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日記2 魔女と老犬

「マリル、会いたかったよ」


青白い顔をして全身に管を通し病床に伏しているのは、私の実の父親と思われる男だった。私にとって血の繋がりという概念がイマイチ分からない。「血が繋がっています」と言われたところで、見知らぬ男である点には変わりはない。


「アンナにそっくりだな。可愛いなぁ」


父は弱った身体を起こし、私の頬を触った。同時にざらついた唾が私の喉元を通った。父と対面する前に、事情を知らない私に対して執事と思われる老人が説明をしてくれた。


「青木マリル様。貴女が何故イギリスにいらっしゃることになったかご存じですか?貴女は忍海タツヤ様のご息女なのです。しかしタツヤ様はご病気で長くはありません。そこでタツヤ様は貴女に財産を全てあげたいと申しています」


何故私に?と問う前に老人は答えた。


「タツヤ様は貴女のお母様であるアンナ様をとても愛していらっしゃいました。実はアンナ様は正式な奥様ではありませんでしたが、旦那様は正妻であるミシェル様よりもアンナ様を愛していらしたのです」


私は冷めた面持ちで執事を眺めていた。突然大人の事情のドロドロを見せつける不躾な男だと思った。要するに私は愛人の娘であり、莫大な財産を持つあの男は金をちらつかせて、今更父親面しようとしている、ということだ。


「私は言われたままにここへ来ただけです。私の母親が誰で父親が何をしたいかも関係ありません」


私は養母にお金を渡せたらそれでいいのだ、と心の中で付け足した。私が父親を前にして歓喜の涙を流すとでも思ったのか、執事はすぐさま父親の元へ私を連れていった。言うまでもなく涙など流れなかった。


私には異母兄弟が4人いた。皆成人して働いていて、誰もが私に似ていなかった。父親の枕元に座り、涙を流す女性は私から見ても嘘泣きだと分かった。皆、突如対抗馬として現れた私を疎ましく思っているようだった。何故愛人の産んだ幼い娘が候補者なのだと憤っているのも見ていて分かった。


「マリル。今からでも遅くはない。帰ろう」


誰にも見えない友人は私にそう告げた。


「ダメだよ。私には今お金が必要なの」

「マリル。彼らは今マリルに殺意に近い感情を抱いている」

「彼ら?」

「あの4人だ。彼らはこのまま黙ってはいないだろう。マリルに災いをもたらす。絶対にだ」


私は彼の言葉を鵜呑みにしなかった。彼の言葉を信じないわけではないが、私には手ぶらで帰る場所などない。養母に喜んでもらうためには、それに伴う危険など構っていてはいけない。


私は父親に屋敷の一室を与えられた。毎晩父親の部屋へ顔を出すように言われたこと以外は特別な拘束を受けなかった。部屋は日本の自室の4倍はある広さで、財産が手に入ったら、この屋敷で養母と暮らそうと思った。


しかし、数日も経たないうちに、友人の不吉な予言は現実のものとなった。

4人の兄弟は結託して私を虐め、追い出す計画を実行した。彼の言うとおり「殺意に近い感情」を剥きだして私に辛く当たった。暴力を振るうこともあったし、陰湿な嫌がらせに近いことをされたりもした。


私が通うことになったイギリスの中学校でも私は独りぼっちだった。確かに友人の言葉は現実のものとなった。


私が父に会って以来、父の病態は明らかに悪化した。それを理由にして私は彼らに魔女と呼ばれるようになった。


苦痛な毎日を送っていたが、やがて私に友達が出来た。彼らが仕事へ行き屋敷には私と召使いのみがいた。

私が屋敷の庭でぼんやり座っていると、見知らぬ犬が舞い込んできた。とぼとぼと足を引き吊りながら歩く老犬はやせ細っていて今にも死に絶えそうだったので、私は屋敷の中の調理場に侵入し、冷蔵庫の中にあった太いウィンナーを盗んで犬にあげた。


犬は鼻息をあらげながら一瞬でそれを平らげた。

随分お腹が空いていたのだろう。


その老犬は眼が鋭く精悍な顔つきをしていたので犬ではなく野生の狼かと推測したが、私にはその違いが分からなかった。毛並みが荒れていて、泥や何かしらの血で汚れていたので私は老犬を庭のホースから水を出して丁寧に洗った。


毛は血液でガチガチに固まっていて、洗い終わるのに2時間もかかったが、嫌がることもなく老犬は大人しく穏やかな表情で私を見つめていた。


「あなた、誰かに飼われているの?迷子なの?」


答えを期待するわけでもなく私は犬に囁くように問いかける。私の声に耳を貸しながら、老犬は虚ろな視線を地面に落とした。褐色の汚れが取り除かれ、老犬の毛が灰色であることがようやくわかった。


「私、マリルよ。あなたは?」


犬は首を擡げたまま、視線だけを私に向ける。名前なんてないよ、必要ないよ、と首を竦めているように見える。


「名前、私が付けてあげるよ」


老犬は明らかに先が長くないことは分かっていた。心の端で死ぬ間際の命に名前を与えることの空しさを咎める自分がいたが、私は見て見ぬ振りをした。


何かを感じ取ったのか老犬は首をすっと立てて私の方を見つめる。しなやかな毛並みが僅かに輝いたように見えた。


「あなたはノエルよ。ねぇ、私の友達になってくれない?」



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