教室の奥に退き、レオンハルトが入口正面に立った。
錆びた鉄扉が、きしみながら開いた。
カンテラの光に照らされた顔は——
「ディルク……ヴァイス?」
ティアが息を呑んだ。
S判定の雷属性。学院最強。武闘祭の優勝者。あのディルク・ヴァイスが、一人で地下教室に現れた。
長身に鉄色の目。無表情。だが、敵意はなかった。
レオンハルトの碧眼が鋭く光った。
「何の用だ、ヴァイス」
「話がある。ラングに」
「管理部の犬として来たのか」
「違う」
ディルクの短い否定に、レオンハルトは数秒間目を細めた。嘘を探す目。——嘘は見つからなかったらしい。レオンハルトが半歩退くと、ディルクは地下教室に足を踏み入れた。
生徒たちが緊張で固まった。S判定の魔力圧が、地下空間に満ちる。何もしていなくても空気が重い。
エルネストが前に出た。
「よく場所が分かったな」
「君たちが出入りする夜のパターンを十日間観察した。ポンプ小屋を使っていることは三日目に分かった。あとは待つだけだ」
「——十日間。管理部にも同じことができるということか」
「管理部は夜間の張り込みに人員を割く余裕がない。鎮語官は別だが、鎮語官はまだ王都に到着していない。俺が知る限りでは」
エルネストは椅子を引いた。
「座れ。話を聞こう」
ディルクが腰を下ろした。生徒たちの視線が突き刺さっているが、彼はまるで気にしていなかった。
「武闘祭の決勝。君たちの氷の大槍が、俺の雷を貫通して右肩を掠めた」
「ああ。結果は負けたがな」
「あの瞬間、俺はS判定として初めて——傷をつけられた。学院に入ってから五年、対人戦闘で一度も負傷したことがなかった。あの時、初めて『強い』と思った相手がいた」
「……」
「俺は強い魔法を集めるのが好きだ。強い技術、強い理論。君の文法修正は——俺がこの学院で出会った中で、最も『強い』知識だ」
ディルクの鉄色の目がエルネストを見据えた。
「教えてくれ。俺に、正しい古代語の文法を」
地下教室が静まり返った。
レオンハルトが口を開いた。
「ヴァイス。お前がここにいることが管理部に知れたら、学院最強のS判定が禁止された技術に手を出したことになる。お前の立場がどうなるか、分かっているのか」
「分かっている。だから一人で来た。パートナーのゾフィーにも言っていない」
「リスクを承知の上で、か」
「強くなるためなら、リスクは取る。それだけだ」
エルネストはしばらく黙ってディルクを見つめていた。
S判定の魔力——修正呪文を使えば、その威力は計り知れない。現時点で学院最強のディルクが文法修正を習得すれば、火力的には王国軍のA判定部隊すら凌駕する戦力になる。
同時に、S判定の生徒が地下教室に加わったという事実は、管理部への強烈なメッセージになる。
だがリスクもある。ディルクが密告者でない保証はどこにもない。
「レオンハルト」
「ああ」
「ディルク・ヴァイスの素性。フラム家の情報網で——」
「調べる必要はない」
レオンハルトが遮った。
「俺はヴァイスを三年間見てきた。こいつは政治に興味がない。家柄にも権力にも興味がない。あるのは純粋に——強さへの執着だけだ。密告するような奴じゃない」
「保証するのか」
「保証はしない。だが俺の直感は保証する」
エルネストはディルクに向き直った。
「一つだけ条件がある」
「何だ」
「君が学んだことを、いずれ他の生徒にも教えること。知識を独占しないこと。それが、この教室の唯一のルールだ」
ディルクは一瞬、考え込むような表情を見せた。
「……教えたことはない」
「なら学ぶところからだ。教え方も含めて」
「……分かった」
ディルクが立ち上がり、他の生徒たちに向かって——不器用に、頭を下げた。
「ディルク・ヴァイス。S判定、雷属性。……よろしく頼む」
ライナーが口を半開きにしていた。学院最強のS判定が、自分たちと同じ教室で学ぶ。しかも自分と同じ雷属性。
「あ、あの……ヴァイス先輩」
「ディルクでいい」
「ディ、ディルク先輩。僕の……振動詠唱、見てもらえますか」
ディルクの鉄色の目が、かすかに興味の光を帯びた。
「見せてみろ」
ライナーが杖を構え、「ルルルルルルルゥッ!」と指向性雷撃を放った。地下の石壁に雷の柱が突き刺さる。
「……面白い」
ディルクが呟いた。学院最強が「面白い」と言った。ライナーの顔が紅潮した。
エルネストはその光景を見つめながら、ノートの数字を書き換えた。
『5 → 13 → 14。——S判定が一人加わった。それは数字以上の意味を持つ』




