第163話 聖女様と彼の為の饗宴
「どうぞ、召し上がってください」
豪華な料理たちを並べ終えた明澄は言って、笑みを浮かべる。
特別な日を思わせる品々は庵の好みをリサーチされて、ダイニングテーブルに集結したもの。
普段ならどれもがメインを張れるから、同じ日に出るのはない。
カロリー度外視、バランスは無視。庵を祝う気満々のメニューは、その見た目からして圧巻だった。
今しがた運ばれてきた、伊勢海老を器にしたテルミドール(グラタンに似たもの)は、一際の輝きを放つ。グツグツとチーズが踊っており出来立てに心も踊るよう。
その隣に鎮座するのはこんがりときつね色に焼けた大きな唐揚げ。肉料理を得意とする明澄のレパートリーの中でも庵が大絶賛した事もあって、過去に何回か登場しているが飽きは来ない。
それから黒の長皿にマグロ三種とブリやヒラメ、タイ、鯵の寿司が並び、色とりどりの野菜のソテーが食卓を彩っていた。
「すご。これ手間かかっただろ?」
「そうですけど、一年に一度のお誕生日ですからね。腕によりをかけて作らせていただきました」
明澄に目を向けながら庵は感嘆の声を漏らすと、彼女はエプロンを解きつつその腕を見せるように、にこりと笑う。
「でかい伊勢海老だなあ。うまそう」
「ふるさと納税で取り寄せたんですよ。以前庵くんに好きに使わせてもらいましたし」
「あれ、便利だよな。あ、こっちの寿司ネタもか?」
「そちらは昨日に市場へ行って一日半寝かしたものですね」
「そんな事までしてたのか」
「微に入り細を穿つ。よい言葉だと思いませんか」
「くそ雑魚サムネを作るやつのセリフとは思えんな」
「あ、あれは芸風ですので……!」
明澄作の配信用サムネは毎度、手抜きされている。
そのくせによく言う、と半眼向けると間髪を入れず釈明してくる明澄にふーんとした顔を作りつつも「でも性格的に明澄は料理人の素質あるよな」と、庵は苦笑した。
「庵くんに比べたらまだまだですし、そもそも今日は庵くんの得意なイタリア料理とフランス料理のテルミドール以外は避けましたからね」
己を未熟と断ずるように明澄は苦笑いしながら、カトラリーの配膳を行う。
庵は和食を好むものの洋食を得意とするから、今日の献立には頭を悩ませただろう。
余談だが庵が洋食に手を出したきっかけは、祖父母の店で出されるメニューに日本食系が多く、その反動だった。
特にフランス料理とイタリア料理は人気で調理技術からレシピまでスマホ一台で困らなかったのもある。
なにせ一時期、アレクサンドル・デュマ=ペールの大料理辞典を読み耽ったり、イラストレーター稼業の合間を縫って、イタリア料理店をはしごしてまで味を確かめた思い出もあるくらいだ。
またフランス語の用語で覚えたせいで、料理中に説明しても明澄から「なんですかそれ」と尋ねられるのが時々ある。
それ故、明澄は庵が造詣のある二国の料理を避けたかったのだろう。それでもフランス料理のテルミドールを選んだのは庵が海老好きなのと、現地では七月から八月の頃を意味し、暑い季節だったり結婚式や記念日に提供されるのもあって本日にピッタリだったからと思われる。
「あんまり気にしなくていいのに」
「お誕生日にお出しするのなら自信作でないと。さぁ、冷めないうちに」
「じゃあ、テルミドールからいただこうかな」
唐揚げも捨て難いが最も手間暇が掛かっているであろうテルミドールに目を移しつつ、庵はいつもより深く感謝して瞳を閉じて手を合わせる。
明澄と庵で半分ずつの伊勢海老にスプーンを差し入れて掬えば、チーズが伸びて見た目からもう楽しい。
熱々でふぅふぅと、冷ましてから口に運ぶ。その瞬間、庵の表情が綻んだ。
「おぉ…………うま!」
絶妙な火加減でぷりぷりとした食感の伊勢海老は、オーク樽から成るブランデーの芳醇な香りを纏っている。ベシャメルソースと和えられた濃厚な卵黄の重みやマスタードの酸味、爽やかなイタリアンパセリが舌を喜ばせた。
ブランデーをどこで手に入れたかは聞かないでおこう、と思うくらい文句なしだった。
「どうやらお口に合ったようですね」
つい漏れ出た感想の後も二口目、三口目と庵の手が止まらない様子に、明澄は胸を撫で下ろすように喜んで、自分も口に運びながら舌鼓を打っていた。
「後でレシピを教えてくれ」
「ふふふ。庵くんは熱心ですねぇ。でも、それだけ仰られるという事は最大級の褒め言葉と受け取ってもいいですか」
庵は祖父母の影響、明澄は将来を見越して、と始めた理由はそれぞれ違うが料理好きなのもあって、しばしばレシピを教え合っている。
今日のテルミドールは庵が過去に作ったものよりもとても好みで、是非いつか明澄にも作ってやろうと考えているが、それくらいに気に入ったのだ。
「もちろんだ。俺だってプロじゃないからな。そもそも明澄の料理の方が美味いと思ってるし。俺は大満足ですよ」
嘘偽りなく伝えつつ、唐揚げに箸を伸ばす庵は「やっぱ明澄の唐揚げだな」と、大満足に膨らませた頬を落ちそうなほどに緩ませる。
彼女の唐揚げはぷろぐれすの公式番組でも登場した事があり、そこでも評判を得るほどの逸品だ。にんにくと生姜を混ぜ込んだ醤油ベースのタレに浸し、コーンスターチを使ってカラッと揚げられる。衣のカリカリ感と中の肉は柔らかく溢れ出る肉汁が堪らない。
すかさず二つ目を口にしていると、くすりとした声が聞こえて、その声の主は微笑ましそうな瞳をこちらに向けていた。
「庵くんは美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があっていいんですよね」
「それ、俺も一緒。明澄も幸せそうに食べてくれるから作り手冥利に尽きる」
誰かの為に作るのは見返りが欲しいからではなくとも、やっぱり美味しいと反応が返ってくる方が嬉しいものだ。
庵が食卓に並べた料理に目を輝かせて食してくれる明澄には、また次も作りたくなる。
逆もまた然りで、明澄の目の前でうまそうに沢山食べてくれる庵の表情は見ていて、つい破顔してしまうのだ。
二人は料理における楽しみをしっかりと味わっていると言えるだろう。
「好きな人の手料理って凄く満足感が高いですし、やっぱり庵くんの味が好きなんですよ」
「それも一緒。俺も明澄の味が好みになったし」
「お互い胃袋を掴み合っちゃいましたもんね」
ほんとな、と笑った庵に呼応して明澄も眦を細め二人して笑い合う。
恋人や伴侶と同居すると、どちらも好きな味や作り方があって揉めるのもままあるというのは聞くが、庵と明澄にはそれがなかった。
初めの頃は明澄の好みに合わせるつもりだったけれど、今ではお互いに作りあってそれぞれの味を楽しんでいる。
人間の根源的欲求の一つを終始笑顔で満たせるのは幸せな事だ、と庵は食指を伸ばし続けていると、いつの間にか皿の底が現れていた。
「さて、片付けるか」
一緒にご馳走さまをすれば、機嫌良さそうな明澄が大皿たちを流しに運び出したので庵も席を立って残りを片しにかかる。
すると、カウンター越しから「今日は私に任せてくださいね」と牽制してくるのだが、庵はあえて隣に並んでやった。
「聞いてましたか? お誕生日の人にやらせる訳にはいきませんので」
「えー。俺この時間好きなんだよ。明澄と一緒に並んで料理したり、皿を片付けるのが恋人ぽくて気に入ってるからさ」
優しさとか建前とか手伝う口実でありながら、それは紛れもない本音だった。
「そう言われると弱いのですが、やっぱりですね……?」
「誕生日なんだからお願いとして聞いてくれると嬉しいんだけどな?」
水掛け論、平行線、押し問答。庵はそれのどれをもさせない。
優しい目で懇願した庵に明澄は「ううぅ」と、どうするべきか悩み唸りながら頬をうっすら色づかせている。
蛇口からジャーと流れる水音だけが数秒響いたところで、明澄が「はぁぁ」と項垂れて折れた。
「全く、庵くんはどこでそんなのを覚えてくるんですか……」
「男として普通の願望だけどな。家族っぽくて良いし」
ささやかな下心さ、とカトラリーを差し出せば、唇を尖らせた明澄が渋々と受け取る。
納得してなさそう、と苦笑気味に庵が笑うと、明澄の不服そうな顔が諦めからか少し和らいだ。
「なんで今日も私の方が喜ばされてるんでしょうね」
主導権を握りあれやこれと庵を楽しませたり喜ばせたりしたかった明澄は、いつもの庵の天然たらしにやられて疑問そうに落胆する。
「んー? 俺の方が嬉しいよ」
「どうして?」
小首を傾げた明澄に「だって明澄の可愛い顔が見れてるもん」と、ちょぴり悪戯っぽくも満面の笑みで告げたら耳を赤くした明澄に無言で肩をぶつけられた。
「……ほんとばか」
暫くしてそう聞こえてきたから庵は「ひど」とおどけようとしたが、その唇が動く前に明澄の人差し指で抑えられ、ちょっと困ったように見つめて少し赤らむ明澄に「でも好き」と遮られた。





