Second Kiss
お待たせしました。
田宮啓介君視点です。
やってしまった。
啓介が思ったのはただその一言。
いくらあちらから仕掛けてきたとはいえ、もちろん意図があったわけではないのはよく分かっていたし(そもそも”仕掛けた”なんて単語が状況に合っていないことも分かってはいる)、こちらだって実際に行動を移そうと思っていたわけではなかった。
それなのに。
気づいたら奪っていた。
あの日から数えたら、100回は超えているであろうため息を、啓介は誰にもばれないように吐いた。
田宮啓介が星野志保を認識したのは、高校二年生のクラス替え後、自己紹介の時だった。
「星野、志保です。1年の時は4組で・・・」
たいていの人が、自分のフルネームを流暢に言う中、彼女は違った。
姓と名の間に微妙な間があったのだ。
それまでぼんやりと自己紹介を聞いていた啓介は、おや、と思った。
だが、その時はそれだけだった。
星野が何を話していたかなんて、覚えていない。
そして新しいクラスに徐々になじんでいくうちに、普段から交流があるわけではない女子の下の名前など、すっかり忘れてしまった。
1学期の中間試験の後だったか。
試験結果を返され、クラス中が喜びや嘆きの声を上げていた時、啓介はただ淡々と、結果を受け止めていた。
勉強は好きだ。
学ぶということ自体が楽しいし、努力した分が顕著に出る。
運動はそこまで苦手ではないが、芸術系はあまり得意ではない。
ああいうものは、センスがものをいう。
しかし机上の勉強なら、頑張れば頑張った分だけ結果に出る、と思う。
ホームルーム後、今年度同じクラスになったばかりの女子2人が啓介に近寄ってきた。
「田宮君、学年1位って本当?」
「すごいよねー。どうやったら取れるの?」
また来たか。
正直、面倒としか感じなかった。
他人が何位を取ろうが構わないと思うのだが、興味本位なのか何なのか、この手の輩は後を尽きない。
その度に無視しているのだが、クラス替えでメンバーが替わってしまったので、この女子2人は啓介がこの話題に応対しないことを知らないのだろう。
啓介が答えないでいると、2人は勝手に話し出した。
「やっぱりさー、私らとは頭の出来が違うんだよねー」
「ねー。1位なんて、逆立ちしたって取れないもんねー」
だから何だと言うのだ。
俺に何と言ってほしいんだ。
面倒だ。本当に面倒だ。
そのとき、意外なところから援護射撃が来た。
「そんなことは、無いと思いますけど」
驚いて自分の右斜め後ろを見ると、その席に座る星野がこちらを見ていた。
「何よー、星野さん。聞いてたの?」
「聞こえちゃったんです。それで、学年1位、頑張れば取れるはずですよ。誰だって」
「えー何言ってんの?取れるわけないじゃん」
「努力すれば、ですよ」
「努力なんかしたって、田宮君みたいな天才がいるんだから無駄だよー」
「天才、なんですか?」
星野が啓介をまっすぐ見て尋ねる。
「いや?俺は天才型じゃないから。授業中は一生懸命先生の話を聞いて、復習と、苦手教科は予習もして、試験対策も結構根を詰めてやるタイプだけど」
「わ、努力家。田宮君以上に頑張れば、学年1位も取れますよ」
後半は、女子2人に向けて。
「べ、別に1位取りたいわけじゃないし」
「そうなんですか。取りたいから田宮君に聞きに来たのかと思ってました」
「もういいよ、あっち行こう」
そう言って面倒な2人は、どこかに行ってしまった。
「すみません、余計なことを言いましたか?」
「いや、正直無視するつもりだったから、追い払ってもらって助かった」
「追い払うつもりはなかったんですけど・・・。田宮君、少し、困ってそうかなって」
顔に出したつもりのない感情を読み取られて、少し驚く。
「あ、私が騒がれるの好きじゃないだけなんです。困ってたんじゃなかったらごめんなさい」
「ああ、いや、困ってた。ありがとう」
啓介の言葉に、星野が今度は驚いたようだった。
丸く見開かれた目を、細い三日月に変えて、「どういたしまして」と彼女は笑った。
この日から、星野志保は、啓介の中でちょっとだけ特別な存在になった。
授業中や休み時間中、ふとした時に自分の視線が星野を追いかけていることに気付く。
友達と話しているときに楽しそうにしていると、何の話題なのか気になる。
勉強は得意ではないらしいが、一生懸命取り組んでいる様子はとても好感が持てる。
小柄な背も、染めてない黒髪も、自己主張が強すぎないところも、地味で目立たない仕事を黙々とこなすところも。
好ましい部分は、どんどん増えていく。
そして幸運なことに、何回目かの席替えで、啓介は星野の隣の席になった。
隣になったことで、少しだけ会話が増えた。
星野の固かった話し方も、友達同士のそれと変わらなくなっていった。
そうなってから改めて、彼女のフルネームを認識した。
星野志保。ほしのしほ。
ふと気が付いた。
上から読んでも下から読んでも、同じ名前になっているではないか。
確か、回文と言うのだ。
回文は好きだ。
誰が考えつくのか分からないが、文字の線対称は、とても美しい。
もちろん、彼女の名前も。
もしかして、回文をきっかけにもう少し仲を深められないだろうか。
そこで、オリジナルの回文を、授業中に考えることにしたのだ。
彼女と話すきっかけにするのに、他人様の回文は使いたくないなと言う、ちっぽけなプライドからだ。
もちろん、授業内容も聞きながらの創作である。
まさかそれを、当の星野に見られており、その放課後、まさか勢い余って彼女の唇を奪うことになるとは思いもよらなかった。
ただ、ほんの少し、今までよりも距離を詰められたら、そう思っていただけなのに。
例の放課後から、1週間経った。
あんなことをしてしまったのに、普通に話せなくなるのは嫌だという気持ちが働き、翌日、何もなかったかのように「おはよう、星野さん」と挨拶をした。
星野は多少挙動不審だったが、あまりに啓介が通常運転なためか、「お、おはよう・・・?」と一応は挨拶を返してくれた。
普通に普通に、そう念じながら生活していたからだろう。
以前と同じくらいには、会話をしている、気がする。
しかし、その会話の中に、回文の話題が出てくることはない。
すっかり、あの日のことを星野に話す機会を逃してしまった。
大体、ちゃんと告白もしていないのだ。
「お試しでキスをする」なんて、どこの遊び人だ。
星野はあの日のことをどう思っているのか。
聞きたいが、怖くて聞けない。
そうやって悶々としている間に、何の因果か、また2人で作業をすることになった。
前回作った冊子に誤りがあったらしく、訂正の紙をはさむらしい。
なぜ日直でもない啓介と星野が選ばれたかと言うと、冊子を作った張本人だから。
しかし、紙を挟むくらいは誰にでもできる。
担任としては、断らない啓介と星野に体よく仕事を押し付けたのだろう。
いつかと同じで、数人しか残っていない放課後の教室。
A5サイズの訂正用紙を、表紙をめくった冊子に挟む。
ぺらり。ぺらり。
前回よりは、楽な仕事だ。
残りあと少し、と言うところで、星野がふと思いついたように啓介に話しかけてきた。
「田宮君、回文作りは進んでるの?」
「え、あ、うん。少しだけ長いのができたよ」
そう言ってノートを取り出す。
結局回文は、時間つぶしにいいので作り続けていた。
回文が話題に上がるのは、あの日以来。
自分の失態が否応にも浮かび、手のひらに汗をかく。
そんな啓介の心情には気付かず、ノートを見て、星野が1つの回文を指さした。
「これ、おもしろいね。『縫物も犬』。”も”ってことは、縫物以外も犬の仕事なのかな?」
「あまり意味を深く考えてなかったけど、きっとそうだね。ほかの家事も担当してるんじゃないかな」
「なるほど。そんな犬なら飼いたいね。ちなみに一番長い回文は?」
「今のところは、『水筒と砂糖と椅子』かな」
「えーと、『すいとうと、さとうと、いす』。あ、本当だ!すごいね!なんだか、静物画のタイトルみたい」
嬉しそうな星野の顔に、啓介は胸が温かくなるのを感じた。
自分が考えたもので、こんなに喜んでもらえるなんて。
そう、こんな風に、話がしたかったんだ。君と。
しかし、星野と目が合うと、ふいっと逸らされてしまった。
「星野さん・・・?」
星野はぐるっと教室の様子を見る。
いつの間にか、誰の姿もなかった。
それを確認したのだろう。意を決したように、星野が話しかけてきた。
「あの、ね、田宮君。この間の、あれって、夢とかじゃ、ないんだよね?た、試しって言ってたけど、だからつまり、本気じゃないって、ことだよね・・・?」
途切れ途切れに紡がれる言葉の内容に、啓介は驚きと焦りを覚える。
「そのあと、田宮君、普段通りだったし、だから、あれは、なかったことでいいんだよね?ごめんね、そのまま流せればよかったんだけど、どうしても、気になっちゃって、ちゃんと、田宮君から、聞きたかったの」
星野の言葉を聞きながら、啓介の中ではぐるぐると言葉が回る。
違うんだ。試したつもりなんかないんだ。ただ、君がたまたま思いついた回文を理由に、迫っただけなんだ。
俺は君が好きだ。だからキスしたんだ。それだけなんだ。
言葉ははっきりしているのに、のどが張り付いて音にならない。
しかし、次に言われた星野の言葉で、啓介はまた言葉よりも行動に先に出てしまった。
「お試しの、キスだよね?」
気が付いた時には、柔らかい唇の感触を感じた。
両手で押さえている華奢な肩も、少しだけ触れる髪の感触も。
この間よりも少し強めに押し付けてから、そっと離す。
星野の目が揺れている。
その目をまっすぐにのぞき込み、伝える。
「好き、のキスだよ」
「・・・え・・・?」
先ほどよりも大きな驚きに、星野の目が見開かれる。
伝えなくては。
たどたどしくても、カッコ悪くても、きちんと、言葉にしなくては。
「ごめん、ちゃんと言わなくて。俺は、星野さんが好きです。だから、あの時もキスしました。星野さんの回文は、ただ言い訳に使っただけです。ごめんなさい」
「だって、だって、田宮君、次の日からはもう普通にしてたから・・・」
「その、星野さんと、話せなくなるのが嫌で、普通に見えるように、してしまいました・・・」
啓介が項垂れると、拗ねた声が聞こえてきた。
「ひどい。あまりにいつも通りだから、あれは、私が見た幻か何かなのかと思ったじゃない」
「それは、すみません・・・」
「その日とかあまりよく眠れなくて。おかげで授業内容、全然頭に入ってこなかったんだよ?」
「申し訳ない・・・」
ひたすらぺこぺこと頭を下げる啓介に、とうとうこらえかねたように星野が噴き出した。
「もういいよ。現実だったってことと、田宮君の気持ちが分かったから」
「ごめんなさい・・・」
「もういいって」
ふふ、と笑う星野は、啓介にとってはとても魅力的で。
啓介はその顔から、目が離せず、ぼうっと見惚れてしまう。
星野の視線が宙をさまよったかと思うと、ぱっと焦点を啓介に合わせてきた。
「回文だね!」
「え?何が?」
「『好きのキス』」
「・・・本当だ・・・」
言われてから気付く。
ただ思ったままに言っただけだったのだが。
「上から読んでも、下から読んでも、同じ言葉。・・・田宮君からでも、私からでも、同じ気持ち」
「え?星野さん、それって・・・」
意味深なつぶやきの意味を追究しようとする啓介の腕をするりと抜けて、星野は席を立った。
「冊子終わったから、出してくる。じゃあね、田宮君。また明日!」
そう言うと、カバンを持って冊子を抱え、さっさと教室を出て行ってしまう。
同じって言った?同じ気持ちって。
それって、つまり・・・つまり?
彼女が出て行ったドアを見つめながら、啓介は1人、夕日に照らされただけではない赤い顔で、啓介は教室に佇んでいた。
なぜか、星野志保さんが小悪魔に(笑)
志保からのキス返しにしようかと思ったのですが、あえての言葉オンリー。
がんばれ!田宮君!