妖精と子熊(冬馬視点、数年後)
真白ちゃんがふくれっ面をしていた。
何でも、今日、仕事で失敗して、真崎さんに叱られたらしい。
社会人なんだから、そういうこともある。
「それは分かってます!
仕事のミスだって、私が悪いのも承知です!
でも、『これだから、お嬢様のお遊びは』って、言うんです」
真崎さんは厳しい人な上に、口が悪い。
あの人の下で働くということは、理不尽なことばかりだ。
俺なら近づかない。
うん、だけどよくも俺の可愛い真白ちゃんを傷つけてくれたな。
機会をみつけて、必ず、この恨み、晴らしてあげるからね。
不満げなお嫁さんを膝に乗せると、頭を撫でてあげる。
「真白ちゃんは、あんな人の下でよく働いているよ。偉いね。
お遊びなんかじゃないよ。
遊びで、真崎さんには耐えられないだろう?
よしよし、いい子だから、機嫌直して。
家に仕事を持ち込まないの」
後ろから、膨らんだほっぺも突っついてあげよう。
今日は珍しく早く帰ってきたんだから、真崎さんの話なんてつまらないことで時間をつぶしたくない。
「冬馬さんまで!」
あれ?怒られた。
「真崎さんはお嬢さん扱いだし、冬馬さんは子供扱い!
小野寺邸の人達もいつの間にか、私のこと、『若奥様』から『真白お嬢様』に戻しちゃってるし!
私、もう三人の子供を持つ、立派な大人なんですけど!」
……そっちだったか。
真崎さんが図々しいと評しただけあって、真白ちゃんは仕事の失敗に関しては、吹っ切っていた。
経営者としては、そっちを気にして欲しい。
夫としては、ただひたすら可愛らしい。
「そうだね、真白は立派なお母さんだよ。
……ねぇ、もう一人作らない?
今度は女の子で」
腰に両手を回し、がっしり固定する。
三人も子供を生んだとは思えない細さだ。
最初の妊娠の時、体重管理を失敗してからの、真白ちゃんのたゆまぬ努力と節制によるものだ。
「えぇ!男の子がいいです!」
「三人もいるじゃないか」
初めての子供は男の子だった。
真白ちゃんの初産だったし、母子ともに元気だったら、性別なんてどっちでもいいと思っていた。
二人目も男の子だった。
小野寺の重責を担う長男に、頼りに出来る弟が出来たのは良いことだ。
秋生が自慢気に喜んだ。
三人目ともなると、義父や義父……真白ちゃんの父親……をはじめとして多くの人間が、そろそろ女の子も……という雰囲気になってきた。
夏樹だけは三人目も男の子だよ!といやにキッパリ断言していた。
俺も、どっちでもいいけど、どちらかと言えば女の子が欲しかった。
真白ちゃんに良く似た可愛い娘がいたら嬉しい。
でも、そんなことを言ったら、真白ちゃんが気にすると思って、口に出来なかったのだ。
現に今だって、顔を曇らせる。
「女の子、産めなくってごめんなさい」
「それは俺の責任だから!
君のせいじゃないからね。
けど、ほら、女の子も欲しくない?
もう一人、頑張ってみない?」
「頑張ってもいいですけど、私は男の子が欲しいです。
冬馬さんによく似た男の子なら、何人でも」
そんな嬉しいことをいいながら、真白ちゃんはもぞもぞと動いて、俺の方を向いた。
額と額が触れる。
「そうか……じゃあ、男の子か女の子かは……生まれてから、と言うことで」
「はい」
クスリ、と微笑む唇に、自分の唇を重ねようとした―――その時。
『冬馬様!真白お嬢様!』
「うわぁ……っと!」
もう後ろめたいこともない身の上なのに、使用人の島内さんの声には驚かされた。
結婚前、真白ちゃんと俺との監視役として、ことあるごとに、警告を発していたからだ。
子供が出来たのを契機に、本邸に居を構えることになったのだが、まだ、独身時代の名残が身に染みているようだ。
真白ちゃんも慌てて、俺の膝から降りて、服の乱れを直していた。
「な、何か?」
今は邪魔される理由なんかないぞ、それでも内心、ビビりながら尋ねたら、「―――お坊ちゃま方がお休みの挨拶に参りました」と返ってきた。
あ……。
見れば、島内さんの足元には三つの小さな人影。
五歳の長男を筆頭に、四歳の次男、二歳の三男だ。
仕事がある日は、どうしても帰りが遅くなってしまうので、子供達は全員、先に寝ているものとばかり思っていた。 帰ってきた時、姿が見えなかったのは、お風呂に入っていたからのようだ。
真白ちゃんといちゃいちゃしているのを、見られてしまった。
夫婦仲が良いのは悪いことじゃないと言っても、バツが悪い。
幼い子供達を見て、真白ちゃんは一気に母親の顔になった。
「私の可愛い小さなクマさん達」と言いながら、三人を抱きしめて、子供達が寝冷えして風邪をひかないように、と、髪の毛がきとんと乾いているか、腹巻はちゃんとしているか、裾はきちんとズボンの中に入っているか、などを手際よくチェックしていった。
その光景は、いつか見た幸せの風景だった。
それも、借り物ではない、本物の『家族』の光景だ。
最後に、もう眠たくてぐずり始めた三男を抱き上げ、優しくあやす。
小さな末っ子は真白ちゃんお気に入りのクマの寝間着を着ている。
これはフワフワの生地で作られ、耳と尻尾もついているので、フードを被ると、本当に小さなクマみたいに見える代物だ。
大学生だった真白ちゃんが甥っ子の青に贈り、長男にも着せ、次男にも着せたものだ。
三人全員に一度に着せてみたいらしいが、妙に硬派に育ってしまった長男が断固拒否し、兄の真似をしたがる次男に拒絶されたので、彼女の野望は叶えられなかった。
家に帰ってみたら、小さいとはいえ三頭もクマがうろうろしている絵は、俺もちょっと遠慮したい。
そうでなくとも、男の子ばかりの三人兄弟なんて、動物園みたいな騒がしさなのに。
そうそう、一番大人しいと思われる、硬派な長男は、俺の「お母様に妹が欲しいってお願いしてみて」と言う頼みごとも、「女なんて、なよなよしてて、すぐに泣くからいやだ。弟ならほしい」と断るのだ。
一体、誰に似たんだ。
あれで、幼稚園でモテモテだと言うから、分からない。
「女の子達に親切だし、小さい子達への面倒見もよいですよ。先生の言うこともよく聞いて、お手伝いもしてくれます」と、保育士さん達にも評判が高い。
父親に似ず、どうかこのまま真っ当に育って欲しいものだ。
「お前達、お利口さんにしていたか?
お母様を困らせたりしていないだろうな?」
長男と次男に今日の成果を聞くと、身をよじってもじもじしている。
「みんないい子だったわよね」
真白ちゃんが片手に末っ子を抱きかかえながら、もう一方の手で二人の頭を交互になでながら、微笑んだ。
―――おそらく、今日も大騒ぎだったのだろう。
もっと家に居て、子育てを手伝ってあげたいのに、コーヒーの次は、遺伝子関係の新事業だなんて、義父は真崎さん以上に人遣いが荒い。毎日が忙しすぎる。
けど、こんな腕白な男の子三人を育てながら、真崎さんの下で働いている真白ちゃんはもっと大変に違いない。
「おかあさま、ごほんをよんでくださいな」
次男がクマが表紙の絵本を持って、真白ちゃんにねだった。
俺の顔を見るから、勿論、頷いてあげた。
いつもはそうやって寝かしつけているのだろう。たまに家にいる父親が邪魔するものではない。
「―――そうだ!久々に俺が読もうか?」
「本当に!?」
思いもかけず、長男に喜ばれた。
やっぱり『父親』も必要だよな。
今度の休日は、なにがなんでも休んで、子供達と遊んでやらないと。いや、遊びたい。
子供の成長は早い。気づいた時には、成人していそうな勢いだ。
「ああ、お父様が読んであげるよ」
俺は長男と次男を抱え、真白ちゃんは三男を抱いて、子供達の寝室に向かった。
小野寺邸では幼い子供も個々の寝室を持っているのだが、いつの間にか、子供達は三人そろって、長男の部屋の大きなベッドに小さな川の字を作って寝るようになっていた。
本を読んでいる内に、真白ちゃんもよく、ここで寝ている。
今日も、俺が本を読んでいる内に、すっかり寝入ってしまった。
珍しく雪が降った日だったので、兄弟三人と従兄弟達で、散々、外で遊んだと聞いたので、疲れたのだろう。
小野寺邸の庭園には、途中で力尽きたと思われる、雪だるまになりかけの塊がそこら中に転がっていた。
そう言えば、真白ちゃんは雪女だったかな。
昔の記憶を懐かしく思い出していると、子供の温もりに包まれて、ポカポカしてくる。
眠気が襲ってきて、もう家族五人でここで寝てしまおうか、と、反対側の端に寝ている真白ちゃんに布団をきちんと掛けてあげようとした。
「……子供じゃないもの、若社長のばかぁ」
夢の中でも怒っているらしい。
いつまでも子供扱いに怒ってみたり、子供達と一緒に本で寝かしつけられたり……子供じゃないか、とも思ったけど、そうだな、彼女は子供じゃない。
俺のお嫁さんだ。
だから、そのお役目を果たしてもらわないと。
先ほどまでの考えを翻意し、静かにベッドから抜け出す。
真白ちゃんに引っ付いている次男の手を、ゆっくりと外すと、母親だけを連れて行く。
「うん?冬馬さん???」
夫婦のベッドに運ぶと、真白ちゃんが起きた。
「寝てたから」
「……そのままでも良かったんですよ?」
いいや、良くない。
「真白は大人だろう?
夜はまだまだ長いよ。
ここからは……大人の時間」
真白ちゃんの頬が赤らんだ。
そうして授かった赤ちゃんだったけど、やっぱり……と言うか、なんと言うか、四人目も男の子だった。
真白ちゃんが大喜びだったから、男の子で良かったのだ。
小野寺四兄弟は、みんな俺に似て、クマみたいな顔で、デカくて……でも、すこぶる元気ないい子に育っている。
真白ちゃんはまだ若い。
四男がもう少し大きくなって、もう少し、手がかからなくなったら、五人目をお願いしてみよう。