会いたくて 会いたくて
遅れました。すみません
子供がはしゃいで走り回り、そこかしこで楽しそうな声が聞こえる。ふと顔を上げると、そこには遠く伸びた青い空が、どこまでも広がっていた。私が、命を掛けて守ろうとしたものが、ここにはあった。
「どうした、シルヴィア?」
「え、あ、いや、何でもない……」
ヴァンは怪訝そうに首を傾げたが、すぐに興味が路肩にあった魔道具屋へと移ってしまった。
私が魔王城から助け出されて、二週間が経過した。魔王との戦いに敗れ、魔王の手に堕ちた私を、この国の人間は見捨てなかった。魔王に大した攻撃も与えられず、ボロボロに負けた私を、命がけで助けてくれたのだ。感謝してもしきれない。戦う以外能が無く、愛想良くすることもできず、特別美人という訳でもない私は、こういった人の優しさに助けられてきた。
村を魔物に襲わたとき、私は母に頼まれて森に野苺を取りに行っていた。帰って来た時には、村は死屍累々といった情景だった。母に父が覆いかぶさるようにして、二人一緒に家の下敷きになって死んでいた。父が母を庇ったのは見るまでも無かった。騎士が駆け付けた時には、すでに村に居た生存者は、広場で茫然としていた私だけだった。
心にぽっかりと穴が空き、そこに冷たい風が轟々と吹いていた。聖教会の孤児院でも、私は毎日固いベッドの上で、薄い毛布を被って蹲り、ただただ無為に日々を過ごしていただけだった。
転機が訪れたのは、一年後のことだった。孤児院に王国の騎士団長が視察に来たのだ。その人は毎年孤児院に来ては、数人を騎士団にスカウトするのだった。子供達が騎士団長に群がり、お菓子をねだったり、面白い話をしてほしいとお願いしたりするなか、部屋の隅でボーっとしていた私のところへ、その人はスタスタと歩いてきた。
『何故、そんなところに居るんだね?』
優しい声色でそう聞いてきた。私は一言、分らないと答えただけだったと思う。
『自分のことなんてどうでもいいと思っているだろう? だから、自分がどうしてそこでそうしているのかが分かっていない』
その頃、人の話なんて耳に入らなかったのだが、その人の言葉だけは、妙に心に残った記憶がある。
『僕と一緒に来ないかい? この世界は君が思っているよりも広く、暖かく、そして優しいのだよ』
その日から、私は変わった。周りを見ると、自分を心配してくれる人が、思った以上に居た。ぽっかりと開いた心の穴に、一筋の温かい光が射した気がした。
騎士団に入り、剣術と魔法を学んだ。男に負けてはいけないと、人の三倍の訓練を死に物狂いで受けた。両親を虫けらのように殺した、魔物を、魔族を、魔王を倒すために、そしてこの暖かい世界を守るために。
努力の甲斐あってか……いや、運が良かったのだろう。私は勇者に選ばれた。私には魔力が宿っておらず、聖魔力というものが宿っていた。これは魔族の肉体と魂に直接ダメージを与えることができ、宿している者は世界でも六人ほどしか居ない。その価値を、国の上層部が買ったのだった。
「おい、シルヴィア!」
「え!?」
ハッとして顔をあげると、龍の鎧を着た赤い髪の戦士と、水色のローブの少女、そして純白の神官服をきた青年が、心配そうにこちらを覗いていた。
勇者になってから、仲間という物を知った。赤髪のヴァンは、王国で一番の闘剣士をしていて、剣術なら人類最強と謳われる男だ。熱血漢で、困っている人は放ってはおけない性格をしている。その性格で、私は何度も助けられた。魔法使いのカミーユは、神子と呼ばれる者たちの一人だ。魔力災害がきっかけで、魔力総量が以上に多い。その副作用か、背が低く、あまり言葉が得意ではない。しかし、いつも私の相談を黙って聞いてくれる、大切な親友だ。神官のクラウスは、ルノワール王国の聖教会の聖地から来た、類まれな回復魔法の才能を持つ男だ。このパーティ最年長で、頼りがいのあるリーダー的存在である。誰とでも分け隔てなく、慈悲と愛を持って接している、心の優しい人である。
「……どう、したの?」
「最近変ですよ。ボーっとしたと思ったら顔を真っ赤にしてじたばたしたり、さらには街中で突然素振りしたり」
「何かあったのか?」
ずいずいと迫ってくる仲間たちに、私は一歩たじろいだ。
「な、何でもない。少し……疲れてるだけ、だ?」
「……何で、疑問系……?」
「……そうか。まあ、あんまり深くは聞かねぇけどよ、悩みがあるなら、ちゃんと話せよ?」
「そうです。私達は、仲間なんですから」
「みんな……あ、ありがとう」
それは心からの感謝だった。三人は、ニッコリと笑った。
私が魔王城から帰ってきたあと、国や聖教会の上層部では、随分と議論が交わされた。
『勇者様がお戻りになられたのは喜ばしいことだが、本当に大丈夫なんだろうか?』
『ああ、帰ってきたと言っても、もうすでに傷物になってからだろう? 聖魔力というのは、清い体でないと力が弱まると聞いたことがあるが……』
『それは迷信だ! 現に彼女は、先日の騎士団との模擬訓練でも実力を示した。彼女の力は弱まっていない!』
『うむ。それは魔力検知水晶でも実証ずみじゃよ』
『いや、問題はそうじゃなくて、彼女が魔族側に洗脳されていないかですよ』
『なんだと!?』
『貴様! シルヴィア様を愚弄する気か!』
『だって、それがないとは言い切れないじゃないですか!』
それを切っ掛けに、その部屋は怒鳴り声でいっぱいなる。聴力強化で、盗み聞きした内容は、こう言ったものだった。彼らの危惧は痛いほどわかる。私ほどの力を持った者が、魔族の洗脳を受けたとなると、それではただの自爆装置でしかない。早々に切ってしまいたい者も、中には居るのだ。
魔王を倒し、一件落着かと息をつきそうになったその時に、次代の魔王が即位してしまった。張詰めた緊張がやっと解けると思っていたところ出来事だ。苛立ちと疑心暗鬼が出てくるのも無理はない。
しかも、聖教会には、聖女や勇者は処女でないといけないという者も少なからずいて、なまじ影響力が強かったりもするのだ。そう言う輩からしたら、忌まわしき魔王に犯された私は、何の価値も無いのだろうな。
『ここで仲間を見殺しにするか、我の物になるかだ』
膝を付く私に、邪悪な笑みを浮かべながら、彼はそう言った。未だかつてない憎悪が、私の心を支配するが、私にはもう、魔王の物になるしか選択肢は無かった。すぐ横では、仲間達が磔にされ、魔王軍が槍を向けていたのだ。
『……わ、分った。私は、お前の物になろう』
喉の奥から絞り出すように、私はそう言った。悔しかった。憎かった。悲しかった。握りこんだ拳からは、気が付けば血が滲んでいた。これから私は、魔王によって辱めを受けながら惨めに死んでいくのだろう。
しかし、魔王城での扱いは、私の想像を裏切るものだった。
私に見たことも無いような色々なドレスを着せ、小一時間眺めたり、私の大好物を並べて、私が食べるところをただ眺めていたり。魔王が何をしたいのかは分らなかったが、終始嬉しそうにしていたのは分かった。メイド服を着せたのに仕事をさせず、猫耳を付けさせて変な言葉づかいを強要されたが、酷い拷問を受けることは無かった。
私は混乱した。こいつが本当に魔王なのだろうか、この拍子抜けするほど明るく笑う青年が。剣を交わしていた時の雰囲気とは、百八十度変わっていた。そんな彼が、残虐非道で、人の命を虫けらのように踏み潰す魔王なわけがない。別人ではないかと本気で疑ったが、どこからどう見ても、命を掛けて戦った魔王に、間違い無かった。
『君は俺の物だ。仲間じゃなくて、妃にしたい』
真剣な表情で言う魔王。勇者として色々な人々と触れ合ってきた私には、その言葉が本気だということが容易に分かった。それだけに、私はパニックに陥った。だって、おかしいじゃないか。魔王は精霊たちの住む森を壊した。魔王は罪のない人々を虐殺した。そして魔王は、私の両親を殺したんだ。魔王が、こんなに人間らしく笑うわけがない。何かの間違いだ。魔王は何か企んでいるんだ。
しかし、その考えも、彼の屈託のない笑顔を見ると、どこかへ吹き飛んでしまい、あとに残るのは言い知れぬ気恥ずかしさだった。
魔王城での監視の目は緩かった。それどころか、私をつける影は皆無だった。しいて言うなら、身の回りの世話をするメイドくらいだが、見たところ彼女達の戦闘能力は人間の兵士にも劣るかも知れなかった。だから、逃げることは容易かった。隙をつけば、身体強化で強行突破したり、そうしなくても転移魔法で逃げることができた。でも、何故か私は、魔王城で捕らわれたまま、ただ魔王の横で、彼の笑う顔を見ていた。最初にあった憎しみは日に日に薄れ、私は不安でいっぱいだった。このまま魔王の妃として生きていくのが、人間界の仲間とは会えなくなるのが、そして何より、それをどこか良しとしてしまっている自分に、恐怖すら覚えた。
愛してる。そんなことを異性に面と向って言われたのは、生まれて初めてだった。魔族特有の銀髪がふわりと靡き、濃い青色をした目が私をじっと見つめていた。今まで見たことのない目だった。
その日、まだ隣が温かいベッドの上で目が覚めると、突然頭の中から声が聞こえてきた。
――シルヴィア、聞こえますか?――
それはクラウスの声だった。内容は私を助けに来ると言う物で、広間に魔王をおびき寄せてくれと言う物だった。私のために危険を冒すことなんてない! 必死にそう言うが、こちらからは相手に聞こえないらしかった。
部屋には、いつの間にか湯を張った湯船があり、その横にメイドが黙って立っていた。彼の心使いだということは、身に沁みるほど分かった。
魔王を呼びに執務室に入ったとき、彼は顔を上げて私を見ると、一段と嬉しそうな顔をする。
『どうしたの?』
そう私に、優しく笑いかける彼に、罪悪感が込み上げてきた。
私は、こんな顔をする人を、殺そうとしていたのか。この数日間で魔王城に住む魔族は、私が戦ってきた魔族の兵士とは根本から違うことが分かった。少し魔力が多いだけで、見た目も心も、人間と変わらない。考え方の違いなど、国や地方の違いと同じようなものだ。魔族は、悪魔じゃない。その時ばかりは、私は躊躇した。しかし、最後には仲間を裏切れないという気持ちが勝った。
三人の後姿を見ながら、私は考える。あの時、魔王に私の仲間が来ると伝えたら、どうなっていただろうか。魔王軍による蹂躙……いや、魔王の笑顔を思い浮かべると、また違った結果になったのではないかと思えてくる。何か、彼なら何か別の方法で、あの場を収めていたのではないか。私には不思議とそう思えた。
カミーユの魔法で攻撃されたとき、魔王は真っ先に私を庇った。勇者なんだから、あれで怪我をするはずがない。そのくらい彼なら分っていたはずなのに、真っ先に私に覆いかぶさり、飛んでくるステンドグラスの破片から私を庇ったのだ。
胸を締め付けられる思いがした。
ヴァンとカミーユの二人と戦い、ボロボロになっていく魔王。腕を斬りおとされ、カミーユが最大出力で放った魔法全身で受ける魔王。私は思わず目を背けた。
勇者として、私はあれで良かったのだろうか。王国へと向かう馬車の中で、私はそれだけを考えていた。騎士団長と出会った日から、私は魔族に、魔王に復讐しようと生きてきた。でも、本当に、それで正しかったのか? 先代の、本物の勇者だったら、どうしたのだろう。誰とでも分け隔てなく優しく接したという前の勇者は、魔族を簡単に殺せただろうか。四千年前の伝説だ、それを知る由は無い。でも、私が考える勇者は、罪もない人を殺したりしない。それでは憎んできた魔王と変わらないじゃないじゃないか。
勇者は、この世界を守るために居るんだ。世界の皆を、どの種族も、魔王も、助けるべきじゃないのだろうか。
「……シルヴィア、これ、あげる」
「ん? これは?」
突然目の前に現れたカミーユの手にあったのは、私にはあまり縁のない、可愛らしい花の髪飾りだった。
「おいおい、シルヴィアはそんなもん付けねぇだろ」
「そうですね。シルヴィアにはあんまり似合わな」
「男共は分かってない」
いつものたどたどしい口調じゃない言葉でばっさりと斬られ、二人は固まってしまった。
「シルヴィアも、女の子。こういうの、似合うに、決まってる」
「いやしかし、やっぱり私にこんな物は似合わない。カミーユがつけた方がいいんじゃないか?」
「ダメ、絶対。私があげるの、受け取って」
「……わ、分った」
ジェスチャーでかがめと言われ、カミーユが手の届くようにかがむと、慣れた手つきで付けてくれた。しかし甲冑に髪飾りというのは、あまりにも似つかわしくないような気がする。
「うん、似合ってる。本当、保証する」
「そ、そう? ありがとう、カミーユ。でも、何で急に?」
「だって、なんか……」
カミーユはヴァルとクラウスを一瞥すると、私の耳元に顔を近づけて言った。
「シルヴィア……恋、してる?」
「は?」
「だって、最近いつもため息、ついてる。恋の症状、で、間違い無し」
「そんなわけ……ない」
「ある。私の目に、狂いなし」
それだけ言うと、カミーユは踵を返して、露店にある魔道具を見に行ってしまった。
恋、恋か。いったい誰に、私が恋しているというんだ。恋など私の人生とは無縁のものだ。私が誰かに恋することなんて、万に一つも……あるわけ、ない。
しかし、何故だろう。この心に引っかかって取れないような痛みが、あの日から続いている。彼のことを考えると、ズキズキと痛む。
彼はどうしているだろう。ヴァンに片腕を斬りおとされ、カミーユの魔法で身を焦れた後、彼はどうなったんだろう。魔王は代替わりしたらしく、彼の消息は未だ分かっていない。力を失って、自ら命を絶ったと、噂されているが、本当のところは何も分かっていない。捜索もなされていないらしい。まあ、魔王を好き好んで捜索しようとする者は、どこにも居ないだろうな。
平和に暮らしていると、ふと思うことがある。何で人間は、魔族と戦っているんだろう。何で勇者は、魔王と戦わなければならないんだろう。魔族は人類の敵、そう教えられてきたが、何故的なのかは教えられなかった。もしも魔族と人間が争わなかったら、私が彼を殺そうとすることも無かったのではないか。でも、もしも魔族と人間が争っていなかったら、私は彼と出会うことも無かっただろう。
「シルヴィア!」
その声に、私は弾かれるように顔をあげ、振り返った。
「……ぁ」
気が付けば、私は走っていた。胸の奥から色んな感情が溢れだし、頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合い、体が勝手に動きだす。何故かはわからない。でも、この溢れる気持は、もう抑えることはできなかった。
走る勢いはそのままに、私は彼の胸に飛びついた。彼は少しよろけながらも、しっかりと受け止めてくれた。
「シルヴィア……」
片腕が斬り落とされ、魔力はほとんど無く、以前のような覇気は消えていた。しかし、その胸からは温もりが感じられ、右腕からは優しさが伝わってくる。そして何より――――
「――――会いたかった」
その声には、愛があった。
ストックホルム症候群っていうんですよね、これ(笑)
これで終わりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。気がついた方がいるかもしれませんが、実はサブタイトルに西野カナさんの曲名を使わせていただきました。内容と曲名があまりにも合っていたので、とても良い感じになってると個人的には思います。
完結済みにしますが、気が向いたらもう一話くらい書くかもしれません。よろしくお願いします。