第164話 続く甘さ
「……これが夕方に見たやつか」
食洗機に食器を任せたら明澄に再びダイニングへ着くよう促され、そうすると食後のデザートもとい誕生日ケーキを明澄が丁寧に運んできた。
小さなホールケーキ状のそれは生クリームでコーティングされ、みかんが中央に敷き詰められた柑橘類を主題にしたフルーツケーキだった。
ケーキの縁は生クリームを絞りアラザンでデコレーション。庵が気に入ったオシャレポイントは、みかんの葉を模した砂糖菓子が、みかんに添えるようにちょこんと並んでいるところだろう。
華やかでありながら派手派手しくなく素材を活かした美しさが光る。どこか明澄の性格が反映されたようなケーキだった。
「庵くんの大好きな柑橘類をふんだんに使ってますので、お気に召すかと」
「明澄も柑橘類好きだもんな」
「ですので試作段階から楽しませていただきました」
夕食のメニューだけでなく誕生日ケーキにも庵の好みを反映させてくれたらしい。庵が明澄の誕生日の時に用意したのはオレンジを中に詰めたアイスケーキだったから、恐らくそれのオマージュというか意識したものとも思われる。
嬉しくて記念にケーキを写した明澄とのツーショットを撮っておく。
ちなみに二人の柑橘類好きは、庵の場合ペンネームでかんきつを名乗っているのに柑橘類に詳しくないと駄目だろう、と思って嗜んでいるうちに好きになった。明澄は元から好きだったらしいが、度々庵が柑橘系の食品や飲料を好んでいるのを真似したら、肌や体調が良くなったようで、それから好んでいる。
「そっか。最近、なんか怪しかったのはそれか」
「さっきのお料理含めて色々準備してましたので」
スーパーに寄っただけなのに明澄が大荷物を抱えて帰って来たり、それを焦りながら隠したりしていたのは、さっきの料理やこのケーキの試作の材料だったようだ。
こそこそしててごめんなさい、と明澄はちょっぴり申し訳なさげに笑い、ケーキを切り分けていた。
「食べ切るの大変だっただろ?」
「実は料理は澪璃さんとか葵さんたちのお家で振舞ってましたし、ケーキは事務所に差し入れしてましたから、なんとか」
庵とは違い知り合いの数だけで言えば明澄は圧倒的な人数を誇る。事務所には百人を超えるライバーが所属しているし、スタッフも含めればさらに増えるだろう。
体重の増加を気にする必要も一人よりはマシだったからだろうか。試作回数を重ねられたみかんのケーキを「お陰さまで納得の出来になりました」と、明澄は満足そうに笑みを零しつつ、切り分けたケーキを小皿に取り分けて、庵の前にフォークを添えて差し出した。
「お飲み物はオーダーがあれば対応しますが、如何されますか?」
「明澄のオススメは?」
「こちら、英国王室御用達ブランドから春に新作が出て以来入手困難となっております、オレンジティーをご用意させていただきましたので、宜しければそちらを」
草木を象った装飾が綺麗な金糸雀色の茶缶をすちゃ、とどこからともなく取り出した明澄は、どこぞの給仕係のように振る舞う。
彼女は紅茶を好むため自分用でもあるのだろうが、わざわざ取り寄せてくれたので別を頼む意味もなく「それで」と庵が頼むと「しばしお待ちを」と明澄は目配せしてキッチンへ。
思うように庵をもてなせるからか、上機嫌そうなのがカウンター向こうに見えて、こちらまで楽しくなってくる。
「お待たせしました」
「何から何までありがとう」
「いえいえ、定期的に庵くんへの奉仕欲を満たさせてもらってますから」
「なにそれ怖いんだけど」
「本日は粋なジョークもサービスで付いておりますので」
「全然粋じゃねぇ。けど、楽しませて貰ってるし、有難くジョークごといただこう」
テキトーを並べる明澄に可笑しそうにしながら、庵がケーキにフォークを押し当てると滑らかに沈み込んでいった。
生クリームとみかんの層とスポンジケーキの層が合計で五層。
切った先端側にフォークを刺し、柔らかくて崩れそうになるのをコントロールしながら、ぱくりと咥える。
その瞬間、柑橘系の爽やかな風味が駆け抜けていった。
「……なんだこれ。うますぎる」
明澄が試作を重ね丹精込めて作ったのだから美味しいに決まっている。なのだが、あまりの美味しさに目を見開いくように驚いて、語彙力のない言葉が飛び出すと、緊張しながら見守っていた明澄が「良かったぁ……」と、胸を撫で下ろした。
味は一言で言えばThe 柑橘系である。
その中でウィークエンドシトロンを意識したようなスポンジケーキからは、オレンジピールの甘さとほろ苦な風味、レモン果汁による酸味の爽やかさが口いっぱいに広がっていくのだ。
水分量が完璧な生地は一切のパサつきを許しておらず、しっとりとしていてふわふわ。生クリームの重厚感を受け止める軽やかさが絶妙で舌が心地良い。
それからなんと言っても、ケーキの上に乗ったみかんだろう。コンポート風に甘く煮詰められながらも、果肉のジューシーさと瑞々しい香りを忘れていない。
蕩けさせるような甘みと酸味が渦を巻くように踊っていた。
このバランス感を出すのは至難の業だろう。明澄の苦労が窺える。複数の柑橘類の良さを引き出し、どれも主役として成り立たせる正に絶品だった。
「甘さと酸味、苦味をほどよく両立させるのには苦労したので喜んでいただけて嬉しいです」
「うん。レモン果汁とオレンジピールの主張が丁度良いし、リキュールとはちみつの隠し味も凄くマッチしてる。柑橘類の扱いは簡単に見えて奥が深いんだよな」
舌の上で余すことなく味わって使われた材料を導き出すと明澄は「おー」と声に出しながら「さすが庵くんです」と、正解を褒めるように指で小さな丸を作った。
「ええ。庵くんの好物の中でも一番口にしてるものですから、あえて入れない選択肢も考えたりとても気を使いました」
ですが大成功だったようですね、と明澄は顔を綻ばせて、またみかんケーキに手をつける庵をにこにこと眺める。
休みにとオレンジティーも楽しませてもらったが、これだけケーキが強い主張をしていても味がブレずに伝わってくるのは、ケーキに合うよう選んだのだろう。
砂糖を入れてもケーキの甘さにかき消されるから無糖にしているのも、作り手のホスピタリティを感じる。どこまでも庵を想って、これでもかとおもてなしをしてくれる明澄に、快いのになんだか照れくさくなる。
「ねえ?」
両頬を包むように頬杖をついて庵を慈しんで見つめていた明澄は、愛おしそうな笑みで声を掛ける。
「なに?」
「それ、食べさせてあげても良いですか?」
「え、そこまでしなくても」
「お誕生日ですから、それくらいは彼女にさせてくださいな」
「……今日は凄いな。至れり尽くせりだ」
食べさせられるのは気恥しくて遠慮しようかと思ったのだが、明澄のやりたい事をさせてあげたい気持ちが勝って羞恥をオレンジティーで流し込む。
「まぁ、じゃあ、お言葉に甘えて」
「ふふ。ちょっとそちら行きますね」
快諾した庵に涼やかな声で笑うと、自分のケーキの皿を持ってきて、隣の席にちょこんと座った。隣で一緒に食べるつもりでもあるらしい。
「はい」
「んむ……」
自分のフォークで丁寧に切ったみかんケーキを明澄が笑みと共に庵の口元へ向けると、庵は僅かな躊躇いを持ちながらもみかんケーキを食べた。
もちろんさっきと同じものだが、幸せが滲んだ味がして顔に熱が帯びる。
「ふふっ……可愛い」
あむあむと静かに咀嚼していると、明澄がころころと笑って小さくそんな感想を零した。
「可愛いは余計だろう」
「可愛いものは可愛いのです。良いじゃないですか、正義ですよ? カワイイis ジャスティスなのです」
男なのに可愛いと言われるのは癪だと庵は渋い顔をしたが、何故かどやぁと右手を突き上げた明澄は、可愛いを連呼して有無を言わせない。
悔しいので、庵はフォークを手に取るとみかんケーキを切り取り、口を塞いでやろうと悪い笑みで優しく明澄の口元に押し当てた。
「え、あ……んうむ」
このままだと唇に生クリーム塗りたくられると思ったのか、明澄はびっくりしながらもみかんケーキの刺さったフォークを小さな口で咥える。
ちょっとくらい恥ずかしがらせてやろうと思ったのに、明澄はとても幸せそうにもぐもぐしながら、その表情を甘く溶けさせる。庵はただ恋人を喜ばせただけらしい。
「ぜんぜん効かねぇ」
「ふふっ。残念でした。本日の私はちょっと強いですよ」
「なんか強化されてやがる」
「もう間接キスとかも気にならなくなりましたからねぇ」
庵の持つフォークに目をやった後、明澄はくすっと微笑んでしみじみ言い、庵も「いつの間にかな」と同意して目尻を下げる。
それだけ同じ想いで同じ時間を過ごして来たのだ。この胸に溜まる幸福は逃げていく想像がつかなくて、庵は幸せそうにケーキと一緒に噛み締めていた。





