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日記4 星に願いを

「お星様にお願いをしようか」


数年前、満天の星の下で私に優しくそう告げたのは私の母親だった。


「お星様に願いをかけるとそれが叶うのよ」


「流れ星じゃないの?」

幼い私がそう問うと、母は柔らかく微笑み、首を横に振った。


「流れて去っていく星なんて信用できないわ」


私の母は生粋のイギリス人だ。

金髪に青い瞳。

私はそのうちのいずれも継ぐことがなかったが、遺伝の法則が正しいのならば私にはイギリス人の血が半分は流れている。


母は向日葵の柄の入った膝丈のワンピースを着ていた。


一方で私はあの時確か紺色の生地に金魚が描かれた浴衣を着ていたはずだ。


「星は常に寄り添っていてくれるものよ」


そう言って笑う母はもういない。


私の脳裏に焼き付いた母の笑顔は病気のせいで永久に失われてしまった。


小学生に入る頃まで私は孤児院に入っていた。


身寄りのない私を預かってくれる親戚はいなかったし、父親の存在には母もあまり触れることがなく関わりもなかったので、私を預かってくれる人は誰1人いなかった。


端的に言うと、私は母を愛していたと思う。

確信が持てないのは私があまりに小さくて記憶が曖昧だからだ。


それでも鮮明に思い出すのは満天の星空のあの夜だ。


父が死ぬ数日前、私は父にくだらない懺悔をされた。

私の母と父はロンドンで偶然出会った。


日本から来たばかりで土地勘のない父が道に迷い、偶然通りかかった母に案内された。

それがきっかけだったらしい。


父と母は恋をした。

父には妻がいたが彼はそのことを完全に伏せて交際していた。


しかし数年後、妻に不倫が見つかり、父は逆上した妻から守るため日本に母を避難させた。


おそらくその時にはお腹の中に私が眠っていたはずだ。


これがキミの出生の秘密だ、と誇らしげに語られるのは妙な気分だった。

誇れるものでは決してないし知りたくもない。


気が付くと朝が来ていた。

屋敷には大勢の各界著名人が集まっていた。

父が何の仕事をしていたのかは知らないが、誰もが仕事上の付き合いで葬儀に参列しに来ていたようで淡々としていた。


声を上げ、涙を流していたのは兄弟達だけだった。


葬儀の準備が着々と進む中、私は部屋の中で傷だらけの膨れ上がった顔を濡れたタオルで冷やしていた。


何故居候の分際で手伝わないのかと陰口を叩かれているだろうが、手伝ったところで邪魔だと罵られるだけだろう。


私は騒がしい階下の声を聞かないように努めて、タオルを片手に握りながら2階の自室から窓を眺めていた。


今夜莫大な資産が手に入る。

そうすれば養母に私は迎え入れてもらえるはずだ。


さらに私はあの兄弟達の狂気に近い感情を受け止める必要もなくなる。

私が正式に後継者になれば、この屋敷は私の城となる。

私が気に入った者だけを招き、気に入らない者を追放できる。

そうすればもうこんな酷い思いをすることもない。


思わずほくそ笑んだが、顔の筋肉に激しい痛みが走り、すぐにその脆い笑みは崩れた。


ぼんやりと外の世界を眺める。私の眼に映るものはいつも同じだった。


整備された芝生、風に葉を揺らす木々、森を抜けた場所にある学校。


自ら選んだような道だったけれど、改めて振り返ると何かに導かれ何かに追い出されるように私はここにいるような気がする。


しばらくの間眺めていると、老犬がよろよろと庭に入ってくる姿が見えた。


「ノエル…?」


出会って数ヶ月が経ったが、夕方以外に姿を現したのは初めてのことだった。


それが私の胸騒ぎを誘ったのかもしれない。


不吉な予兆を僅かながら感じつつ、私はひっそりと庭へ走った。


ノエルは口元から粘性のある黄色い唾液を出していた。

悪臭がするし、明らかに眼の焦点も合っていない。

汚いし醜いけれど、ノエルは私にとって大切な友達だから、見捨てたりは絶対しない。


「最期に会いに来てくれたんだね」


私は直感で分かっていた。

彼は死期を間近に迎えていて、最期の時にわざわざ私に会いに来てくれたのだ。


ノエルは私に寄り添うように座った。


黄色い唾液がベロリと私の足に付いたけれど気にならなかった。


むしろ私にとって今目の前にいる友の命の灯火が消えようとしていることが耐えがたい苦痛だった。


いつ事切れてもおかしくないと思った。

ノエルの呼吸は弱々しさを乗り越えて、必死に行わなければ成し得ないものに変わっていたからだ。


寿命なんだ。


そう自分に言い聞かすけれど、納得できない自分が居座り続ける。

自然と止めどなく涙が溢れてきた。空に向かって大声を上げて泣きたいと思った。


「何をしてるんだ」


突然礼服を着た次男が私を見つけ英語で声をかけてきた。


不機嫌さが表情に浮かび上がっている。すぐに次男は瀕死の老犬に気付いた。


ノエルは首を動かすことなく次男を見て、小さく唸った。


「うわっ。なんだコイツは…!」


次男はノエルを見て嫌悪感を露わにした。

彼はすぐに大声を出して召使いを呼んだ。


「誰か来てくれ!」


犬一匹に騒ぎ立てる大人の方が醜いと思った。

言うまでもないと思うが、彼は死に際の犬を救うために人を呼んだわけではない。


次男の声に呼ばれて召使いの女と、葬儀屋の男がやってきた。


「何事ですか?」


「この犬を捨ててきてくれないか?汚いし臭いし病気になりそうだ」


顔をしわくちゃにしながら次男は騒ぎ立てた。

英語が早くてよく聞き取れなかったが、ニュアンスは合っているはずだ。


「あら、本当ですわね」


調子よく相槌を打つ召使いを私は睨んだが効果はない。

召使いは日々の暮らしでどちらにつけば都合良いか知り尽くしているのだから。


「おまえが連れてきたのか?」


次男の冷たい視線が私の方へ向けられる。

私が黙っていると凄みのある声で再度問われた。


「そうなんだろう?」


私が連れ込んだというのは強ち嘘ではない。

ノエルは私に会いに来てくれたのだから。


「そうです」


私が認めると、次男は嬉しそうに笑った。

まるで殺人犯の尻尾を掴んだように満足そうに笑った。


その歪んだ笑みは長男に酷似している。


「やはりか。汚らしい犬をこの屋敷に入れるなど、正気の沙汰じゃない。魔女は父さんを死なせたいだけじゃなく、死んでからも冒涜したいみたいだな」


騒ぎを聞きつけて、残りの長男、長女、次女もやってきた。

傍らでじっとうずくまるノエルはまだかろうじて生きている。


「どうした」


「兄さん!こいつだよ。またこの魔女が僕らに嫌がらせをするんだ」


こんな会話は日常茶飯事で、今更どうにも感じない。

ただ私はノエルの最期の場所を守ってあげたいと強く思っていた。


「この汚らわしい魔女め!もう許せないぞ」


周囲に威厳をまき散らしたかったのか、己の正当性を訴えたかったのかは分からないが、長男はいつもよりも大きな声を出して拳をふりあげた。

その様子を誰もが興味深げに眺めていた。


私は殴られて数メートル吹っ飛ばされた。


しかし兄弟達はノエルを囲むようにして立っていたので、私はすぐに起きあがって老犬に駆け寄り、ノエルを覆うようにして庇った。


「早く捨てないと病原菌をまき散らすぞ」


「汚らしい犬!いやだわ」


次々に言葉が浴びせられる中で、私の頭の中には様々な想いが交錯していた。


『何故このクズのような人間が生き、優しくひたむきに生きるノエルが死ななければならないのだろう。人間の寿命が犬の寿命より長いというだけで、何故こんな不条理が成立するのだろう。何故ノエルにふさわしい死に場所すら用意されない世界に、私は生まれてしまったのだろう』


何度も何度も想いが巡るうちに、歪んだ願いが私の脳裏に浮かんだ。



そしてその願いは聞き届けられた。



「分かったよ。それがマリルの願いなんだね」


聞き覚えのある声がした。


いつもより鮮明なその声に違和感を覚え顔を上げると、見覚えのない人が笑みを浮かべて立っていた。


顔ははっきりと見えなかった。

少なくとも私の記憶の中ではまるでモザイクをかけているかのようにぼやけているが、それはあくまで「どんな顔か覚えていない」だけかもしれない。


「叶えてあげるよ」


そう言って無邪気に小さく笑った。



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