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それから二か月ほど、菱垣の指示に従って失速に入れることを繰り返す期間が続いた。
実験の合間に多少の機動を試すことは許可されていたが、相手がいないと目標がなく、飛んでいる、というよりは飛ばせているような時間が続いた。
あの後、新型戦闘機の話は彼女からは出てきていない。どうなったのだろうか。
二年以上実戦を経験していない。でも、良く思い出す。
最後の戦闘。
氷川の機体はまるで停滞と加速を繰り返すように舞い、僕らの周りにはいくつもの黒い柱が立った。
弾薬が切れた時には、既に周りには一機も飛行機は飛んでいなかった。
きっともう、基地も着陸できない。僕は機体を上昇させた。燃料に余裕はなかったけど、なんとなく雲の上へ登ってみたかった。
白を突き抜け、蒼へ。
周りには誰もいない。
ここで死のうか、と考えた。ここで死ねば、機体はしばらくは飛び続けるだろう。
でも、いつかは墜落する。死ぬときに死体を晒すのは嫌だな。
その時にはもう死んでいるはずなのに。僕は笑った。
それから、そう。乗っている機体をどうにかしなくては、と思ったんだ。
一応、亡国のとはいえ機密なのだから、機体を地上に残すのは駄目かもしれない。
可笑しいな、どうして今更そんなことを考えているのだろうか。
そうだ、海に沈めておこう。
そう思ったとき、エンジンが止まった。
燃料計を見る。空だった。
そのまま滑空して行く。
音がしない。
ここはどこだろう。
天国かもしれない。
死んでしまったら、音が消えるのだろうか。
海面が見えてくる。
引き起こす。
速度は十分すぎるほどある。
フラップを降ろす。
あまり大きな抵抗になってもいけないので、少しだけ。
減速。
機首を上げる。上昇はしない。
さらに減速。
すぐ下に海面。
さらに引く。
まだまだ。
滑っている。
スタビライザが嫌な音を立てる。
波は余り無い。
減速。そろそろ限界だろう。
少しだけ沈ませる。
スタビライザが波を掠った。限界まで我慢。
失速。
海面に滑り込む。
つんのめって、叩きつけられた。
不思議なぐらい沈まない。
燃料が空なのと、FRPで隙間が少ないのが原因か。単に新しいだけかも。
あと2時間ぐらいで、日が沈む。
着水してから、どうして生き残ろうとしたのか考える。
救助は多分来ないだろう。
この後どうするか。
否。どうしようもない。何をしたって同じだろう。
シートを後ろに下げ、計器盤に足を掛ける。
ラダーペダルの下にも、まだ海水は見えない。
ポリカーボネートの向こう。
僕が飛んだ空がある。
彼が飛んだ空がある。
飛べない。
もうきっと、飛べないだろう。
試しに操縦桿を動かしてみる。動いているのが確認できて、感心する。
ヘルメットを脱いで、足元に転がした。
目を瞑った。
このまま沈んでいけるだろうか。
でも、
やっぱり、また飛びたい。
夕日に目を凝らす。
点がぼんやり見え、
大きくなった。
ヘリだ。もちろん、敵機。
仕方なく、キャノピーを開ける。
主翼も半分ほどは沈んでいる。ここまで浮くなんて、どれだけ水密構造になっているのだろう。
その主翼の上に、救助員が降り立つ。
立って、機体に腰掛ける。
救助員は僕を見るなり、敬礼した。敵側だったし、階級も向こうの方が高かったのだが。
彼は僕にホイストケーブルのコネクタを差し出してきた。それに自分のベルトを繋ぐ。
最後に振り返って、鳳流を見た。この分だと、明日中に沈むだろう。
ヘリの中で簡単な健康診断を受けたが、異常はなかった。
この後どうするかを考える。
否、さっきから考えていただろうに。
少しぼうっとする。
何か話しかけてきたようだが、聞こえなかった。
「少し眠る」と言って、僕は目を閉じた。
昔から、血が薄いといわれることはあったが……。
どうしてだろう…………。
その後、一週間ほど意識がなかったらしい。
そこまで重症じゃなかったはずなのに、不思議な話だ。
そのあとすぐに菱垣の拠点に移動させられて、そこでしばらく暮らした。入るときにかなり物々しい検査を受けたから、彼女はそれだけ重要だということだったのだろう。
もしかしたら氷川や桐田の話が聞けるかもしれないと思ったが、一切聞いていない。
きっと、あの規模の部隊など忘れ去られてしまったのだろう。
正式に敗戦が決まったのはあの戦闘の三日後で、それ以外はあまり目立った話は入ってこない。
彼女の才能には驚かされた。
鳳流の設計も彼女がかなり関わっていたらしい。
その才能と行動に引き寄せられたと言っていい。
もし実戦部隊に復帰できるとしたら、どうしよう。
飛べるだろうか。
彼女を置いていくことになるだろうか。
戦えない。まだ今は。
彼女が敗戦近くの記憶を思い出すまで。