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11話 月白朔の話2

「朔くんってさ」

 まただ。

「他所のお店とかにも結構行ったりするの?敵情視察みたいに」

 彼女はずっと自然体だ。

 澪はカウンターに肘をついて、いつもより距離が近い。

 閉店後の静かな店内は照明は少し落としてあって、声がやけに近く聞こえる。

(やめてくれ)

 ずっと心臓が忙しい。でも顔は穏やかのままを保っている…はず。

「僕はあまり行かないですね」

 余裕の声を出せた。でも心臓と一緒で内心も忙しい。

 

(名前をそんなに軽やかに呼ばないでくれ)

(こっちは一回呼ばれるたびにダメージ受けてる)

 

「そうなんだ。それなのに朔くん、流行りの店舗を何ヶ所も経営してるなんてすごいね」 

「そうですか?」

 平静を装うのは完璧……のはず。

 でも頭の中は本当にずっと忙しい。

 

(嬉しい)

(そんな風に見てくれてるんだ)

(こんな話、出来るようになるなんて)

 

 ただカウンター越しに見ているだけだった。コーヒーの好みだけ知ってる関係。

 それが今は自分達の日常の話をしてる。距離が、確実に変わっている。

「朔くんってさ、ほんと聞き上手だよね」

 また呼ばれた……もう何回目か分からない。

(人の気も知らないで)

 でも嫌じゃない。むしろ呼ばれるたびに、胸の奥が温かくなる。

 彼女はすごいな。

 こんな風に自然に踏み込めるなんて。

 怖いとか言ってたのに、今はちゃんと俺の目を見て笑ってる。

「澪さんは話すのが上手なんですよ」

「えー、そんなことないよ」

 無邪気に笑う距離が近いし……俺を見る目が柔らかい。

(あぁ……)

 

 好きだな。

 

 静かに心の底からじわじわと湧き上がってくる。これは衝動的な思いじゃない。


 好きだ。

 

 こんな夜に、閉店後の店で彼女と並んで話している。

 彼女が「知りたい」と思ってくれたから。

 それだけで、十分すぎるくらい幸せだ。


「……澪さんは、本当にすごいですね」

 

 それは無意識に出た言葉だった。

 澪は不思議そうな顔をして、「なにそれ?」って笑う。

 その笑顔が可愛いくて、ずっと忙しい心臓が壊れるんじゃないかというぐらい跳ねた。

(もうだめだ)

 でも外側は完璧なオーナーの顔を崩さない。


 あれから何度か、閉店間際に澪はやって来た。

「朔くんってさ――」

 澪がまた笑って名前を呼ばれる。

 いつも通り……のはずだった。

 でもその日、俺はもう限界だった。

 何度も呼ばれて、何度も笑いかけられて、何度も距離を縮められて。

 ふと。

 本当にふと、会話の中で言葉が滑る。

 

「……澪が――」

 

 静かな店内だ。自分でも、言った瞬間に気づく。

(しまった)

 呼び捨てをしてしまった。


 澪の動きが止まり、目がゆっくり瞬く。

「……え」

 澪の顔が、みるみる赤くなる。

「い、今……」

 視線が泳ぎ、彼女は耳まで赤くなっていた。

「なんか……わかんないけど、顔あつい……」

 胸元を押さえて、小さく息を吐く。


(だめだ)

(距離、間違えた)

 

 彼女を見て慌てて取り繕う。

「すみません……無意識でした。失礼しました」

 声は穏やかに言葉を紡ぐが、自分の耳の裏が熱い。


 澪の顔もまだ赤くなったままだった。全然目が合わない。

 空気がさっきと違うと感じた。

 逃げるように壁の時計を見ると22時の手前になっている。


「……もう遅いですね……駅まで送ります」

 バタバタと片付け、照明を落として鍵を持つ。

 澪はまだ少しぼんやりした顔で頷いた。

 そのまま、並んで歩く夜道。澪との間に一人分の隙間がある。でもさっきより、近い。

 あっという間に駅前に着いてしまった。

「今日は、ありがとうございました」

 いつものオーナーの顔を出来ているはずだ。うん。

 澪はまだ少し赤いまま、小さく手を振った。

「……送ってくれてありがとう朔くん。またね」


 いつも通りの雰囲気の澪に、俺は少しだけ安心して、そのまま駅内に入って行くのを見送った。

 

 俺はもう一度店に戻ると、カウンターに両手をついて深く息を吐く。

 

(なにしてるんだ)


 呼び捨てなんてまだ早い。重過ぎる。距離、飛ばしすぎた。

 

 でも、澪が赤くなった顔を思い出す。

 

(……可愛かった)

 

 いやだめだ。落ち着け俺。

 煩悩を祓うように頭を振った。

 

 澪が本当に好きだ。

 だからこそ、慎重にいきたいのに。

 

「……澪」

 

 小さく、誰もいない店で彼女の名前を呼ぶ。たったそれだけの事なのに胸がまた熱くなった。


  

――次の日の閉店前に、カラン、とドアベルが鳴り顔を上げた。

「こんばんはー」

 いつもの彼女の声に片付け作業中の手が止まる。

(早い)

 俺の心の準備はゼロ。何も気にしてないような澪はまったく変わりなくて。

「いつもギリギリでごめんね。朔くん、今日のおすすめってなに?」

 そう言っていつものカウンターの端へ腰掛ける澪。

 ……昨日のは俺の願望の夢だったのか?と錯覚するほどに普通だった。


 でも、ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、視線が合うときに、昨日の空気が残っている。


「今日のおすすめは、少し深めのモカですね」

 平静を装い、澪が好きそうな品種をおすすめする。

 

(なんで普通なんだ)

(いや、ありがたいけど)

(でも……ちょっとだけ期待した自分がいる)

 

 澪はカウンターに頬杖をついてこっちを見ていた。

「じゃあそれ。朔くんのおすすめなら間違いないでしょ?」

 さらっと信頼を置いてくる発言をする澪に、俺の内心は混乱していた。

 

(そんな風に言わないでくれ)

(でも嬉しい)

(好きだ)

 

 顔はいつも通りに薄く笑みを浮かべていられたけど、心はぐちゃぐちゃだ。

 それでもまだ。まだ澪との距離は保っていられる。でも、確実に距離は縮んでいる、そんな気がした。

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