最終話: 高原結衣と結婚する夢を見た。
「いただきます」
俺たちは声を揃えて手を合わせる。目の前のテーブルには色彩豊かな料理が並べられており、香ばしい匂いが漂う。向かい側には、二十代半ばほどの女性が同じく座っている。肩まで切り揃えられた栗色の髪と、大きな瞳が特徴の、とても美しい女性だ。
彼女の名前は高原結衣ーーではなく、野崎結衣。紛れもなく彼女は俺の妻であり、最愛の人だった。
「今日は新時くんが好きな、シチューも作ったよ」
「おおいいね、最高」
実に美味しそうだ。これこそ俺の一番、大好きな料理。
「しかしこうしてると思い出すな、高校時代のことを」
「え? 高校?」
不思議そうに首を傾げる結衣。
「ほら、君と付き合い始めた頃のことさ。もう、五年ぐらいになるのか」
「なに、いきなり」
結衣は少し照れたように笑う。急に昔の話題を出されて、戸惑っているように見える。
「今でも驚きだよ。あの時学園のアイドルなんて言われてた君と、恋人になって、こんな風に夫婦になれるなんてね」
「やめてよ、どうしたの急に」
「だから思い出したんだって。たまには思い出話に花をさかせるのもいいだろう?」
「いいけど……でもアイドルとかはやめてよ」
「ああそうだな、悪い」
これは俺が軽率だった。彼女にとってその言葉は今でもタブーであり、黒歴史なのだ。
「なあ、聞いてもいいか」
「なに?」
「あの時誰とも付き合おうとしなかった君が、俺の告白を承諾してくれたのは、なんでなんだ?」
「それも分かってるでしょう? ぜんぶ、新時くんの狙い通りだったんじゃないの?」
「そうだけどね……でも、結衣の口から聞いたことはなかったから」
「……どうかしてたの、多分」
どうかしてた。まあ、そうだろう。どう考えてもあの時の俺たちは、どうかしてた。
「あの時色々叫んだりして、気づいたけど……やっぱ想像以上に限界だったんだよね、あの時の私」
「それは、周りからアイドルとか呼ばれることに?」
「うん。あの頃は本当、そういうので、人生つまらないなって、なってた時で……色々、病んじゃってた」
遠い目で、彼女は語る。タイムリープではないが、彼女も彼女で今、頭の中で過去を遡っているのだろう。多分。
「だから誰かにぜーんぶ、壊してほしかったんだろうね。誰かがそうやって、私を救ってくれるのを期待してて……だから新時くんには本当に、感謝してるの」
「……俺は君を、救えたのか?」
「もちろん。新時くんが私に、色々言ってくれて……私も色々言い返して、それをみんなに聞かれちゃって……そしたら本当にぜんぶ、どうでもよくなっちゃった」
もちろん、それが俺の狙いだった。普通に告白しても仕方がない。みんなが見てる前で、結衣が苦しんでる世界の中で、彼女に思いの丈を吐き出させることこそが、俺の目的だったのだから。
ただそれが本当に正しいのか、確信は持てなかった。今こうして、彼女の口から、当時の心境を聞くまでは。
「今思い返すと、すごい時間だったよな……本当に色々言ったよな、俺たち」
「うん……でも別に、後悔はしてないかな」
「ああ、俺もだ」
つまるところ、明確な勝算があったわけじゃない。それでも俺はあの夜、彼女のつまらなそうな笑顔の真相に、辿り着いてしまったから。
だから次の日、告白することを決心したんだ。つまらなそうな君に、俺たちにやがて訪れる幸せな未来を、伝えなければーーその一心だったのだ。未来に確かにあるその希望を、俺だけが楽しみに待っているなんて、もったいないだろう?
「本当に私、どうかしてたよ。あの時新時くんが言ってくれた、未来とかタイムリープとか、そんな馬鹿みたいな話が、すごく魅力的に思えちゃったっていうんだから」
「馬鹿みたいとは失礼な。俺は本気だったんだぜ」
「あはは、分かってる。新時くんが本気だったからこそ、私はすごく前向きになれたんだから。そんな未来が本当にあるなら、いいな、って」
「……ならよかったよ」
あの一件で俺たちは晴れて付き合うことにはなったが、めでたしめでたしとはいかなかった。みんなが見てる前で大々的にやってしまったせいで、翌日から学校中の生徒から白い目で見られるようになったし、俺が変人だという噂は瞬く間に広がった。
そしてそんな男と付き合うことにした、結衣も。
「だから時々不安に思うこともあったんだぜ。あれから卒業まで、辛い思いをさせてしまっただろうから」
「あはは、そう思ってたんだ。いいよ。アイドルとかいって変に持ち上げられたりするより、何倍もマシだし……みんなの目だって全然気にならなかったよ」
「本当か?」
「うん。だって新時くんと遊んで、ご飯食べて、お喋りする時間が、幸せすぎて……そんなの気にする隙間なんて、なかったもん」
そう言われると、ものすごく照れる。そして、つくづく俺にはもったいない妻だな、と思う。
だけど確かに俺も、あの後の高校生活を、辛いなんて思ったことは一度もなかった。当たり前だ。そう思うなら、最初からあんな告白の仕方するわけがない。
ちなみに周りからは白い目で見られても、西本だけは普通に友達として接してくれた。結衣も、浜中さん伊東さんコンビからはあの後謝罪されたそうで、和解したようだ。三人は結婚式にも来てくれた。
「そう考えると、なんだかんだで、良い高校生活だったのかもな……」
「そうだねえ……。でも、なんで今それを思い出したの?」
「ん?」
ああそうか、その説明が抜けていた。
「言ったろ。高校時代、俺は未来を見たって。その未来がまさに、こんな感じの光景だったんだ」
「ふぅん?」
「二人で食卓を囲んで、美味しいご飯を食べさせてもらって、結衣は楽しそうに微笑んでいて……幸せだった。高校時代のある朝、そんな未来を見て、目が覚めたんだ」
「じゃあそれ、夢だったの?」
「夢じゃねえって。いや確かに俺も最初はそう思ったけど、やっぱりあれは現実だった。つまり俺は、タイムリープしたんだ」
「ふふふ、そうなんだ」
「おい、信じてないな。そうだ、目が覚める前に、結衣が言ってんだよ。その約束を果たすために、俺は……えっと、なんだっけ」
「この幸せな未来にきっと、辿り着いてね」
結衣は、そう言った。
「……そう、それだ! 一言一句合ってる気がする! 結衣、なんで分かったんだ?」
「分かるよ。私が言ったことなんでしょ? 私ならそう言うもん」
なるほど、それはそうか。あの時も今も、同じ結衣なんだ。
「それに、ちゃんと信じてるよ。高校の時から、ずぅっとーーだから私は新時くんとこうして、一緒になろうと思ったんだから」
「……そうだな、ありがとう」
「ううん、ありがとうは、お互い様だよ」
二人で、笑い合う。
「そうだ。俺は確かに結衣と約束を交わして、タイムリープして……そしてやっと今ここに、戻ってきたんだ」
あの日高校時代にタイムリープした俺は、結衣に告白をして、奇跡的に付き合うことができた。だけど当然それだけで、この未来に戻れたわけではない。付き合い始めてからこの瞬間まで、色んな困難があって、楽しいことも辛いこともあった。それでも俺たちの縁は切れることなく、こうして今も一緒にいる。幸せな時間を過ごしている。
それは俺一人の力じゃできなかったことだし、結衣はもちろん、西本たちのおかげでもあった。色んな人の力を借りて俺は、あの日見た未来に、戻ってきたのだ。
「そっか。じゃあそっちの約束も、新時くんは果たしてくれたんだね」
「ああ、そうだな」
「新時くん。ねえ、新時くん」
確かめるように、思い出すように、俺の名前を繰り返し呼ぶ。そしてーー
「幸せな未来に、辿り着けたね」
彼女は笑う。それは俺の大好きな、笑顔だった。
「……ああ」
「ありがとう、新時くん」
「お互い様だろ」
「そうだね」
また二人で、笑い合う。この大好きな笑顔を、幸せな時間を、ずっとずっと守っていきたいと、俺は思った。
「ていうかお礼よりさ。俺は今まさに、この長い長い時間旅行から、戻ってきたんだぜ?」
「うん?」
「ほら。他に何か言うことが、あるんじゃないか?」
なんて冗談っぽく言うと、結衣もまた、可笑しそうに笑った。
「ああそうだね、たしかに。言うの忘れてた。ふふっ」
ここに、世界一幸せな男がいた。男の名は野崎新時ーーつまり、俺だった。
そして俺たちがいるこの場所は過去でも未来でもない。
確かな、『今』だ。
「おかえりなさい、あなた」