とある元傭兵と巻き込まれた客人
「あーっ、ここにもいないっ!! どうしよう、アーリィ……えっ、そっちもわからないの?」
薄く水を張った皿を覗き込んでいた女は一向に見つからないレンを探して世界中を覗き回る。
その後ろには豪奢な美丈夫が申し訳なさそうにそわそわとしていたのであるが、この際無視だ。
レンがグーレラーシャに来ていない。
そんな一大事に女は焦っていた。
壮絶なまでに青白い顔をしたリュディガーが「レンが来ていない」と言って傭兵ギルドの管理官長執務室に駆け込んで来たのが小一時間ほど前である。
昨日の晩に会う約束をした時間になっても現れないレンのことが心配になったリュディガーが気管支の発作で倒れそうなほどきつい身体を押して来たらしい。
驚いたヒフィゼギルド管理官長から緊急でアーリィに問い合わせがあったとのことだ。
女が『アーリィ』と呼んでいるとある世界の管理者が、異世界の『ニホン』からレンをグーレラーシャに呼んでいるのは公然の秘密だった。
そのアーリィによると、小一時間ほど前にレンをグーレラーシャに呼んだのは確かだという。
丁度その頃に女もある世界からグーレラーシャまで飛んで来たので、もしかしたら時空門が交錯したのではないかということでアーリィからこちらにも問い合わせがあったのだ。
そして、女には身に覚えがありすぎた。
何故ならば、つい小一時間前、グーレラーシャで『光星のデシティウス』という二つ名を持つ麗しの美丈夫と対面していた女の力が暴発したからである。
力が暴発したのは背後で所在無げにウロウロしている美丈夫の所為でもあるのだが、それを言っても仕方がない。
「エストレージャよ、オレにできることはないか?」
「大人しく饅頭でも食べていてくださいデシティウス様」
珍しくオロオロとする美丈夫……デシティウスが可哀想になり、エストレージャと呼ばれた女が振り返る。
「私とアーリィでなんとかしますから」
あまりにすげない言いようであるが、これはエストレージャが我慢している所為である。
本当は可愛い姿を見せてくれるデシティウスに飛びつきたいのだが、そんなことは恥ずかしくて出来ないとエストレージャはツンな部分を強固に守り抜いていた。
ふと、皿の水が歪み淡く光りだすと、エストレージャは皿にかじりついた。
「えっ? 多分そっちにいる? 本当?! 今から行くから、ちょっと待ってて……って、一度元の世界に戻ってから改めてそっちに行かなきゃならないのね。え? 先に説明した方がいいって……気が進まないけどわかった。デシティウス様のことはいいのよ〜、また今度で。自分の不始末は自分で片付けなきゃね」
どうやらあちらの世界にいるらしい管理者と話をしていたようだ。
通信を終えたエストレージャが慌てて皿を片付けようとしていたため、デシティウスがその皿を受け取った。
「片付けならこちらでしておこう。急ぐのだろう?」
エストレージャの瞳が申し訳なさそうに翳る。
「ごめんなさい。お饅頭、一ついただいていきますね」
少しギクシャクとしたエストレージャがふかふかの饅頭をパクリとかじり、美味しいと呟いた。
「ハチミツ酒、飲みたかったです……」
エストレージャは至極残念そうに肩を落として未練がましく極上のハチミツ酒で満たされた繊細なグラスを見つめる。
そんなエストレージャを尻目にデシティウスがそれをひょいと取り上げるとぐいっと一気に飲み干した。
「あーっ、ケチっ!!」
グラスを奪い取ろうとぴょんぴょんと飛び跳ねるエストレージャにデシティウスはやんわりと嗜める。
「空間を渡るのにお酒はよくない」
「ふんっ、いいですよーだ。今日はもう来ませんからね、ケチデシティウス様、また今度」
急いでいることを思い出したエストレージャがいつものように空間を渡る準備を始めて、
それから思いついたようにデシティウスに向かって伸び上がると、頬に掠めるような口付けをしてそれからそのままデシティウスの唇をペロリと舐めた。
「ハチミツ酒、ごちそうさま!」
「エストレージャ!!」
悪戯が成功してにんまり笑うエストレージャに、その身体を抱こうとしたデシティウスの腕は、しかしながら虚しく空を切った。
今しがたまでそこに居たはずのエストレージャの姿がない。
いつ見ても鮮やかなくらいに気配を残さない不思議な力だと思う。
寝室に一人残されたデシティウスは確かに口付けられた頬に手を伸ばし、それから切なげな溜め息を漏らす。
「相変わらずつれない女神だな……」
しかし、いきなり唇を舐めるとは大胆な。
空間を渡り、異世界から紛れ込む『禁制品』を回収する役目を担っているというエストレージャはデシティウスの世界の住人ではない。もしかしたら『人』ではないのかもしれないと笑って宣ったエストレージャは、同じく空間を渡り歩く世界の管理者である『アーリィ』と意気投合してこのグーレラーシャに遊びに来ているらしい。
エストレージャがデシティウスの元に『夜這い』に来てから始まった関係であるが、彼女は人ではないのでどう攻略してよいのかわからず、デシティウスには迷いがある。
その為にいつも手をすり抜けて行ってしまうエストレージャの別名は何と言ったか。
「『気まぐれ星』か、言えて妙だ」
あの世界ではアーリィと名乗っているらしい世界の管理者がそれ以上の追及を許してくれないので謎は深まるばかりだったが、何とか手に入れたい星である。
「次はもっと深く味わいたいものだが、また今度とはいつなのだろうな?」
気まぐれなデシティウスの星が消えてしまった空間に笑みを浮かべ、もう一杯ハチミツ酒を煽ると、何もない空間に遊びは終わりだと狩人のような眼を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
サラリウスがレンと共に警務隊東支所へと戻るとその姿を見つけた一人の美丈夫が盛大に溜め息を吐いた。
正面入り口横の馬の繋留所の方向から誰かと賑やかに話しながら入ってきたサラリウスはまだこちらには気付いていない様だ。
巡視に行かせてから1刻弱、帰還するには少しばかり早過ぎる。
「いくら暑いからってもう帰ってきたんですか? 」
「よう、アベル。お前は涼しそうだな。この日差しの中を徒歩で巡視してたらさすがの俺も干からびるぞ」
「冷気の魔法術くらい制御してくださいよ……で、そちらの彼女は?」
巡視から帰ってきたサラリウスを出迎えたのは副官を務めるアベルであった。
サラリウスは煩いのに捕まったとばかりに天井を見上げたが、その後ろに着いて来ていたレンはアベルに興味深々だ。アベルもアベルで、こじんまりとした大人しそうな女性がサラリウスと親しそうにしていることにおやっと思う。フロールシア人には珍しく短い髪だったので旅行者かとも思われたが、どうやら違うようだ。
訝しげなアベルの様子にレンの目がキラリと光る。にんまりと何かを企んだように笑い、サラリウスの隊服の裾をツンツンと引っ張った。
「サラりんさん、サラりんさん。この方は独身? 警務隊士ってガタイがいいわね!」
「ぶほっ……ごほっ」
「てめぇ、レン! サラリウスだ、俺の名前はサ・ラ・リ・ウ・ス!! 発音しにくいなら地区隊長と呼べ」
威厳たっぷりの低い声でレンを諌めたサラリウスだったが、当の本人は全く応えていないようだ。目をぐるりと回して拗ねたように呟く。
「サラりんの方が可愛いのに……ああ、わかりました、隊長さん、地区隊長さん。で、あの人は独身?」
まさかの『サラりん』に吹き出して咳き込んでいたアベルは気を取り直してもう一度レンと呼ばれた女性を見る。
綺麗な黒髪に黒い目の、何処かで見たような顔立ちの彼女は王都の町娘とは違った雰囲気を持っていてアベルは興味をそそられた。
「ガタイが良くても既婚者はねぇ……目の保養にしかならないわ」
何故そんなにまでガタイが良いことにこだわるのかわからないが、独身を探しているところをみるとレンは出会いを求めているのだろう。筋肉には自信はあるが、残念ながらアベルは既婚者だ。
「お前は独身と筋肉にしか興味がないのか…………まったく、リュディガウスの奴が何でこんな女を選んだのか理解に苦しむぜ。言っておくがなレン、アベルは可愛い奥さんと可愛い子供がいるんだ。余計な手を出すなよ」
「あら残念。少し好みな身体つきだったのに。ちなみにリューさんが選んだんじゃなくて私が先に目をつけたのよ、ここ大事ですからね」
「あーはいはい、リュディガウスの奴がヘタレなんだったな。さっさと抱き上げられちまえよ」
「私の方は準備満タンなんですけどね。グーレラーシャに帰ったらこっちから迫ろうかしら」
サラリウスの故郷を知っているかのような会話にアベルがどうしようか迷っていると、レンとの会話が終わったのかサラリウスが疲れたようにアベルを見た。
「こいつ迷子なんだよ。俺みたいな髪型で赤い髪のでけぇ傭兵が一人こっちに来ているかもしれん。そんな報告はあがってないか?」
「隊長みたいな男ですか? それは大変だ、もはや災害レベルですね」
「誰が災害だ……レンといいお前といい、俺を何だと」
「あーら、あの子顔が綺麗ね! うーん、目の保養になるわ」
サラリウスが迷子だと説明したレンはのんびりとしていて迷子には見えない。
比較的顔立ちの良い警務隊士を見ては嬉しそうに声をあげるレンにアベルは思わず口を挟んでしまった。
「おやお目が高い。しかし既に彼にはこの国のお姫様がおりまして……そうですね、どのような男性がお好きですか?」
喚くサラリウスを無視したアベルはキラキラしい金髪碧眼のセリオ・ガラルーサ警務隊士を眺めるレンに背後から近づき……レンがただ者ではないことに気がつく。
間合いというのだろうか、背後からの接触を避けるように半歩ズレだレンは確実にアベルから距離を取っていた。
「そこの隊長さんに似た男性を探しているのよ。124歳の癖に迷子だなんておかしいわね」
「隊長に似た? もしかしてその方は客人ですか?!」
アベルはレンの言葉に驚愕した。
フロールシアにはサラリウスと同じ世界から来た客人はいない。
だとすれば他国の客人になるのだが、そもそもサラリウスから同胞の客人の話など聞いたことがないのでアベルは益々混乱する。
「だからそこらへんの事情を調べるんだよ。すまんがレオ……ウルティアガ第四捜査班長のところに緊急伝令を送ってくれ」
「ウルティアガ第四捜査班長ですか?」
本部のウルティアガ第四捜査班長と何が関係しているのかわからないが、アベルはとりあえず緊急伝令に使われている青い鳥を作り出す。
それに伝令を込めていたサラリウスの言葉の端々にアーリィという女性の名前やサラリウスの故郷であるグーレラーシャ、さらには聞いたことはないが何故だが背筋がぞくぞくするような不思議な単語が含まれており、アベルは関わらない方がよかったかな、と少しだけ後悔した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
レンを探す為の水盃を覗いていたアーリィとその隣で見守っていたレオカシオの元にアベルが放った青い鳥が飛び込んできた。
青い鳥は緊急伝令なのでレオカシオは自分宛だろうと手を伸ばしたが、鳥はアーリィとレオカシオの間をぐるぐると飛び回り、ちょうど二人の間に降りてきた。
「おかしいな……こちらの仕事ではないのか?」
レオカシオが鴉の濡れ羽色の髪をかきあげ、目をパチパチと瞬かせる。
警務隊本部で第四捜査班長をしているレオカシオには緊急の呼び出しは日常茶飯事なのだ。
「もしかしたら私が力を使っている所為で影響が出ているのかもしれません」
そう言ってアーリィが一度水盃を閉じると、青い鳥は思い出したかのようにレオカシオの右肩にとまった。
『レオ坊! お前のところにアーリィが来ていないか? 実はなグーレラーシャ……俺の故郷から女が一人こっちに来ているんだ。アーリィだか管理者だか知らんが、そいつが関係してるんだろうがっ!! しかも俺の故郷で知り合った男とはぐれたらしい。女は東支所で保護しているが男の方はわからん。お前はあの女……ちっ、アーリィだか女神だかを連れてこい!!』
ずいぶんな言い方だが、慌てているのはわかる。
名前も入れずに緊急伝令とはとがっくりきたレオカシオだったが、相手はサラリウスで間違いない。
しかもサラリウスが保護している女性は多分レンという女性だろう。
『気まぐれ星』とアーリィが探している女性が思わぬところで見つかってよかったが、サラリウスが先に見つけたのはよくなかった。
「レオ様、東支所へ行きましょう!」
一応確認したらしいアーリィは見つかってよかったと素直に喜んでいるが、サラリウスの言い方からすればどうやら迷子はもう一人いるようだ。
「アーリィ、気まぐれ星に確認して欲しい。もう一人の男のことは知りませんでしたが、あの人の知り合いなら十中八九この間の野獣傭兵みたいな男だと思うから」
「あー、野獣ってデシティウスのことですね……その感覚は大体合ってます。レンさんの知り合いなら多分赤毛の傭兵ですね……デシティウスより飼い慣らされていますけど獣には違いありません」
アーリィがうんざりとばかりに溜め息を吐いたのでレオカシオは何か悪いことを言ってしまったのではないかと気が気じゃない。
重々しく肩を落としたアーリィを優しく抱き締める。
「アーリィ……すまない」
「レオ様の所為じゃありませんから大丈夫です。あ、エストレージャ?……レンさんの所在が判明したから迎えにいくわ! うん、そう、あとリュディガーなんだけど……えっ? 暴れてる? ……そっちのギルドも大変みたいね。とりあえずリュディガーがそっちにいればいいの。多分レンさんの勘違いだから……あ、詳しい説明はよろしく」
レオカシオには聞こえないが、アーリィはどうやら『気まぐれ星』ことエストレージャと通話しているようだ。
「どうでしたか?」
「飛ばされたのはレンさんだけみたいですから大丈夫かと」
向こうのギルドは大丈夫じゃないかもと思ったアーリィだったがこのことは今は必要のない情報だ。
レオ様に余計な心配をかけたくないから黙ってることにするけど、ごめんね真姫奈ちゃん。
アーリィは心の中でヒフィゼギルド管理官長の愛妻に謝り倒し、支度をしてからレオカシオの速馬にタンデムすると東支所へと急いだ。
一方、グーレラーシャでは……。
「ちょっとちょっと、アーリィさん? アーリィ様?! 奴に説明って私がするのー? あいつ怖いんだけど……やだなぁ、勢い余ってボコボコにされそうだわ……」
デシティウスのところから移動して、とりあえずヒフィゼギルド管理官長に事情を説明していたエストレージャは休憩室のあたりから聞こえる騒ぎにギクリと身体を強張らせる。
「で、アーリィ様はなんと?」
真夜中に問題を起こして呼びつけたうえに、愛妻との時間に水を差されて怒り心頭なヒフィゼギルド管理官長はコメカミをピクピクさせながらエストレージャに先を促した。
「レンが見つかったので心配ない、と……やだ睨まないで、父親と同じ目付きで睨まないでってば!! なんかさ、視線が邪悪だよ」
「だったら毎度毎度毎度毎度、我々の邪魔をしないでもらいたいものだな」
話が長くなりそうなので、と腕から降りてしまったヒフィゼギルド管理官長の愛妻、真姫奈はまったりと『ニホン』土産の季節限定アイスクリームを食べている。
迷惑をかけているお詫びにとエストレージャが持ってきたものだが、まだ超絶甘党のヒフィゼギルド管理官長の口に入ってはいない。
それもあり、イライラがMAXになりつつあるのだが、エストレージャにはそれがわからなかった。
「さっさとリュディガーに説明してこい。ギルドの補修費はそちら持ちだからな」
「うへーい。なんだかなぁ……せっかくデシティウス様と真夜中ランデブーしてたのに」
「……父上と真夜中ランデブーだと? 待てっ、ど、どこまで行ったのだ?!」
何故だかヒフィゼギルド管理官長が焦った声を出したがエストレージャの意識はすでにリュディガーが騒いでいる方向にある。
「どこまでって、寝酒に寝饅頭ですよ。じゃあ説明して来ます」
「お、おいっ!!」
エストレージャはぶつぶつと文句を垂れながら呼び止めようと声をあげたヒフィゼギルド管理官長には目もくれずに執務室から出て行ってしまった。
「ねぇガイウス。今度からエストレージャお義母様とお呼びした方がいいのかな……?」
「まさか……いや、そうなのか、父上?」
呆然としている夫にさらに追い討ちをかけた真姫奈はのんびりと甘くて濃厚なトリュフ味のアイスクリームをすくったスプーンをペロリと舐めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「レンさん?!」
「あら、あらら? もしかしてその声ってアーリィ様? あらまあ、可愛らしいお姿ですね!!」
警務隊東支所の応接室でふかふかのソファに座って何かの書類を読みながらのんびりまったりコーヒーブレイク中のレンがアーリィの顔を見て歓声をあげる。
物事に動じない性格のレンはここがグーレラーシャでも、ましてやパーウェーナ世界と呼ばれる世界でもないことをサラリウスから教えてもらっていてもあまり焦ってはいなかったようだ。
「レンさん……まあ、なんというかご無事で何よりです」
「そんなに慌ててどうしたのですか? あ、コーヒー、お飲みになられますよね」
のほほんとした声でそう告げたレンはゆっくりと立ち上がると、まるで我が家のごとく棚から勝手にコーヒーカップを取り出した。
思わず脱力したアーリィを後ろから支えたレオカシオはアーリィがレンと呼びかけた女性に注意を向ける。
気の抜けたような、間延びした声を出してはいるが、レンはレオカシオを警戒しているようだ。
しかし、なんとなく雰囲気が……。
思わず視線を鋭くしたレオカシオにサラリウスが喉で笑った
「レオ坊、こいつはお前と同類なんだそうだ……そんなに気を張る必要はねぇぞ」
チュロスと呼ばれる揚げ菓子をかじりながらめんどくさそうに右手をひらひらと振ったサラリウスにレンが悪そうな笑みを浮かべる。
レオカシオと同類ということはすなわち同業者ーーー捜査官なのだろう。
「ふーん、貴方も苦労してるクチね。やだわぁ、この仕事やってると同類って気配でわかるのよね」
プライベートではあまり会いたくはないのに、何故か目に付くのよ、とレンが溜め息を吐き、サラリウスもそれは同感だな、と頷く。
「でも、この広い王都の中でよくレンさんを保護できましたね」
「保護したっていうか、まあ、偶然だ。レンがかっぱらい犯を現行犯で捕まえてたところに俺が通りかかってな。俺を見てグーレラーシャの傭兵か? なんて聞いてくるから迷わず連れて来たんだよ」
なるほど、それは凄い偶然だ。
それにしてもレンはこんなところまで来て何をやっているのだろうか。
グーレラーシャでもかなりの数の犯罪者を摘発しているレンは、もしかしたら歩く犯罪者発見器なのかもしれない……もしくは犯罪者を呼んでいるのか。
どちらにせよリュディガー(保護者)をつけずに一人で出歩くとろくなことにならないようだ。
「あの……コーヒー飲み終わったら帰りましょう? イレギュラーな存在であるレンさんが長いことここにいるとあまり良くない気がしますから」
「えーっと、この書類を読み終わるまで待ってください……逮捕手続きに必要なものなんですよ」
レオカシオから視線を外したレンが持っていた書類をひらひらと振った。
違う世界から来たとはいえ、犯罪捜査官であるというのであればその力量が気になるところだ。
ようやく警戒を解いたレオカシオがレンに向って二コリと笑いかけた。
「それは貴女が作成されたのですか?」
「ええ、逮捕したのは私ですから、責任持って作らせていただきました」
「それは興味がありますね。見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ、黒獅子さん。貴方には不思議な文字でしょうからアーリィ様に翻訳してもらってくださいね」
「黒獅子?」
レオカシオがレンの言葉に首をかしげるが、アーリィは声が出そうになるのをグッと我慢した。
いやいやいやいや、確かにライオンみたいだけどさ、王族だけどさーっ、黒髪に金色の瞳だしそこは黒豹……って私もなに考えてんだか。
思わず心の声が漏れそうになり、レンにツッコミたくなってしまったアーリィはレオカシオから差し出された書類に集中するフリをしながらちらりと黒獅子ーーーレオカシオを見上げる。
紅い星が散りばめられた不思議な金色の瞳の瞳孔がもしも縦長だったら間違いなく猫科の猛獣に違いない。
「どうしましたかアーリィ?」
「いえ、仕事してる目になってるなーって思っただけです」
捜査班長としてのレオカシオは少しだけ怖い雰囲気になる。
それがたまらなくかっこ良くて惚れてまうやろー、と心の中で叫んだのは内緒の話だ。
うん、夜のレオ様みたいだ……絶対に口には出さないし出せないけどねっ!
通訳するのも面倒なのでアーリィは書類に一時的な翻訳の術式を施した。
それを一通り読み終えたレオカシオはレンの捜査官としての腕前に感心する。
レンの報告書は、報告書として読みやすく、またありのままを脚色することなく書き上げている。
捜査書類に主観が入ってはいけないという鉄則は、どうやら異世界共通らしい。
反応が気になったのかレンが少しばかり緊張したような居住まいで聞いてきた。
「どうですか? 黒獅子班長」
「たいしたものですね。若い隊士にお手本として渡したいくらいですよ」
「これを短時間で書き上げちまったんだからなぁ……コンラードの代わりに雇いたいくらいだぜ」
サラリウスは明正和次元の文字を読めるらしく、翻訳の術式が消えてしまった書類に目を通して舌を巻いていた。
レンは照れ隠しのようにすっかり冷えてしまったコーヒーを飲み干すが、その目は誇らし気だ。
「しかし、レンは本来いない人物だからな……この書類、うまく誤魔化すしかないか」
「そうですね。まったく、元はと言えば『気まぐれ星』の所為なのですから、あの人に何とかしてもらいたいくらいですよ」
「あ? アーリィの所為じゃねぇのか?」
「アーリィの所為のはずがないじゃないですか。ドジを踏んだのは気まぐれ星です」
「ほーう、そうかそうか……レオ坊、今度そいつが来たら捕まえておけよ」
「もちろんです」
男二人、しかも悪い顔をしてにやりと笑うので、アーリィは心の中で『気まぐれ星』ことエストレージャに合掌した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「だ、だからね? レンさんはちょーっと別のところにいて、もうすぐしたら帰ってくるから…………はい、スミマセン」
エストレージャはリュディガーからギロリと睨まれてすごすごと引き下がった。
手負いの獣のようなリュディガーをなだめつつ、ジリジリとした雰囲気の中でレンを待っているのだが、未だ帰ってくる気配がない。
最後にアーリィから連絡が入ってから既に二時間。
いくらなんでももう合流できているはずと何度もアーリィに連絡するが、何故か返事が返ってこなかった。
時空の歪みが酷いのだろうか。
フロールシアからニホンまでレンを飛ばすのはエストレージャが担当しなければならないはずなのだが。
いつまでこの危うい獣と一緒にといなければならないのか、というかいたたまれない。
ギルドの迷惑になるので休憩所に隔離している状態であるが、それを抑える役目をエストレージャ一人で担うのもどうかと思う。
しかも薬が効いているとはいえ、リュディガーは病人だ。
病人は病人らしく安静にしていて欲しい。
「あのー、そんなにカリカリしてたらレンさんが戻ってきた時にびっくりしちゃいますよ?」
「あんたがそれを言うか。話を聞けばそもそもあんたらの所為なんだろうがっ!!」
リュディガーは今にも射殺さんばかりの血走った目でエストレージャを睨めつけた。
「それはそうかもしれませんけど……普通は違う時空を超えたりなんかしませんし、多分、レンさん自身にも問題があったんだと思いますよ?」
「なんだと?」
リュディガーはエストレージャを訝しげに睨む。
レンに問題があるなど、聞いていない。
「なんて言うか、わかる範囲の痕跡から分析したところ……レンさんを形作る定義が不安定なんですよね。わかりやすく言えば精神的に危うい状態なんですよ」
別にあの図太い神経が今すぐどうこうなるはずはないのだが、罪滅ぼしとばかりにエストレージャはリュディガーをけしかけた。
まあ、リュディガーとの関係が宙ぶらりんであることに多少なりともレンが不満を持っているのは確かなのであながち間違いではないだろう。
「精神的……レンがか? まさか、向こうの世界で何かあったのか?!」
「違いますよ。ニホンでの痕跡には不安定要素は皆無です……問題はこっち。もしかしたらグーレラーシャに来ることに迷いがあるのかもしれませんね」
エストレージャがしたり顔でそう告げるとリュディガーの顔色がさっと変わる。
ふん、精々焦るがいい。
「こっちに来ることに……何故、何がある? ま、さか、問題は…………俺、か」
「………」
目が泳ぎ始めたリュディガーに無言で溜め息を一つ漏らすと、完璧に勘違いしたリュディガーが頭を抱える。
何というか、リュディガーは意外と打たれ弱い。
傭兵とかいう不毛な職業を選択しているというのに、レンのようにポジティブシンキングじゃないのが解せない。
「グーレラーシャの男にあるまじきヘタレっぷりですからねー。デシティウス様やガイウス君を見習って欲しいですよ。女が覚悟を決めてこっちに来てるのに、何やってるんだか」
トドメとばかりにズバリと言い放つとリュディガーは完全に沈黙した。
少し言い過ぎただろうか。
でもこんなに鈍感な男には丁度いい薬だと思う。
すっかり意気消沈してしまったリュディガーを尻目に破壊された壁を****の術で補修しているとようやくアーリィから連絡がきた。
「あー、やっと繋がった!! アーリィ、こっちの準備はできてるよー。そっちに行った方がいい? ……えっ、マジで?! わ、わかった、しばらくはそっちに行くのやめておくわ……」
どうやら向こうの人とグーレラーシャの元傭兵がご立腹らしいので仕方なくこちらの世界からアーリィと一緒にいるはずのレンの気配を探る。
うん……やっぱり図太い。
切れそうにないくらいの神経だわ。
しかもこの状況を楽しんでるとか、イヤダネー。
いつでもいいというのでエストレージャは意識を集中し、レンを『ニホン』と繋ぎ、えいやっとフロールシアからニホンに飛ばす。
後はアーリィがニホンからグーレラーシャに飛ばしてくれたら完了だ。
「おーい、そこのヘタレ君。レンさんが帰ってくるけど、そんな顔で出迎えるの?」
「レン……レンが帰ってくるのか?!」
壮絶なほどに寂しさMAXな顔をされてもこちらも困るというもので、やり過ぎてしまったかとエストレージャはぽりぽりと頬をかく。
突然ウロウロとし始めたリュディガーに哀れみを込めた痛い視線を送り、待つこと数分。
程なくして、レンが単独でやってきた。
何故単独かというと、レオカシオがアーリィを抱きとめていたので抜け出せなかったからということだ。
かなり嫉妬深い様子のレオカシオにアーリィさんも大変だなぁ、と他人事のような感想を漏らしたエストレージャの目の前では、ただいま絶賛感動の再会の場面が繰り広げられている。
「レン、体調はどうだ? どっか具合が悪いところはないか?」
「今のところは問題ないわ。それよりリューさんの方が顔色悪いわよ?」
「俺はいいんだよ……」
「あら、まあ、ちょっとリューさん?! どうしたの? 本当に具合悪いんじゃないの?!」
すがりつくようにレンを抱き締めるリュディガーを心配したレンが若干やつれたリュディガーの頬に手を伸ばす。
するとその手に自分の手を重ね、リュディガーが切なげな声で「心配したぞ」と小さく漏らした。
もしもーし、あの、私は帰ってもいいですか?
というか帰りたいです、こんな狭い部屋で濃厚なラブシーンとかヤメテクダサイ。
リュディガーが目を丸くするレンを抱き締め……というか、がっちりと抱き上げてレンの首筋に顔を埋めている。
ビクともしないリュディガーを説得するのを諦めたレンがエストレージャに助けを求める視線をよこしたが、エストレージャはこれを完全に無視した。
もうお前ら結婚しちまえ、とばかりに満面の笑みをたたえ、部屋の外へ徐々にフェードアウトしていくエストレージャはレンにグッドラックの指を作って示して見せる。
扉が閉まる直前にリュディガーの『これから一生お前と月を見上げたい、結婚しよう』という声を聞いたエストレージャは、部屋の扉に立ち入り禁止の貼り紙を貼り付けてフィヒゼギルド管理官長にことの顛末を報告しに執務室へと急ぐのだった。




