第193話 聖女様と花火
「ここならゆっくり花火が見えるんだよな」
そう言って庵が少し古びた木製のベンチに腰を下ろしたこの場所は、縁日の会場の北側にある山の展望台だ。
会場から北東方向に山の裾に沿って歩けば階段が現れるのだが、そこを中腹まで登って行けば無人の神社があって、その隣がこの展望台となっている。
花火がよく見えて人混みを避けられる上に街灯もあり、五分ほどで辿り着ける為、明澄を連れて来たのだ。
「穴場なんですね」
「町内だとそこそこ有名なんだけど登るのはちょっと手間だし、打ち上げ場所から遠くなるから意外と来るやつは少なくてなあ」
この展望台はここ一帯の小中学生に穴場として知れ渡ってはいるのだが、教師が必ず見回りに来るので彼らはここを避ける。
だが高校生以上となると、最寄りの高校ですら遠い為、教師は見回りに来ない。結果的に周辺の高校生やそもそも教師の目を気にしなくていい人間が集まるだけになるのだ。
隣の神社からも花火が見えるので、そちらと合わせて三組、四組程度。まだ人は増えるはずだが、下よりはマシだろう。
足をぷらぷらさせながら花火が打ち上がるのを待っていると、ひゅーっと風を切る音が聞こえてきて、ドンッと響き渡った炸裂音に蝉の鳴き声がかき消された。
「そろそろ始ま……ったな」
景気良く大きな花火が夜空に咲いて、各所から感嘆の声が上がる。
花火を見上げる明澄は、童心に帰ったような幼げな表情で「お〜」と声を漏らしている。
最初の大きな一発を皮切りに次々と打ち上がっていき、明澄は彩られる空を興奮気味に見上げていた。
「庵くん、あれ、ミカンがいっぱいですよ」
「お、ほんとだな。じゃ今年は果物か。毎年、何かしら変わるんだよな。ドラゴンとかフェニックスとかの架空の生き物だったり、乗り物だったりとかな」
「それは毎年の楽しみになりますね。では、来年の予想でもします?」
「……、来年も来てくれるんだ?」
さりげなく放たれた来年という単語に、庵は少し目を丸める。
両親とは良い距離感を築けていて、特に詩阿とは気が合うようだからもう心配は欠片ほどもしていなかった。
ただ、やはり気は遣うものだ。彼氏の親を相手にするのだから、多少はストレスやプレッシャーもあるかもしれない。
それでも来年もまた来てもいいと思ってもらえているのだから重畳というものだろう。
「詩阿さんがまた来てほしいと仰ってくれましたので」
「そっか。じゃあ、また長期休暇にでも」
それは社交辞令ではなく、本音。
花火に照らされた穏やかな笑みを浮かべて手を差し出せば、明澄から「是非」と屈託ない笑顔が返ってきて、庵は自分の指先に重ねられた彼女の指と絡め合い、緩く包み込むように手を繋いだ。
「それで、庵くんの予想は? 私は動物なんじゃないかなぁって思ってます」
「そうだな、俺はVTuberかなあ」
「まさかそんなわけないでしょう。そもそもどうやって表現するつもりですか」
「いらす〇やのやつみたいな感じで」
「あ〜、あの有名な」
「てか、いらす〇や花火大会とか見てぇな」
「なんですか、その面白そうなお祭りは。……というか庵くん。あなたが真面目に答えないのは、外れた時のために誤魔化そうとしてますよね?」
明澄が疑わしげに睨んでくる。彼の魂胆は容易く見抜かれているようだ。
「ハハハ」
「絶対そうだ」
煙に巻くつもりがあるかどうかも分からない庵の機械的な笑いに、明澄はむくうっと膨れて不満を露わにする。
だが、庵の子供じみた小狡さは今に始まった事ではなく、恋人を揶揄って構おうとする悪い企みでしかない。
まったくもう、と明澄は溜め息をつきながら座り直し、まだまだ花が咲き続けている空をしみじみと見上げ直した。
「……それにしても、たいへん風流ですね。今年は日本の夏というものを体験した気がします」
「夏祭りに浴衣なんか着たことないしな」
「毎年自宅の窓から眺めるだけでしたから、贅沢すぎてバチが当たらないか心配です」
儚い静謐さを湛えて、明澄は小さく苦笑する。
それでも深刻な不安という訳でもない。贅沢や幸福に遠慮がちになってしまうのは、もう明澄の癖なのだろう。
それは控えめ過ぎだろう、と庵は隣の神社を横目に笑い飛ばした。
「こんなので当たるバチなら神が間違ってるな。バチを当ててきた神をバチボコにしてやろう」
「隣に神社ありますしやめましょ? 絶対聞かれてますよ」
幸福に不慣れで不安になるよりも、庵の不埒な発言の方に焦りを覚えたようで、握り拳をつくる庵の腕に手を添えて窘めてくる。
不敬な態度の自分と神社の方へ明澄がおろおろと交互に視線を行き来させる姿に、庵は堪えきれずつい笑ってしまった。
あの神社には五穀豊穣を司る神が祀られているだけであるし、明澄のような善人に与える罰など存在するはずがないのだ。
「かかってこいやぁ、ってな」
「庵くんならやりそうで怖い」
「俺ってそんなに野蛮か?」
「……頼もしいという事で」
「目、逸らすなよ……」
才女とあって語彙は豊富だ。いくらでも言いようはあるようで、庵の追及の目から逃げた明澄はそう言って、ふふっと口元を押さえていた。
そうやってじゃれ合って花火を見上げていると、佳境に入ってくる頃には少しずつ人が増えてきた。
姦しいというほどではないが、話し声や笑い声が絶え間なく聞こえてくる。
そんな時、一際騒がしくて目立つ集団が下から登ってきた。
「こんなとこあんだな〜っ」
「映えスポットじゃん」
「知ってるなら、はよ言えよー」
「食い過ぎて腹壊した奴のせいだろ」
「あんなすぐとは思ってなかったんだって!」
ぎゃははと、盛り上がっている男女五人組が煩くて嫌でも視界に入る。髪型や髪色、アクセサリーなどが少々派手で、いかにも活発そうな見た目だった。
雑に表現するなら陽キャと言うやつだろうか。
近寄りたいとは思わないが見た目もオシャレの範囲内で不良っぽくはないし、ただの賑やかな学生なのだろう。
あまり見るのも不躾なので、花火に関心を戻そうとした庵だったが、その集団の一人の男がこちらを凝視してきた。
「おー? あー、庵じゃねーか。久しぶりだな」
間もなく、向こうは庵だと認識したらしく、ポケットに突っ込んでいた手を掲げて寄ってくる。
その男は二年前と見た目が変わっていて、庵は記憶にある人物一覧からの照合に手間取ったが、暗がりからゆっくりと月明かりの下に現れた男の、その嫌な顔つきで思い出した。
「戸村……」
細身ながらも筋肉質な体躯と、乱暴な目つき。よく通るのにどこか薄っぺらい声。
それはかつて庵に、世の中には無差別な悪意がある事を教えた元クラスメイトだった。
お久しぶりです。間が空いてごめんなさい。
体調が悪くて色々やる事が遅れております。まだ万全じではなく、暫くXも浮上出来ないと思います。
元気になったら頑張りますのでよろしくお願いします。





