錬金術のお仕事 2
「おなかいっぱい過ぎる……」
重いおなかを抱えてダイニングルームからリビングに戻り、ナオミさんにドレスのウエストを緩めてもらったわたしは、だらりとソファーに身体を預けた。
昨晩、一食を抜いてしまったので空腹が極まっていたわたしは、目の前に運ばれてくる朝食……野菜のポタージュスープとか木ノ実とレーズンとクランベリーが焼き込まれたパンとかふんわりと焼かれたオムレツにぷりぷりの焼きソーセージなどを、調子に乗ってたくさん食べてしまったのだ。
どれもものすごーく美味しかったし!
ファミレスとはひと味違う手作りの出来たての朝食は、わたしのハートをわしづかみしたのだ。新しい生活への不安はこのおかげで八割がた吹き飛んだ気がする。
「まさかのデザートに到達できないという、この不甲斐なさよ……ああ、無念なのです……」
デザートどころか食後の紅茶も入らなかったよ。
これでわたしは食いしん坊という評価を受けてしまっただろう。
そして、丁重にもてなしてくれるこの国の人たちによって、これ以降も美味しいものが次々と……運ばれてくる予感が……。
どなたか、わたしに運動をさせてくださる方はいらっしゃいませんか? なるべく楽で、簡単で、楽しいものをお願いいたします。でないと、わたしは間違いなく横に巨大化してしまうのです。
「リーサさま、ご安心なさいませ。甘い物はティータイムにお楽しみいただけますわ。こちらは食べ過ぎた時に良いお茶ですので、よろしかったらどうぞ」
「ありがとうございますう。ディアライトさんに呆れられちゃったかなあ」
わたしは身体を起こすと、ティーカップを受け取った。
ナオミさんが、ミントの香りのする緑茶のような、不思議なハーブティーを淹れてくれたので、少しずつ飲む。なんとなく胃がすっきりして楽になってきたが、まだまだ動けない。
食後、ディアライトさんは「おなかがぽんぽこりんで、動けません!」という淑女らしからぬわたしの姿を見て、笑いをこらえながら「それでは、食休みをたっぷりとし終えた頃に迎えにくるから、ゆっくりしなさい」と言って去っていった。
とてもカッコよく去って行った!
後ろ姿もイケメンだなあと、重いおなかをさすりながら見惚れてしまった。後ろからなら、わたしも照れずに観察できるのである。
ここのごはんが美味し過ぎる件は、あとで対処法を考えよう。
「ナオミさん、ディアライトさんって考えていたより親しみやすい人でしたよ」
「……ええ、今朝は、とても楽しそうに過ごされていましたわね」
ナオミさんは、なんだか歯切れの悪い口調だ。
「あの方は、普段はあまり他人に親しく接することがないと言いますか、距離を置いていると言いますか……冷徹な錬金術師長という評判がありまして……いえ、仕事に対する姿勢が厳し過ぎるくらいに厳しく、真面目だという意味なのですが……」
ナオミさんは、少し話しにくそうにしている。
「ええっ、そうなんですか? いつも笑っていて優しそうな方ですけど。お仕事の時とプライベートをきっちりと分けてるってことなのかな?」
「優しそう……まあ、もしかすると、本来のお姿はそうなのかもしれませんわね。あんな笑顔をお見せになることは今までほとんどございませんでしたので、正直、とても驚いておりますの」
「そうなの?」
わたしは首を傾げながら、頼りになるお茶を飲んだ。
だいぶ効いてきて、おなかが楽になった。
冷徹な錬金術師長ね……もしや顔が良すぎるあまり、うっかり笑顔を見せられなかったとか? ディアライトさんは、この国の重鎮たるエリートで、さらにとびきりの美形なのだから、笑顔でころっとやられた女の人が押し寄せてきて、とんでもない目に遭ったのかもしれない。
わたしはきっと、彼にとって対象外なのだろう。それで油断しているに違いない。
モテ過ぎるというのも大変そうだね。わたしは平凡でよかったよ、負け惜しみじゃないよ。
「本日のリーサさまのご予定ですが、まずは錬金術省の見学ということになっております。後見をするディアライト閣下が長を務める場所なのですが、そちらの主な業務は回復薬の精製でございます」
「回復薬?」
錬金術って、薬学なのだろうか。
「はい。前線で魔物との戦闘を行う際に受けた傷は、瘴気に侵されているので、特殊な薬でないと回復効果が薄いのです。そこで、錬金の才を持つ者が、瘴気を祓い肉体を回復させるための薬を作成しているのですが……有事にはとても過酷な業務となりますね」
「お薬を作るのが、そんなに大変なんですか?」
「回復薬を作れるのは、ごく限られた者となります。市井でも薬湯という形で日常使いの薬を調合できる者はおりますが、回復力がかなり劣ったものになるので軍では使えません。そのため、魔物との戦いが激しくなるとどうしても薬が不足してしまうのです。錬金術師の皆さんが泊まり込みで働いて、心身ともに消耗なさっているお姿を拝見いたします」
これはもしや、異世界ブラック業務ってやつなのかな?
「でもまあ、結界や防衛拠点を作成する防御魔術師団も、魔物に攻撃魔術を放って魔力の限界まで戦う攻撃魔術師団も、身体を張って力で魔物をねじ伏せる騎士団も、命がけの過酷な業務ですので……回復薬が不足すると、大変悲惨な事態を引き起こしますわ」
みんな過酷な仕事なのか!
奈津子お姉さんが、この世界の暮らしは厳しいと言っていたわけがわかった気がする。
「ですから、『浄化の聖女ナツコ』のご降臨には、皆期待をしておりますし……リーサさまには、この国の癒し担当として、ぜひ気楽にお過ごしいただければと我々は考えておりますの」
それってわたしはペット枠ってことなのかな。
皆さんが必死なのに、『箱庭』なんてのほほんとした力を持ってきちゃってすみません。
「ところでリーサさまのお履きになっていた靴なのですが」
「え? ローファーのことですか?」
わたしは通学用のコインローファーを履いて、この国に落ちてきた。
柔らかく履き慣れたローファーはパンプスよりも動きやすくていいのだが、ドレスに合わせるには真っ黒過ぎるのだ。
「もしよろしかったら、国の靴職人にお見せいただきたいのですが。一見、男性向けのようなデザインですのに、女性が履いても違和感がなくて大丈夫なようですし、安定して歩きやすそうなので再現したいのです」
女子高生御用達のローファーは、スニーカーほどではないけれど歩きやすくて、通学時には必須なのだ。制服を着たら、そのままフォーマルな場でも通用するしね。
「いいですよ。そういえば、少しかかとが高めのローファーっていうのもありましたよ。安定性はそのままで、女性らしく脚が綺麗に見えるとか。あと、靴屋さんで金具の飾りがついたものも見かけました」
「それはいいですね! 靴職人にも伝えておきますわ」
「できあがったら、わたしも試してみたいです……あ」
靴を渡すことにしてふと思った。
わたしの足は、たぶん臭くないから大丈夫。だって、女子高生だもの、臭くないはずだ、女子高生の足は臭わない……よね?
「万一、臭うといけないので、靴の中には臭い消しのハーブかなんかを突っ込んでおいてくださいね」
実は小心者のわたしなのであった。
そんな会話をしながら食べ過ぎに効くというお茶を飲んでいると、なんとかおなかも落ち着いてきた。
「失礼いたします。ディアライト閣下がお越しでございます」
ちょうどいいタイミングでお迎えに来てくれたみたいだ。
「リーサさまの筆頭侍女として、わたしもご一緒させていただきますわね」
そういうナオミさんを連れて廊下に出ると、制服風の姿に着替えたディアライトさんが待っていた。
「よろしくお願いします」
「ああ。この機会に錬金術についての理解を深めてもらえると嬉しい」
ディアライトさんは、わたしに左腕を示した。
「ええと、これは……こけないように、つかまれと? いえ、大丈夫です、こけません。こう見えてもわたしは足腰がしっかりしているのです」
「足腰……」
イケメン錬金術師は急いで右手で口元を覆ったが、残念ながら「ぶふぉっ」というお美形さまが出してはならない声を漏らしてしまった。
ナオミさんが真っ赤になりながら「違います、介助ではありませんわ。ディアライト錬金術師長閣下が、この国の客人でいらっしゃるリーサさまをエスコートなさるのですよ」と囁いて教えてくれた。
「賓客であることをアピールして、不要なトラブルを避けるのです」
「そういうことなんですね。右手をかければいいのかな?」
「そうだ」
笑いを堪えて涙目になっているディアライトさんが、震える声で短く言った。どうやらツボにハマってしまったらしい。だが、わたしは悪くない。
わたしは少し高い位置にある(身長がまったく違うので仕方がないのだ)ディアライトさんの腕に、そっと右手を引っかけた。これで転ばないための保険がかけられたので、安心する。
「リーサ、もしかすると我が国の衣服や靴だと歩きにくいのか? そういえば、異世界の靴とは形がかなり違っていたな。転ぶといけないから、わたしが抱えて連れて行こうか」
「いいえ、大丈夫です、歩けます!」
「しかし」
「歩けますってば」
わたしは思いきり笑顔でディアライトさんに言って、後ずさった。王宮の廊下をお姫さま抱っこされながら進む勇気は、わたしにはない。
しかし、両手を広げたイケメンが、容赦なくわたしを追い詰めようとする。
「遠慮しなくていい」
その手を避けながら、広い廊下をちょこまかと逃げるわたしは、さながら追いかけられたひよこである。
「ちょっと、ディアライトさん! 面白がってるでしょ!」
「逃げるから、つい」
静かな廊下で追いかけっこをするわたしたちを見て、ナオミさんは「なんとまあ、仲がおよろしいようで……」と、遠くを見ながら呟いた。
「ディアライトさんって、面白い人ですね」
わたしが隣りのイケメンを見上げて「えへへ」と笑うと、彼もにこやかな表情で「そうか」と言った。
脚の長さが違うので、ディアライトさんはゆったりと歩き、その横でわたしが並んでちょこちょこと足を進める。
客室の建物を出て、錬金術省や騎士団本部などがある公的な建物が並ぶ方へ向かっていくと、お仕事に来たらしい人たちが不思議そうな顔でこっちを見ていた。
「おはようございます!」
「おはようございます、お嬢さん」
目が合った人には元気に朝の挨拶をすると、ディアライトさんを気にしながらもみんな挨拶を返してくれた。
「リーサは朝から元気だな」
「挨拶は人間関係の基本だと、うちのおばあちゃん……祖母に教えられました」
「そうか。祖母殿は日本におられるのか?」
「いえ、やはり命を失うところを神様に救われて、別の世界で元気に暮らしているらしいです。もう……会えないんですけどね」
おばあちゃんに二度と会えないと思うと、寂しさが込み上げてくる。
わたしは涙を堪えて、また「おはようございます!」と挨拶をした。
「ここがわたしの職場だ」
職場見学をしに、錬金術省の建物にやって来た。
「実験をする関係で、魔法省と錬金術省は独立した建物となっているが、万一吹き飛んでも結界が張ってあるからさほどの被害はないから、安心してくれ」
「どんな実験をやってるんですか!」
思わず突っ込んでしまった。吹き飛ぶとか、怖過ぎるんですけど。
恐る恐る建物に足を踏み入れると、研究室が並んでいて、反対側には広い工房があった。中に入ると、テーブルが並んでいて、たくさんのお鍋のようなものがある。
「ここで回復薬を作っている。皆、手を休めてくれ」
「あっ、師長」
「そちらの方が、天使さんですね」
えっ、そんなことになってるの? 聖女と一緒に来たから天使なのかな。
「そうだ。聖女ナツコと共に我が国に降臨されたリーサだ。わたしが後見する」
「初めまして、中峰理衣沙といいます。理衣沙というのが名前です。ディアライトさんにお世話になっています」
わたしは頭を下げて「よろしくお願いします」と挨拶をした。
「そして、わたしの婚約者となった」
「ええっ!」
わたしも含めて、驚きの声があがった。
「師長が、結婚?」
「ってゆーか、師長に表情筋があったのか! 笑っているぞ、初めて見た……」
「地位が上がると、可愛い天使を嫁にできるのか……なんか、許せない気がする……」
そんな中で、ディアライトさんがわたしの手を取って「男としての責任を取ると言っただろう?」なんて言うものだから、その場は大変な騒ぎになる。
「責任って、なにをやらかしたんだ師長!」
「まさか、手を出したのか? 天使に手を出したのか?」
「犯罪の匂いがするぞ」
ち、違うの、変なことはしてないの!
ちょっと口と口がぶつかっちゃっただけなの!
「ディアライトさん、誤解を招くような発言は控えてください!」
「そんなことを言っても、わたしたちが口………」
「わーわーわー、言っちゃ駄目!」
わたしは背伸びして、ディアライトさんの口を両手でふさいだ。
彼は笑って「むう?」と首を傾げ、職場の人たちは「いちゃいちゃ攻撃が目に痛い!」「やってくれるな、師長め!」と、さらに騒ぎが増したのであった。




