妖の主
鳥のさえずりさえも凍りついた早朝。公園の水飲み場には氷が張り、花壇の土は霜柱で盛り上がっていた。ペンキの剥がれたベンチを白く塗り潰しているのは冷たい霜だ。その塗り立てのベンチに彼女は腰を下ろしていた。
年の頃は十七、八。女の子とも女性とも言い切れない狭間の年齢である。若木の瑞々しさと花の艶やかさを共存させた面差しをしている。背筋を伸ばした姿勢で、膝の上に乗せた本に目を落としていた。
ページをめくる手は緩慢で心ここにあらずと言った様子だ。時折曇った空を見上げたかと思えば、次に公園の入口を眺める。そしてまた本に向かうといったことを繰り返していた。
そんな彼女の表情が一変する。
すぐ間近で鳥の羽ばたきがした。青黒い羽根の鴉がベンチの背に舞い降りてきた。鋭い足の爪を食い込ませ、翼でバランスを取る。彼女は本を閉じて振り返った。
「遅い」
開口一番の科白は非難だ。待ち人の遅刻をなじる口調である。鴉は彼女の言葉が理解できたのか頭を下げた。
『失敗です』
鴉のくちばしから人間の言葉が発せられた。妖に取り憑かれているようだ。
「失敗?」
女はひと呼吸置いてから妖鴉が言った言葉を繰り返した。
『はい……げぅ』
女の指が鴉の首を締め上げた。
「どうして?」
鴉のくちばしからどろりとしたものが飛び出てきた。小さな目が無数についた粘体である。鴉に取り憑いていた妖の本体だった。
妖が外に出てしまうと、途端に鴉は暴れ出した。憑依が解かれたことで逃げ出そうとしている。
彼女の手は緩まない。鴉を地面に叩きつけて黙らせた。首が折れ、くちばしからは血が流れていた。
痙攣する鴉に再び妖が入り込んだ。鴉はむくりと起き上がったが、首は曲がったままだ。
『犬がやられました』
「囮まで使って、それでも倒されたというのね」
『……はい』
妖鴉は言葉少なに頷いた。怪を使って運転手に事故を起こさせたが失敗し、念のため二重に仕込んでいた妖犬も倒された。ことの成り行きを見てきた妖鴉は詳しく話すこともできたが、彼女の怒りを買うだけだと思って口をつぐんだ。
「さすがね。負けたわ」
女はあっさりと怒りを静めた。
『真琴様、よろしいので』
妖鴉はおそるおそる尋ねた。
「よろしくない」
真琴は鴉の翼を踏んだ。もがく鴉の頭をもう片方の足で踏み潰した。
「そう簡単に来てくれるとは思ってなかったけどね。しょうがないわ。三年待ったんだから、今更急がなくてもね」
潰れた鴉の尻から妖が逃れ出てきた。真琴は目玉の化け物をつかみあげ、口の中に放り込んだ。
つまみ食いは誰にも見咎められなかった。真琴は腹を撫で、妖が戻ったことを感じ取った。
真琴は病院の建物を見上げ、名残惜しげに立ち去った。
木々たちがさわさわと彼女を見送った。
白檀編完結です。




