まごころを込めて(着地篇)
厨の方角から轟いた爆発音に、しかし
特別そちらへ視線を向ける者は一人としていなかった
「なんぞ爆発するようなものがあったのかえ?」
「いいえ陛下、火薬の類いは置いてはいない筈でございます」
エスタラルチェ女王の問いに少し離れて待機していた侍女のうちの一人が静かに答える
「まぁ人間は無事じゃろう、厨は兎も角として」
「厨では火と刃物が使えないと困るのでその辺りの制限は緩めてありますからね、その隙を突くようなことがあったのでしょう、調理中のものは兎も角として袋や器に入っている材料は入れ物に術を施してあるので無事の筈です、予備の材料も大量に用意しましたので彼女の指導なら一度に全ての袋を開けるなどして使用するということは無い筈です」
「聞いた通りじゃ、材料を持たせる人足と一緒に行って別の厨へ案内しておやり」
「畏まりました」
ランディアガ先王の言葉を魔術師が補足すると、それを元に女王が指示を与えた
強固な結界が結ばれた筈の城の一角が爆発したというのに、面々は誰一人慌てることなく寛いだ様子で絵札を使った遊戯に興じている
この遊戯は魔術師の義父母が夢枕に立って娘婿に教えたもので、ここに集う四ヶ国の重鎮の後ろ盾の下、彼らが懇意にしている商業組合主導で諸国へじっくりと広げているところだ、魔術師夫婦の割の良い副収入となっている
「ディアウルグラヴィッドユェン、そなたが運んだ材料は何だ」
「蜜漬けや砂糖漬けの果物と小麦粉と卵と牛乳です、果物と小麦粉はエダン・ファティニから買いましたが卵と牛乳はこちらで用意されたものです」
今まで黙っていたミガヴェルグム王が手札を捨てつつ尋ねると、問われた魔術師はすらすらと答え、そこへ札の山から一枚取りつつランディアガ先王が付け加える
「あぁ、それらは鮮度が命じゃからな、大抵どの城も飼っておる、我の城でも飼っておるぞ」
「ふぅむ……鶏の餌は何であるか分かるかえ?」
「確認してまいります、少々お待ち下さい」
エスタラルチェ女王に問われて暫し退席した侍女が数分後に戻り、手に持った走り書きを読み上げようとする侍女に女王が手を差し出して要求すると、その走り書きは上質の書簡のように恭しく献上された
それを肩に三羽の兎の魔獣を載せたランディアガ先王が、間に居たジェスラルダ国王の眼の前を塞ぐようにして身を乗り出し覗き見る
「ああ、これじゃな、金属を含んでおる」
「ふむ、卵の栄養価を高めるための鉄分かえ、これを含まぬ餌で飼育したものは?」
「ございます」
「ではそちらの卵を持っていっておやり」
「畏まりました」
とりあえず原因は推測できた、粉類と火気となれば余程奇異な状況でもなければ考え付く原因は一つくらいだろう
粉末が空気中に飛散し充満した中で火気を与えると瞬く間に燃え広がり爆発する、この発火現象を粉塵爆発という
娘には何故卵を割って火花が散るのか分からなかった
娘の故郷ではありえないことだが、この卵を産む鶏の種は与えられる餌によって産む卵の成分に殻中身共に相応の影響が出る
この卵を産んだ鶏は金属を摂取しており、割れた瞬間に火花を発した
しかし、娘がそんなことを知る筈も無く
厨は盛大な爆発現象によって跡形も無く吹き飛んだ
「さて、すいーつを食べられるのはまだまだ先になりそうじゃな」
「あれの不器用さは並大抵ではない、あの身体になってもそれは変わらなかった、コトネでも荷が重かろう」
「ふ、急く必要はあるまい、気長に待つのも一興」
「しかし子供らには別に茶菓子を用意してやった方がよいかもしれぬ、あれの腕では何時間掛かるか分からぬからな」
「そうじゃな、そのように手配しておやり」
「畏まりました」
ミガヴェルグム王の助言を受けて指示を下すとエスタラルチェ女王は手札を持ったままうつらうつらと舟を漕ぐジェスラルダ国王の手札を三枚捨て、反対側からランディアガ先王が札の山から札を引いてジェスラルダ国王の手元へ差し込む
「くっく、よく魘されておる」
「実に分かり易い寝言じゃ」
苦汁顔で父上お止めくださいと魘されるジェスラルダ国王は最近睡眠不足だ
「ディアウルグラヴィッドユェン、そなたの話ではジェスラルダの先王はユメマクラに立って別れの挨拶をしたのでは無かったかのう」
「暇を持て余しているのでしょう」
「暇か、それは一大事じゃな」
「退屈は時に人を殺すとも言うしな」
ジェスラルダ先王は男女の仲を取り持つのが殊の外好きだった、趣味だったと断言してもいい
そんな先王は、息子に別れを告げた後、どうしても気になっていたことを尋ねたらしい
"あの夫婦はどうなったのか"
……と
現王は相変わらずの先代の趣味に若干の頭痛を感じつつも未練が残るのもよくないだろう、と先代が気にしていた夫婦の現在の様子を教えた、そして現状のこれである
気になっていた夫婦はぎこちないまでも歩み寄り仲良くやっているようだ、今はそっとじっくり見守るべきであろう、ではあの夫婦は、未亡人に思いを寄せていたあの騎士は、あの夫婦の末の娘はもう年頃の筈だ
……きりが無かった
しかも、息子に手柄を持たせようと、夢枕に立って助言をしてくる始末
そなたがやらぬなら代理としてわしが、と鼻息荒く意気込む父王を押さえ込むのは並大抵のことではなく、これを連日連夜やられたのではたまったものではない
今も立派な隈を作ったジェスラルダ国王は、どうやらうっかり舟を漕いだところを捕まったらしく、そのまま帰してもらえないようだ
寝てはいても疲れは一向にとれる筈が無かった
「しかし、他人の色恋沙汰ならば、ここによい獲物がおるだろうに」
「それもそうじゃな」
二人に意味深に視線を向けられたミガヴェルグム王は、ふん、と意に介さず手札を引く
「あの王は食わせ者だった、大事であれ小事であれ他国の事に手を裂くなど滅多にあるまい、やるならばそれは他国の為ではなく最終的には自国の為の筈だ」
「ふ、正論で誤魔化されてはやらぬぞ、そなた、奥方の為に城に腕の確かな人形師を囲ったそうではないかえ」
「……地獄耳め」
ミガヴェルグム王は妻の宿る依り代を作る為に、わざわざ外国から人形師を招き、城内に工房まで与えた
その作業の様子を政務の間を縫っては時間を作って覗きに行き、自ら人形作りを覚えたミガヴェルグム王は妻の身体を寝食を惜しんで作り上げた
"わたくしも、貴方と共に老いていきたかった"
――そう呟く妻の願いを叶え
生きていればそうなっていたであろう加齢した容姿の人形を
「その手の話しがしたいのなら自分の話を披露するのがよかろう、存分に語るがいい」
「なんと! 麿のコイバナを聞きたいと申すか」
「なんじゃその"こいばな"とは」
「コトネによると恋の話を略してそう呼ぶそうじゃ」
恋の話と聞いて、男達は揃ってげんなりと苦い物を噛み潰したような顔をした
大概において女の恋愛話は放っておくと終わりが見えない、時には同じ話が何度も堂々巡りすることも珍しくない
女二人揃えば――などと諺があるくらいだが、エスタラルチェ女王は立場上そういった私的な話をする人間は限られる、それも同性ともなれば尚のことだろう
吐き出されることなく蓄積されたコイバナは相当量溜まっている筈だ、一人で延々と一晩でも二晩でも語ってくれるに違いない
――そんなわけで数時間、男共は同意を求められ、否定せず、ただ只管に頷くことに徹した
女王の口から語られるソレに、初対面で刺客かと誤解し縊り殺しそうになっただとか、本当に人間なのか確かめようと手探りで丸裸にひん剥いただとか、充分な食事を摂ったかどうか判断できず漏斗で胃に直接許容量以上の食事を投下し破裂寸前まで行ったが破裂せずに逆流しただとか、色々と物申したいことが山と語られ、意見を言いたいのに言えばどうなるかが予測できるからこそ言えないという凄まじい苦行を強いられつつも、男共は、ただ、黙って、只管に、頷くことだけを繰り返した
男達には既に時間の感覚が無い
この無限地獄はいつ終わるのか、今日は労いの席では無かったのか、おい今の話は既に六……いや八度目だぞ、ただ座って話をきいているだけなのになぜこんなにも体力が削ぎ落とされていくのか、だんだん思考が回らなくなってくる
「なんぞ麿ばかり話しておるな、そなたらの馴れ初めなぞ話してたもれ」
「「「?!」」」
此処へ来て、更なる苦行
男達はお互いに擦り付け合いを始めたがこれは訪れるべくして訪れた避けられぬ争いと言えよう
「従姉妹なのだから馴れ初めも何も珍しいものなど何一つ無い、我らよりも人生経験の勝るランディアガ先王の有り難い経験談を拝聴するのがよかろう」
「我も見合いじゃ、特別珍しい話は持ってはおらん、やはり恋の話といえば若者じゃろうて、ほれ、子供の数が三桁を越えておるし、現在進行形で熱苦し……いや熱々の話が聞けそうじゃ、のぅディアウルグラヴィッドユェン」
「おかしなことを仰る、子供の数が多いのは夫婦揃って多産系だからです、兎の魔獣としては平均的です何一つ珍しいことなどありません、それに馴れ初めならお三方ご存知の通りあの式典です、それよりも妻の為に己が脱がす婚礼衣装をレースから刺繍縫製までお一人で縫い上げたというミガヴェルグム王陛下のお話の方が聞き応えがあるかと存じ上げます」
「……まて、そなたその話誰から聞いた」
「麿じゃ」
「?!」
ミガヴェルグム王は、あの時 今際の際だと思って迂闊にも口を滑らせた己を呪った、――心の底から呪った
「それよりもディアウルグラヴィッドユェン、ずるはいかんのではないかぇ?」
「何のことでしょう」
「あの式典で出逢ったのはアウルヴァダ、人間の方のそなただけであろう」
「そういえばそうじゃな、魔獣のユリシーズについては聞いておらぬな」
「おかしなことを仰る、皆様の周知の通り当時幼い魔獣のわたしは預かり児として彼女に預けられた、それだけです」
――こやつ、意地でも言うつもりが無いな
ある種の悟りを開いたかのような超然とした作り笑いを披露され、王達はドン引きしつつも確信した
しかし、このように牽制されると俄然聞き出したくなってくるのが人の性というもの
とはいえ、妻である娘に聞くのが一番手っ取り早いといえば早いが、どこから話しが漏洩したのかが知られれば娘は当分の間、足腰が立たなくされてしまう
そうなれば暫くは甘い物など食べられなくなってしまうだろうと即座に導き出された
如何にして聞き出すか、それが問題だ……
――しかし、運はこの魔術師に見方をしたようだ
「陛下、間も無く此方へいらっしゃるそうです、椅子を増やしてもよろしいでしょうか?」
「なんと、思ったより早かったのじゃな、よい、任せたぞ、これももう片付けてもよいじゃろう」
「うむ」
「構わぬ」
「畏まりました」
侍女の知らせに女王が許可を出すと追加の椅子を持った侍従が現れ、円卓の空いた場所に椅子を差し込み、札を片付け茶器の用意をし卓の上を整えていく
「皆様随分とお待たせしてしまいましたわね、退屈させてしまったのではありません?」
「ふふふ、待ち遠しいものほど待つのも醍醐味の一つ、さ、御夫君の隣へ」
「有り難う存じ上げますわ」
エスタラルチェ女王に促されたミガヴェルグム妃はいつの間にか立っていた夫のエスコートで席に導かれ、椅子を引いてもらうと女王に礼を言い、夫に目礼して席に着いた
続いてエスタラルチェ王配も侍従が引いた椅子に腰を下ろす
因みに侍従は着席によって座面がへこんだのを見て着席を確認した
二人が着席したのを確認した娘は、侍女にお茶を任せると円卓の中央に幾つかの蜜漬けや乾物、酒漬けなどの果物を盛り付けた深皿を置き、次にパンケーキを盛り付けた皿をそれぞれに給仕していった
今回は大量に用意した材料に比べ成功したパンケーキは僅かであったため、残念ながら子供達の分はまた次回ということになる
「お好きな果物を載せてお召し上がり下さい」
「ふむ……コトネ、これは何かえ?」
「ふふふ、なんだと思われますか?」
エスタラルチェ女王が抱いた自身の前に給仕された皿の上のそれについての疑問に答えたのは、しかしミガヴェルグム妃だった
「ふぅむ……」
丸く綺麗に焼けていないのは分かるが、他の者のパンケーキには無い表面のいびつな凹凸
給仕を終え、夫である魔術師の隣に着席した娘が恐る恐る明かした
「えっと……実はそれ……王配殿下の顔型です」
「なんと?! こ、これがラヴィのっ、夫の顔だと申すのかえ!!」
「エ、エスタラルチェの、それ以上凝視してはラーヴァヴィラム殿がっ」
「は、す、すまぬ」
思わず二人の間だけの愛称をもらし、夫の顔(があると思われる位置)を凝視した女王の頭をランディアガ先王がぐきっと逸らした
因みにこれはミガヴェルグム妃が焼き上がったパンケーキをフライ返しでひっくり返そうとして勢い余り、エスタラルチェ王配の顔に強か叩き付けた際に出来た顔拓である
様子見に来ていた侍女に手伝ってもらい、折角の型を崩さないよう裏返さずに火を通す為、松明を用意してもらい、表面を炙ることで生焼けは回避されている
「あ、ありがとうルシェールルーウェル殿、ありがとうコトネ、はじめて……はじめてそなたの顔を見ることができた」
ミガヴェルグム妃と娘に礼を言いつつエスタラルチェ女王は夫の胸に縋って嬉し涙でおいおい泣いたが、武芸に秀でるわけではなく気配に鈍感な娘や侍女侍従たちには相変わらず抱き合う夫婦の姿(主に夫)は見えず、愛を囁きあう夫婦の言葉(主に夫)も聞こえなかった
因みに蛇足ではあるが、女王が夫の顔を知らなかったのは武芸の心得のある彼女がその姿を見ようと凝視するとその覇気で色々と命に影響がありそうな為に武芸の心得の無い画家を呼び寄せ夫の顔を描かせようとしたものの、総て失敗に終わっているためだ
多大なる集中力を必要とするものの、凡人でも粘れば薄っすらとその姿を見ることは可能だ――が、見えた姿は痩せ細り肌は土気色 眼は落ち窪んで濁っており さながら冥府より這い出た死霊そのものであるため、画家たちは女王の気持ちと我が命の可愛さを慮り、彼らは皆一概に自分には見えないと言って城を辞したのであった、第三者にはもはやどうでもいい秘話である
斯くて苦労の末に焼いたパンケーキも初めてのわりには出来栄えが良く、慰労の茶会は成功の内に幕を閉じた――
「ところでコトネ、この顔型、保存したいのじゃが塩漬けにすればよいかえ?」
「え?!(塩?!)」
――のであろう、たぶん。
というわけで読んでくださりありがとうございました!