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閑話 ドキッ☆王都傭兵ギルド真夜中戦争〜甘党だらけの焼き菓子争奪戦〜血生臭くてごめんなさいスペシャル

「そこっ!!」


シュッ


目にも留まらぬ速さで鈍く光るナイフが空を切り裂く。

放った先にいた相手に向かってまっすぐに銀の軌跡を残しながら飛んでいくナイフが月明かりにギラリと輝いた。

「何のっ、せぇいやっ!」

相手はそのナイフを避けながら、勢いのある掛け声と共に長剣を繰り出した。

そして長剣がズルッと伸びたかと思うとしなやかにうねりながら相手の肩口を切り裂く。

「くぅっ!」

不意を疲れた相手は伸びた蛇腹剣を忌々しげに睨めつけると間合いを取るため後方にジャンプする。

「カーネリア、いい加減に諦めなさいっ!!」

「嫌ですっ、いくらイリディア先輩でも譲れませんからあっ!!」

カーネリアと呼ばれた女は蛇腹剣を元の形状に戻すとイリディアの脚元に向かって今度は長剣を一直線に伸ばし、その直後にイリディアの反撃をかわす為に庭木の繁みに走り込んだ。

『瞬刀のイリディア』の放つ瞬速のナイフから逃れることは至難の技だ。

カーネリアは体勢を整える為に繁みの後ろで身体を反転させ蛇腹剣を元に戻そうとしたが、しかしそこには罠があった。

カーネリアの足元で紙切れが不気味な光を放つ。

「きゃあっ! いったぁ……ティリア、これは反則」

「問答無用、成敗!!」

イリディアとは別の相手……ティリアが仕掛けた重力符をうっかり踏んでしまったカーネリアは片足を取られて地面に突っ伏すと、しこたま顎を打ち付けた。


これで邪魔者が一人いなくなった。


ティリアは重力に逆らって起き上がろうと必死になっているカーネリアを見てニヤリと笑うと今度は自分がイリディアに向き直った。

「カーネリア先輩ごめんなさい……その重力符が解けるころには決着がついていますから、ご心配なく」

通常の何倍もの重力がかかっているのだから身体が重くて動くことができない筈だ。

怪我をさせたくなかったので仕方なく使用したのだから大人しくしておいて欲しいが……。

しかし、カーネリアはそこらへんの傭兵とは違った。


あれの為なら、あれの為なら!!


「こんな、へなちょこ符、笑わせ、ないで……よっ!!」

「うそっ?!」

カーネリアの気合いと共に重力符が弾け飛び、素早く起き上がったカーネリアが怒りに任せて放った蛇腹剣が宙を舞う。

「き、規格外……先輩の化け物!!」

ティリアは慌ててカーネリアの攻撃に身構えたが、その背後には彼女が待ち構えていることを忘れていた。

ほんの一瞬、(まばた)きする間だったというのに、その一瞬が命取りになる。

「護符は卑怯ですわよ、ティリアさん?」

「イリディア……お姉様」

ティリアの首筋、ちょうど頸動脈あたりにナイフを突き付けたイリディアが恐ろしいほど爽やかに微笑んだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇



真夜中の王都傭兵ギルド。

その中庭から響く剣戟音や破裂音に混じり、物騒な掛け声が聞こえてくる。

ギルドの職員であれば誰の声なのかすぐにわかる女性たちの声。

いつもは鈴を転がしたように可愛いその声は今は緊迫感に満ち、ただならぬ状況にあることをうかがわせるには十分であった。

そしてその通り彼女たちは武装し、各々の獲物を手に争っていた。

仲間割れか、反乱か。

戦場ではいざ知らず、理由もなしに身内同士で争うことはない職業傭兵な彼女たちが争う理由はただ一つ。


異世界土産の焼き菓子を我が手に。


つい30分前に傭兵ギルドに所属するリュディガー・ファウルシュティヒ高等剣士が受付に土産物を持ってきた。

土産物といってもファウルシュティヒ高等剣士からではなく、異世界人のレン・アリシナが彼に言付けたものだ。

大量の大きな箱からは甘い甘い、グーレラーシャ人の大好物であるお菓子の匂いが香り立つ。

魅惑の異世界産焼き菓子はギルドの職員全員分あったのだが、大量購入のお礼なのか少ないながらおまけがついていた。

先に配られたバターと卵でしっとりふんわり焼き上げた手のひらより小さい焼き菓子はすでにお腹の中に入っている。

すべて同じ種類のものであったので最初はよかったが、違う包み紙が出てきたとたんに職員の間に緊張が走った。

薔薇の花を模した焼き菓子には砂糖蜜が回しかけられており、見るからに美味しそうだ。

「あら、これは他のとは違うわね」

「本当だわ。でも数がないみたい」

「包装も簡易的だし、おまけなんじゃない?」

「5個だけじゃみんなでわけられないわ」

「あ、私さっきの焼き菓子まだ食べてないから交換していい?」

「ちょっと、ズルいわよ!」

「そうよ、みんな平等にしなきゃ」

「先に食べちゃったのがいけないんじゃない。私も交換するわ」

「ダメよ、勝手に決めないで!」

「…………食べ物の恨みは恐ろしいのよ」

「これは貴女のものじゃないでしょ!」

「何よ、やるわけ?」

「そっちこそ」

「あっ、ちょっと勝手に触らないでよ!」

「早い者勝ちよ、いただきまーす」

「させないわよっ!!」


そして、彼女たちによる焼き菓子を巡る争奪戦が始まった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



ファイネのバスタードソードが唸り地面に穴を開け、アニーヤの放った冷気を帯びた弓矢が三俣槍を振り回すサイシャのスレスレを飛んでいき、空気を凍らせる。

「……ちっ、外した」

「やったわね!!」

「だから魔法は反則だって!」

「火事にならないように炎は使ってないもの」

お返しにとばかりにどこからか無差別にナイフが飛んできたが、ファイネはバスタードソードでそれを弾き返し、アニーヤは柱の影に身を潜めた。

以前にもお菓子を巡る争奪戦をしたことがあったアニーヤだったが、こんなに本格的になるのは初めてのことだ。

異世界土産の焼き菓子に魅了されているといっても過言ではない状況に事情を知らない人は馬鹿みたいだと言うのかもしれない。

しかし、ここグーレラーシャ傭兵国では甘いお菓子一つで殺人事件が起きるほど、甘党な種族だったりするのだ。

ファイネが重たいバスタードソードを軽々と振り回しながら飛び道具を払い落とす。

「……次は外さない」

「ファイネさんには負けないんだから!」

互いが互いに牽制し合い広い中庭に静寂が訪れた。

誰かが動けば、みんなにやられてしまう。

緊張感に包まれたギルドに彼女たちを止める者はいない。

何故なら男性職員は既に退避しており、もはやギルドは今、彼女たちの独壇場になっていた。

甘いものに目がないグーレラーシャ人ではあるが甘いものを賭けて戦う女たちに口を挟むような馬鹿な男はそうそういない。

というか、この場合は闘争本能剥き出しの彼女たちに勝てる男がいないと言った方が正解であろう。

傭兵の国にあって情けなく思うが、古来より女に頭が上がらないラーシャ族の男とはそういうものであった。

しかしながら、愛しい女でも絡もうことなら軍配は男に上がると一応フォローはしておこう。

「次で決めます。降参するなら今のうちですよ」

沈黙の中、状況を打開しようとイリディアが提案する。

それぞれが微妙な位置に隠れ牽制し合っているこの状態にそろそろ終止符を打ちたい。

「……異論はない」

「絶対に負けませんから!」

『剛力のファイネ』がバスタードソードを低く構え、カーネリアが蛇腹剣を振りかぶった。

いつ動くのか、今? それとも……。

殺気を抑えきれない彼女たちが、一歩、踏み出そうとしたその時。


「そこまでだ」


聞き覚えのある声と共に見覚えのある鎖鎌が中庭の地面に突き刺さり、それが異様な輝きを放っていた。

「ヒフィゼギルド管理官長……」

「こんな夜中に何をしている。イリディア、説明しろ」

鎖鎌を引き戻したヒフィゼ ギルド管理官長の機嫌が悪いことは暗闇の中からでも見て取れた。

愛妻の真姫奈を腕から降ろしていることからしても、誤魔化しはきかないだろう。

『蓬髪のガイウス』と名高い現傭兵ギルド最恐の傭兵を前にすっかり戦意を喪失してしまった彼女たちは、各々の獲物を降ろしてばつの悪そうな顔で隠れていた場所から出てくる。

「ファイネ、カーネリア、アニーヤ、サイシャ、ティリアに……何だ、まだいるのか? 」

ぞろぞろと目の前に勢ぞろいした女性たちにガイウスは一歩引きながら、彼女たちのボロボロな様子に呆気に取られた。

大きな怪我こそはないようだが、服があちこち裂けたり血が滲んでいたりと結構悲惨な有様だ。

「異様な殺気を感じたと思えば。どうしてこうなったんだ?」

「それは……まあ、色々ありまして」

「女の子の事情ですから」

「……問題ありません」

問題ありまくりだというように片眉を器用に上げると、ガイウスは腰に手を当てる。

「抜き身の獲物を手にしているお前たちに言われても信じられるか」

「イリディアさん肩口に怪我を!! リフルかけましょうか?」

「大丈夫よ、服が切れただけで擦り傷ひとつないわ」

ガイウスを追いかけてきた真姫奈がイリディアを見て治癒術を施そうと駆け寄ってきたが、イリディアは肩をすくめて治療を断った。

皮一枚程度であれば怪我のうちには入らないし、舐めていれば治る……舐めてくれる恋人はいないけど。

「でも、皆さん……ちょっと酷い姿ですよ」

真姫奈が眉をひそめて心配そうに周りを見回し、疲れたように佇む女性たち全員が服をボロボロにしていることにぽかんと口を開ける。

「どうして、まさか敵襲? 」

「違うのよ真姫奈ちゃん、あのね」

「……焼き菓子争奪戦だから、敵襲じゃない」

イリディアを遮るようにして、ファイネが簡潔に説明した。

「焼き菓子争奪戦? 焼き菓子って、レンさんのお土産の?」

先ほどリュディガーが抱えていた箱の山では足りなかったというのだろうか。

かなりの量があったので余っていたら真姫奈も食べようかと思っていたのだが、この分では余りなんてなさそうだ。

真姫奈の疑問にカーネリアが事情を説明する。

「あの焼き菓子におまけがついていたのよ。みんな食べたいって思ってたんだけど、おまけだから数がなくて……」

切り分けるにはあまりに小さく、かといって諦めたくはない魅惑の焼き菓子。

「そうそう、分けるには小さいし」

「じゃあ早い者勝ちだってことで」

「争奪戦になったのよね」

「だから心配入りませんから、ヒフィゼギルド管理官長」

彼女たちの悪びれない説明にガイウスが眉間を押さえて溜め息を吐いた。

中庭は地面に穴が空き、庭木はズタズタに切り裂かれ、凄惨たる惨状になっている。

敵襲が来たとしてもここまで酷い状態にはならないだろうという穴だらけの庭。

「お前たち、朝までに片付けておけ。あと、焼き菓子は没収だ」

「そんなっ!!」

「酷い、横暴!!」

「……管理官長、口元にお菓子のカスが……」

ファイネの突っ込みにガイウスは思わず口元に手をやり、そしてしまったというように顔をしかめた。

確かに帰る前にレンの土産であるケーキを食べてきたばかりだが、そんなヘマをやらかすほどガイウスは間抜けではない。

まんまとファイネの策略に引っかかったガイウスが女性陣を見やると皆一様に目を釣り上げてガイウスを睨んでいた。

「ヒフィゼギルド管理官長、ずるいです」

「アリシナさんからまた特別にお土産もらいましたね?」

「……けち」

「私たちにも分けてくださいよ」

「ギルド管理官長がお食べになった異世界のお菓子ってもしかしてケーキですか?」

「甘さ控えめは物足りないんですよね? これからはそのケーキは私たちがいただきます」

「さんせーい!」

女性たちに詰め寄られたガイウスは真姫奈に助けを求めるように視線を送るが、真姫奈は女性たちの味方なのかガイウスから視線をそらして沈黙を貫いている。


真姫奈……一緒に食べたじゃないか。


女性たちの恨めしそうな視線に呑まれそうになりながら、ガイウスはこの女性たちには逆らうまいと密かに思ったのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「あれ? ガイウスちゅんじゃないですか……どしたの?」

「エリクス高等槍士、その呼び方はやめていただきたい」

「僕の方が年上だもの、少しくらいはいいじゃないですか」

のほほんとした口調が特徴の男、エリクス・ハラシアーゼは背中に背負っていたスピアをよっこいしょと降ろすと、中庭の惨状に目を瞬いた。

あまり治安のよろしくないパイナ草原国での仕事から帰還してきたばかりで、真夜中だったが報告を先に済ませておこうとわざわざ自宅とは反対方向にあるギルドに出向いてきたのだが、何故ガイウス以下こんなにたくさんの傭兵が揃っているのか。

しかも女性ばかりで、そんな彼女たちは武装し、怪我もしているようだ。

「イリディアちゃんたちもどしたの? 僕のいない間にガイウスちゅ……ガイウスギルド管理官長と訓練でもしてた?」

ガイウスからギロッと睨まれたエリクスは慌てて取り繕ったが、その口元はからかうようなにやにやとした笑みをたたえている。

目の覚めるような黄色い髪をグーレラーシャ風に三つ編みにし、髪先に瞳と同じ紫色の大きなリボンをつけたエリクスは、こう見えても専業傭兵で『光槍のエリクス』という二つ名で活躍する王都傭兵ギルドの稼ぎ頭だったりするのだ。

「それに、見慣れないお菓子があるし……もしかして、原因はそれ?」

ギルドの受付嬢であるジィアがうやうやしく捧げ持っている朱塗りのお盆の上には美味しそうな焼き菓子が5個乗っていた。

「…………」

「…………え? マジで?」

冗談で言ったつもりが図星をついてしまったらしい。

エリクスから微妙に視線をそらした女性陣にガイウスが追い討ちをかける。

「リュディガーからの異世界土産でな……まあ、見ての通りだ」

「ははははは、また盛大にやったみたいね」

ガイウスが指し示した中庭を見たエリクスが乾いた笑みをこぼし、意味もなくポリポリと頬を掻いた。

凶悪そうな顔つきのリュディガーとはほんの20分くらい前にすれ違ったばかりだが、まさか異世界に行っていたとは。

最近いつも黒髪の小柄な女性と行動を共にしていたはずと記憶していたエリクスはそういえばその女性の姿を最近見ていないことに気がついた。

あの凶悪そうな顔はフられでもしたのか、それとも目下求愛中なのか。

長年独り身仲間として仲良くしていたリュディガーにとうとう抱き上げたい相手ができたことを喜ぶべきか、それとも裏切り者と非難するべきか迷うところだ。

「リュディガーの所為で今日は最悪だ……ジィア、後は頼んだぞ」

「はぁ……」

唯一争奪戦に参加していなかった受付のジィアに監視を任せ、疲れたように頭を振ったガイウスが真姫奈を呼び寄せていつものように抱き上げると管理官長室の方向へ歩み去っていく。

ガイウスから大目玉を食らい片付けを命じられたのか女性陣が各々溜め息をつきながら掃除道具を手に中庭に向かっていく姿を尻目に、エリクスは片付けを手伝うことにした。

どうせ報告書は明日か明後日に書き上げればいいことだ。

「とりあえずジィアちゃん、依頼完了の手続きをしてくれないかな」

「あ、はい……あの、ハラシアーゼさん」

「どしたの?」

「これ、どうしましょう」

ジィアの持っている盆の上には騒動の発端となった焼き菓子がそのまま残されている。

「うーん……これ、僕が貰っておくよ。喧嘩両成敗ってことで」

「5個全部ですか?!」

「そ。僕も後片付けを手伝うからお駄賃ね」

140歳の中年親父とは思えないほどの色気を含んだ声に言葉を詰まらせたジィアは、それにしても5個全部はないんじゃないかと思いながらもエリクスにしぶしぶ焼き菓子を差し出した。



◇◇◇◇◇◇◇◇



「カーネリアちゃん、そこの芝生は明日補充するから地面を埋めるだけでいいよ」

「は、はいっ!」

エリクスの指示に勢いよく返事を返したカーネリアはピンと背筋を伸ばして穴の空いた地面を踏み固める。

あれから1時間経った傭兵ギルドの中庭ではとりあえずの修復がほぼ完了していた。

折れた枝や散ってしまった庭木の葉は元には戻せないので目立つ部分にケレス森国産の培養液をかけて再生を促進させる処理を施し、大きく剥がれた芝生は近くの花屋に注文することにする。

「このえぐれ具合はファイネちゃんのバスタードソードかな? 相変わらずの剛力だね」

「……これしきのことでえぐれる地面が悪い。それと、その話し方キモい」

全然反省している風には見えないファイネがボソボソと喋り、エリクスを嫌そうに見る。

「キモいって僕が? やだなぁ、いつもと変わらないと思うけど」

「……僕とか、キモッ」

「酷いよファイネちゃん! 助けてカーネリアちゃん、ファイネちゃんが虐めるぅ!」

泣き真似をしたエリクスが地面をドンドンと踏み固めていたカーネリアの元に走り寄ると、それを見ていたイリディアとアニーヤが半眼になった。

いつもと変わらないとエリクスは言うが、いつもとまったく違うことは周知の事実だ。

自分のことを『俺』と呼び、人の名前は呼び捨て上等、そしてかなり口が悪いはずのエリクスが比較的穏やかに(ファイネにしてみればキモく)喋る理由はただひとつ……カーネリア・エイレマールが居る時だけだったりする。

「あんなにモテそうな顔してるのに不思議よね」

「本当、普通にしていれば間違いなくモテるのになんで本命相手にはああなるのかしら」

「……へたれの極みだから、リュディガーと同類だと思うの」

容赦ないファイネの言葉に、小一時間前にレン・アリシナからの土産物を押し付けて嵐のように去って行ったリュディガーを思い浮かべたイリディアとアニーヤは、カーネリアの目の前に跪いて落ち込んでいるエリクスに目を移す。


恋に狂ったグーレラーシャの男ときたら情けないったらありゃしない。


そういえば完全無欠のように見えるヒフィゼ ギルド管理官長も真姫奈に求愛していた時は酷い有様だったとイリディアは思い返す。

真姫奈が冷たいだとか俺の腕からいなくなっただとかとにかく騒ぎに騒いでいざ真姫奈を目の前にすると、狂気をはらんだ極上の笑みで殺し文句を連発していたのだ。

フェロモンというフェロモンをこれでもかと言わんばかりにダダ漏れさせていたヒフィゼ ギルド管理官長は、愛しい真姫奈を抱き上げた今も無駄に色気を放っていて迷惑な時もある。

特にグーレラーシャ人の恋狂いにまつわる習性を知らない他国の女性が絡むと後始末が大変だ。

「あーあ、私もグーレラーシャ人なんだし、恋に狂ってみたいわ」

いつだったか、明正和次元に行った時はかっこいい守護戦士の彼氏を作るのだと息巻いていたのが随分昔の出来事のように思える。

何故自分に素敵な彼氏ができないのか不思議で仕方がない。

「……イリディア、五十嵐家の雄介様はどうしたの?」

「観賞用よ、本気じゃないわ。私は私だけを愛してくれる人が欲しいの!」

「そうね。私は私が抱き上げたいと思える旦那様が欲しいわ」

庭木に培養液を撒き終えたサイシャが戻ってきて話に加わる。

139歳になった、後がないと嘆いているサイシャは抱き上げてもらうことを諦め、抱き上げたい相手を探して戦場を駆け巡る日々を送っているらしい。

「貴女たちなんてまだ見ぬ相手でいいわよね……私なんかあの人を探してもう何年になるのかしら。守護戦士だったし、生死すら不明なんて、不毛だわ」

アニーヤはファモウラの戦場で出会った明正和次元の守護戦士を伴侶と決めているとかで、熱烈な求愛すらバッサリと切って捨てる徹底ぶりだった。

「だからと言ってはなんだけど、せめてカーネリアには幸せになって欲しいわね。あんな奴のどこがいいのかわからないけど」

「……はたから見れば相思相愛でもうまくいかないのってどうして?」

憧れの光槍のエリクスを前にして緊張でカチコチに固まるカーネリアとデレデレとにやけるエリクスを見たファイネが不思議そうに首を傾げる。

皆と居る時にだけ、エリクスはカーネリアに話しかけることができるようで、二人っきりになると駄目なのだそうだ。

こちらからは距離があるが、今はカーネリアの近くにティリアとジィアがいるので厳密には二人きりではない。

「あの二面性を打破しない限り無理なんじゃない?」

「……そうね。基本へたれだものね」

「面倒くさい。ヒフィゼギルド管理官長みたいにガツガツ攻めてくれる人がいいわ。今度レンさんにお願いして『ニホン』のケイサツカンを紹介してもらおうかしら」

リュディガーを手のひらの上でうまく転がしているようにも見えるレンの住む世界だし、きっとイリディアをいい意味で出し抜いてくれる相手がいるはずだ。

「…………あ、エリクスの奴、信じられない」

「どうしたの、ファイネ」

「……あの特別な焼き菓子、カーネリアの口の中に押し込んだ」

「「「うそっ!!」」」



◇◇◇◇◇◇◇◇



「ハラシアーゼ高等槍士、そんなことまでしていただかなくても……」

「皆でやれば早く終わるし、この作業って結構楽しいよ?」

オロオロとしているカーネリアの隣でエリクスは中腰になり踏み固めた地面に向けて霧吹で培養液を振りかけている。

ケレス森国特製の培養液が残った芝生にかかると、小さな芽がウニョウニョと動き少しずつではあるが伸び始めているように見えた。

この分だと芝生を注文しなくてもよいかもしれない。

「申し訳ありません。見境なく争ってしまって、お恥ずかしい限りです」

しゅんと項垂れるカーネリアの頭に思わず手を伸ばしそうになったエリクスはぐっと我慢して拳を握った。

「カーネリアちゃんだけの責任でもないよ。うん、きちんと確認しなかった色ボケリュディガーが一番悪い」

「そんな、リュディガーさんには何の責任もありません!」

まっすぐなカーネリアは即座にエリクスに抗議する。


そうか、リュディガーをかばうのか……俺がどんな気持ちでいるのかも知らない癖に。


「グーレラーシャ人の性質くらいわかっているはずなのに皆で分けられないお菓子を持ってくるなんてさ……喧嘩してくださいって言っているようなものだよ。恋に狂うと周りのことなんてどうでもよくなるのはわかる気がするけどね」

例えば俺がそうだからな、とは言わないでおく。

カーネリアには自分の汚い部分を見せたくないというなんとも我が儘な言い分だと自覚しているエリクスは気持ちを紛らわすように霧吹を連射する。

カーネリアの前では紳士でありたいと願うのは、内に秘めた残虐な自分を隠したいからだ。

「……リュディガーさんってやっぱりアリシナさんに求愛しているんでしょうか。今日は一段とぞくっとするような凶悪な顔でしたし」

「ふぅん、気になるの? どうして?」

エリクスは目の端にティリアとジィアの姿を確認してから話を続ける。

誰かがいればストッパーになるが、二人きりになればもしかしたら襲ってしまうかもしれないという衝動があるのだ。

カーネリアはうっと言葉に詰まり、それから薄っすらと頬を染めてエリクスを見た。

「こ、恋をしたら……自分もあんな風になるのかしらって、きょ、興味がありまして……」


なんて可愛いんだ、俺を憤死させる気か?!


自分の言葉に恥ずかしがるカーネリアの姿にエリクスは努めて無心で霧吹を爆射する。

自分がカーネリアを伴侶と決めてしまったのは何年前だか忘れてしまったが、関係がまったく進展しないことに最近焦燥感がわいてくるようになっていた。

その理由はわかっている、独り身仲間のリュディガーの恋がうまくいきそうだからだ。

3、4ヶ月前から異世界からきたレン・アリシナという短命族の女性の世話をしているリュディガーは、レンに振り回されながらも楽しそうに週末をすごしており、またレンもリュディガーといつもべったりだった。

年下のリュディガーに先を越された、という事実がエリクスに突き刺さっているのだということを理解していても焦る心はどうしようもない。

「興味があるってことは、気になる人とかいるのかい?」

「き、気になるというか、一緒に仕事をしたいというか……」

「教えてくれたら協力できるかも」


俺以外の奴であれば、排除しておくとするか……。


「えっとー、ですね? その人の足を引っ張りたくないといいますか、追いつきたいといますか……あの、あの、もしよろしければ、仮のバディを組んでくださいませんでしょうかっ!!」

カーネリアの言葉にエリクスは頭の中が一瞬真っ白になる。

カーネリアは固唾を飲んで何かを待っているような期待を込めた目でエリクスを見つめている。

仮のバディを組む、とは誰と? と問い返しそうになりエリクスはハタと考えた。

もしよろしければ、仮のバディを組んでくださいませんでしょうか?

仮のバディを組んでくださいませんでしょうか?

組んでくださいませんでしょうか?!

「そ、それって、お、僕?」

おこがましくて申し訳ありませんと何故か謝るカーネリアにエリクスは唖然として、それから頭をフル回転させる。

カーネリアは『連刃のカーネリア』という二つ名を持っている高等剣士で、エリクスと同じで特定のバディを組んでいない。

相性もあるのでバディ選びは慎重にならなければならず、仮バディとはいわゆる『お試し期間』だ。

いつかカーネリアをこの腕に抱き上げるのだと漠然と考えていたエリクスは一気にその日が近づきつつあることを悟った。


このチャンス、逃してはならない!!


「あの……やっぱり忘れて」

「大歓迎だよ!! うん、カーネリアちゃんとならきっと相性も抜群だね! ありがとうカーネリアちゃん、君となら殺伐とした戦場ライフも楽しく過ごせそうだ」

エリクスは驚くカーネリアの両手を掴み、ブンブンと上下に振った。

「あ、えっ、ハラシアーゼ高等槍士! いいのですか?!」

「エリクスだよ。明日早速仮バディに登録しようね、カーネリア」

目を白黒させながらアワアワと戸惑うカーネリアにエリクスはクスクスと小さく笑う。

「ハラシアー」

「エリクス」

「え、エリクス、さん……よ、よろしくお願いします」

モジモジとしながらエリクスの名前を呼んだカーネリアにエリクスは心の中で歓喜した。


まったく、人生どうなるかわからないもんだぜ!!

今はまだ、俺の全てを見せてやれないが……いつかきっと。


「うん、よろしくね……そうだカーネリア、あーん」

「あーん?」

「はい、ご褒美」

エリクスにならって何の疑いもなく大きく口を開けたカーネリアにエリクスは先ほどの焼き菓子をポコンと押し込んだ。

一口には少し大きなそれをモゴモゴと言わせながらも幸せそうに咀嚼するカーネリアにエリクスも自然と口元が綻んでいく。

作られた笑みではなくエリクスが見せた本物の優しい笑みにカーネリアが見惚れてしまったのも無理はない。

「ちょっとー、エリクス、どういうこと?」

エリクスを非難する声と共に離れてこちらをうかがっていたイリディアたちが不満顔で歩み寄ってきた。

どうやらカーネリアに焼き菓子を食べさせたことがバレたようだ。

「あーあ、目ざといなぁ」

エリクスはいつもの笑みを見せ、慌てて焼き菓子を飲み込むカーネリアに片目を瞑ってみせた。


今は、これでいい……だが、これから覚悟しておくんだな、カーネリア!!



◇◇◇◇◇◇◇◇



「ねぇ、ガイウス……芝生ってこんなのだったっけ?」

翌朝、ガイウスに抱き上げられたまま出勤してきた真姫奈は中庭を一目見て茫然と呟いた。

昨日夜中には大惨事だった中庭の庭木が何故か青々と繁り、所々穴が空いていた芝生があり得ないほど伸びている。

しかも芝生の先が怪しくうねうねと動いており、まるで食虫植物のようだった。

「動く芝生など聞いたことがないぞ? 気色悪いな……後で芝刈りをさせるか」

「やだっ、なんか虫捕まえてるよ?!」

「まったくあいつらは……ジィア、昨日関わった奴らを全員呼び出せ!!」


元気のよい? 動く芝生がケレス森国特製の培養液を過剰に使用した所為だと判明するまで後15分。

この日傭兵ギルドでは、丸一日かけて芝刈りをするエリクスとそれを手伝うカーネリアの姿が見られたようだ。


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