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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
エピローグ
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エピローグ イリス

 セスタの執務室を出て、イリスは回廊を歩く。砂混じりの風が顔に吹き付け、目を細めながら外を見遣る。そこにあるのは、あいも変わらず際限無く広がる藤黄の砂漠。

 ここから見える景色は変わらない。だが少しずつ、世界は変わっている。

 ルシアナを平らげたバルクは、王の名の下にアスランに自治を認めた。かつてと同じ轍を踏まぬ様にとの配慮である、とアルヴァ国王は言っていたが、その本心は違ったのではないかとイリスは思っている。民の平穏の為にアスラン返還を決意し、ルシアナ討伐という大業を成し遂げたニールへの敬意。彼の優しすぎる国王はきっとそれを表したに違いない。

 その英断の為か、アスラン返還は大きな混乱もなく相成ったのである。

 そしてルシアナの地はバルク王国が領土を治め、今は復興の最中だ。今は王の腹心ともいえるサミーアが彼の地に赴き、復興の指揮を執っている。多忙な彼の、代わってもらいたいですよ、との愚痴が聞こえてきそうだ。

 ルシアナの支配下にあった中立地区もビルディア、シルヴィア兄弟が中心となって西洋の窓としての役目を取り戻そうとしている。遠い未来ではないだろう。長い間彼の地が培ってきた西洋との信頼は未だ失くなってはいない様だから。

 皆が少しずつ変わってゆく。それが正しかったのかは分からない。だがそれでも皆が笑っていたならば、イリスは満足だった。少しずつでもあの戦の日から、前に進めている気がした。


「姉上ー」

 がばりと腰に抱きつかれた感触に、イリスは顔を緩ませる。振り返れば紅い頭がイリスの腰に顔を埋めていた。

「お帰りなさい、姉上」

「ただいまエイレス」

 かつて敬語で話していたイリスが彼を呼び捨てにし、尊大な口調だったエイレスが敬語を口にする。その姿は最早何の変哲もない姉弟に違いなかった。

 頭を優しく撫でてやれば彼の紅い髪がふわふわと揺れた。エイレスは気持ち良さそうに目を細めている。

 そして感動の対面よろしく会話を交わす二人に、ゆっくりと歩み寄ったのはアミヴァだった。いつかの時とは違い、彼の細い目は穏やかさを湛えている。それを見てイリスは呆れたようにエイレスの頭を軽く小突いた。

「もしや、またアミヴァに相手をせがんでいたのか」

「良いではないですか。兄上は僕の頼みを断りませんからね」

「よく言う。姉上に泣きついてやるとか何とか、散々騒ぎ立てた癖に」

 アミヴァは溜め息を吐いて肩を竦める。イリスとエイレスだけでなく、ここの兄弟もいつしか関係を変えていた。未だぎこちなくはあるが、それでも二人が望むのはきっとルシアナでの殺伐としたものではないのだろう。アミヴァは弟を慈しみ、エイレスは兄を敬う、それはまるで普通の兄弟の様だった。


「アミヴァにも仕事があるのだ。我儘ばかり言っていてはいけない」

 イリスの忠告を聞いているのかいないのか、顔をがばりと上げたエイレスは両手を広げてせがむ。

「ふう、貴方を抱き上げるのはもう重い。幾つだったっけエイレス?」

「意地悪! 姉上は意地悪です!」

 顔を赤くして駄々をこねるエイレスを抱き上げたのは、イリスの隣で苦笑していたアミヴァだった。

「兄上! 僕は姉上に頼んだのですよ!」

「良いだろう、偶には」

 穏やかに笑って、アミヴァはエイレスを肩に乗せる様に担いでいる。エイレスもアミヴァの頭にしがみ付いて文句を言いながら、笑っていた。

 二人とも、笑っているのだ。


 ふ、とイリスは意図せず口から言葉を零す。無意識に、

「貴方たちも、笑っている」

と。

 それを聞いた二人は顔を見合わせ、良く似た顔でイリスを見て笑った。


□□□□


「ここに居たのか」


 きゃいきゃいと歓声を上げてまとわりつくエイレスを抱き上げたイリスの肩に、優しく手が置かれる。大きく温かなその手に、イリスの表情がふわりとほころんだ。

「ユシリア」

「帰って来ていたのか。首尾はどうだった」

「つつがなく。向こうにいるリヴも、忙しくしているようだった」

 幸せそうだったよ、と言外にして微笑んで見せれば、ユシリアも無言で微笑む。

 あの戦の後から、ユシリアはずっとイリスと共にいた。共に王城へと入り、今ではイリスと同じセスタの下で警邏の任に就いている。

 

 傍にいる彼は何も言わないが、きっと分かっているのだろう。全てが終わった後の始まりに伴う別れを、少しだけ寂しく思うイリスを。

 だからいつもの、目を細めて口の端をきゅっと曲げた彼らしい笑顔よりも、もっと気遣わしげな甘い顔で今イリスを見遣っている。


 あの大きな戦が終わり、戦いから離れて、イリスもまた甘くなったのだろうか。愛する男の笑顔を見ただけで、目元が潤むなんて。

 誤魔化すように視線を外して俯けば、やっぱり優しい手がイリスの頭に置かれる。その手が肩まで切り揃えた紅い髪を滑って撫でて、また胸が苦しくなった。


 武人として生きていた彼の、生きる道を奪ってしまったと心の何処かで悔やんでいた。だが一度たりともそれを直接ユシリアに尋ねた事はない。

 してしまえばきっと、彼の新たな『覚悟』を疑ってしまう事になるだろうから。

「愛している」

と言って傍にいる、彼の。


 だからイリスも伝える。共にあって欲しいと、願って。幸せそうに穏やかに笑みながら。

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