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2076年5月5日火曜日、15時55分、池袋、あたら屋地下2階。最後の退屈な日。



 自己防衛の時代が近づいている。自分の身を守れるのは自分だけ、と誰かが言えば笑う時代から頷く時代になった。やがてため息の時代になる。


 警察や司法機関は予習と予算と準備と時間を食い潰す。お手軽な腕っぷしに頼り始めるまで時間はかからなかった。壮年の男による腕っぷしの独占に始まり、銃による腕っぷしの民主化へ。拡大しゆく需要という民意が取り締まり能力を上回って以来、銃刀法は別件逮捕の口実に甘んじている。ここ池袋では特に。


 あたら屋。西側で繁華街から離れた家族経営のバーだ。知る人ぞ知る隠れ家として、しっぽり飲む大人の社交場として、あるいはマスターに愚痴を聞かせる場として、ひっそりと続いている。


 地下二階の秘密のフロアを担う引手有菜ひきて・ありなの前に。二〇七六年五月五日、こどもの日。一人の男が降りてくる。客が来るまでの暇な時間にはニュースや映画を見ていたが、死の商人は顔が重要だ。一階で店長が頷くと画面が販促動画に変わる。姿勢を正して、私物をカウンター下に隠す。


「ようこそ、本当のあたら屋へ」


 客はサラリーマン風の男だった。そろそろ管理職も見えてくる年代のようだが、背広には皺、昼なのに無精髭で、しかしだらしないと呼ぶには早い。靴の汚れが浅いから。不運や不注意でのトラブルなんて珍しくもない。トラブルを受けて武器を持つ男も。身なりから得た情報は十分だ。彼への態度は、下手に出て丁寧に。


 ここに『ある』と聞いた。男は明示を避けた。目と目を合わせて話し、外すときは胸よりも奥の棚へ。彼の左手にはリングが見える。カウンター前にひとつだけの椅子を促し、品を見繕った。


「お求めの品は、このような」


 私物のグロック19を見せた。小型軽量の拳銃だ。引き金の位置で装弾済みとわかる、という知識を持たない様子でただ頷き、ひとつと弾も買えるか、といきなり注文してきた。「他にも取り揃えておりますが」と尋ねると、銃ならどれでもいい、できればパラベラム弾、と答えた。予習熱心のようだが片手落ちだ。確かに拳銃では一発あたりの性能より装弾数や入手性が重要になる。往々にして咄嗟に使う武器から。しかし最適では決してない。個人差がある手の形に合わせて握りやすい形を、用途に合わせてオプションパーツの余地を、さらには音、反動、整備性。微調整にも限界がある。どれでもよくはない。彼は選び方さえ決めていない。


「お客様、銃たちにも個性があります。用途を伺えれば最適な品をお選びしますが、いかがでしょうか、伏せる事情さえなければ」


 男は机の傷を睨んで途切れ途切れに話した、ある建物に。忍び込んで。額に手を当てて深呼吸、言葉を選び終えてからは早かった。ある研究員の暗殺とデータの破壊、目的はこれだけだ。警備の突破はいらない。隠密性がほしい。有菜は彼の顔を見て、殺し屋にしては甘い顔に見えた。使いっ走りと見るには整いすぎている。おおかた弱みでも握られて初めての銃と初めての殺しでも命じられたのだろう。使い捨ての鉄砲玉だ。かわいそうに。


 銃を扱う経験を尋ねたら静かに首を振った。正しい判断だ。もし見栄を張れば人をびっくりさせるのが最期の大仕事になる。正直なのはいいことだ。


「では、まずこちらをどうそ」


 水色のグロック17を渡した。クレーンゲームの水鉄砲だが、グロック自体が元からおもちゃのような外見なので、これ以上はおもちゃメーカーでも省略したら子供騙しになる。実弾もBB弾も出ない安全な品は解説用にちょうどいい。


「目、照門、照星、的。四つを一直線に並べて狙います。人差し指は第二関節だけを動かして。引き金を斜めに引くと狙いがずれます。右手は中指と薬指にも力を入れて。怠ると反動で跳ねます」


 男は指示の通りに構えた。ポスターを等身大マンターゲットにして顔へ向けた。本物だったらとイメージして。彼が人差し指に力を込めたら笑顔の黒人ミュージシャンの顔に洗面器サイズのチューリップが咲く。ごく簡単な話だ。銃は誰もが今すぐ扱える。正しく準備し、正しく狙い、正しく引き金を引けば、正しく成功する。


 しかし彼は震えている。形だけの水鉄砲で、姿だけのポスターで、雰囲気だけの構えなのに震えている。実際のところ、最も困難なのは引き金を引く段階だ。準備は代行できる。狙いは教えられる。引き金だけは意思でしか引けない。成功とは殺傷だ。人差し指を軽く曲げる意思だけで簡単に殺す。意思とは責任だ。なぜ殺したのか、他の手段はなかったのか、いくらでも追及が考えられる。他人がしなくても自分で追及する。もちろん答えは簡単だ。どうでもいい奴が邪魔だから殺すだけだ。納得を拒むのは社会性だ。責任が見えるほど意思は臆病になる。大人は臆病だ。


「お客様には、失礼ながら銃が似合わないかもしれません。人は銃がなくても生きていけます」


 そうじゃないんだ。男は下を見て続けた。俺がやらないいといけない。俺が殺さないといけない。できなければ妻子が助からない。家族想いのいいお父さんを鉄砲玉にする奴がいる。胸糞の悪い話だ。想うだけでは死んでくれないのに。相手を尋ねると、よく聞こえなくてナントカ会らしいので、候補をおよそ二割まで絞り込んだ。彼の実力がよくわかる。相手を甘く見てもこんな男を下回るとはとても思えない。鉄砲玉をけしかけたい研究員とやらには当然に意思がある。抵抗を押し除ける強さが必要だ。


 ポケットに煙草が見えたので灰皿を出した。男は断った。一人では吸わない。俗に言うタバコミュニケーションは大切だ。余計な情報を削ぎ落とした空間でタバコを語れる二人、物理的な距離はそのまま親密さになる。社会性は強さになるが、頼りすぎると自分を見失ってしまう。ちょうど今の彼のように。


「本気を示すなら言葉よりも人差し指です。さあ、ポスターを濡らして」


 男は再び構えて、震える手をどうにか押さえんとする。「目を背けないで。狙えませんよ」隣に立つと彼が狙う位置もよくわかる。銃口はポスターの白い部分を威圧していた。手を添えて修正する。もっと右へ。左利きの黒人はやや右寄りに映っている。腕と鎖骨とギターが作る四角形を的とする。男は逆の方向へ目を背けた。ちょうど彼の腕に胸が当たったときだ。


 気持ちがいい。人生の伏線回収だ。彼ほどの年頃の男といえば、これまでは隙あらば支配欲と性欲を向けてきた。言いなりにならない意思を見せたら臍を曲げて聞く耳を閉した。彼らの心境がよくわかった。自分の意思で変えられるのは自分だけとする言説の反例だ。意思が肉体の枠を越えて他人を動かすのは気持ちがいい。有菜は情けなく不満を喋った過去を恥じた。病みつきになって然るべきだ。必要なのは流し込む側に回る手段だ。男には乳房が効く。言葉から経験になった。


 有菜が母親になる前に覚えられて幸運だった。もし子供で覚えたならきっと我が子が死ぬまで流し込み続ける。子供は知識も腕力も社会も持たない。子供の基本的人権は踏み躙り放題だ。移動の自由、集会の自由、表現の自由、内心の自由、信仰の自由、職業選択の自由、幸福追求権、人格権、生存権さえ。親は心臓を握っている。誰もが大人に加勢する。子供に味方はいない。全ての大人は子供の口を塞ぎ、内心を握り、人格を支配する。かつての有菜のように。支配に抗う唯一の方法は支配する側になることだ。支配者として善政を敷く。


「お客様、いいことを考えました。お名前を伺っても?」少しあって男は答えた。「槙田だ。槙田泰晴まきた・やすはる。君の名前は?」「私は名も無い武器屋バイトと申します」「聞いておいて自分は言わないなんて無しだろ」槙田は冗談めかして柔らかく話す。友達や同僚に対してはいいが意思を通す場ではあしらいやすい。「では戸吹とぶきヤバイと申します」槙田は呼吸音だけで笑った。短く肺の一杯分、不随意に飛び出して歯の隙間で鳴る。「ヤバすぎる名前だ。覚えておくよ、戸吹さん」


 まさか本名と思ったはずがなく、二度も伏せて深入りするほど野暮でもない。槙田はなかなかの優等生だ。みんなで仲良く助けあう大切な仲間と共に、先生の教えをせっせと身につけてきた者に特有の臭いが滲み出ている。駒として取り合いが始まり、プレイヤーとして取り合いを始める側にはなれない。


 それで戸吹さん、いいことって? 言葉を拾って広げてきた。主導権を取られた。いかにも真っ当なお育ちらしく、話の進め方が荒くれ者とは大違いだ。無関心で終わらせないし、楽しみにもしない。共有と維持と発展、社会的な生き物の望ましい態度だ。始めたばかりの話を強引に終わらせたら言外に敵対のメッセージになる。理解はしているが、戸吹にとっては異物を排除する力だ。しばらく離れて忘れていた。「それはもう、とびきりのいいことです。お届けの瞬間をお楽しみに」サプライズは苦手だな。槙田は苦手と言いながらも苦笑いだけで追及を控えた。


 槙田が売るに値する客か。商売とはただ売るだけでは成り立たない。顧客の拙い説明から本当の要望を読み取り最高の逸品を提供する。結果を得られるが代償が膨れ上がるような手段がごまんとあるので、悪魔なら一度の契約で搾り尽くすが、商売人は次の契約を求める生き物だ。顧客が満足したら二度目があるかもしれないし、他の顧客を連れてきてくれるかもしれない。細かい理念はともかく、戸吹は行動を叩き込まれている。次に繋ぐ。次のお得意様を連れてきてもらう。代表的なのは顧客の子息だ。ライフステージの変化を促すにはまず五体満足で生存してもらう。腕一本でも失えば子を産み育てる力はがくりと落ちるし、もうリピーターにはならない。


 形が銃なだけの水鉄砲で震えるようでは先が思いやられる。針小棒大な恐怖心で棒小柱大な現実と渡り合おうとする命知らずはリピーターになる前に死ぬ。心臓が先か心が先か、あるいは二度目が先ならいいが、期待するには腕がない。客候補を安心させるために追い出さないでおく万年一見さんに見えるが、一方で、常連は育てるものでもある。入り口を与えて、気に入ったら続きは自分でやってくれる。優秀さの使い道は郷が決める。彼にとっての郷のひとつになれば、叶うなら上位になれば、彼を経由して影響力が広くなる。あたら屋のように小さな店にとっては死活問題だ。派手にやらかすつもりの連中が目をつけるかつけないか。


 まずデザートイーグルは無しだ。戸吹が来てから四年間、ずっとお立ち台に鎮座しているから、いつでも売る機会を窺い真っ先に検討する。なぜ無しか。大口径弾は相応に音と反動が大きいから、自分で驚いたり、受け止められなかったりの懸念も大口径だ。槙田の用途もパワーより小型さや確実さを優先している。


 癖がある銃もだめだ。特にトカレフのように安全機構さえ省いた銃なんかを持てば必ず暴発して膝がなくなる。何も知らない堅気が使えるほど扱いに単純さが必要だ。無しな理由の逆で絞り込む。音や反動を減らすには火薬量が少ない弾を使う。ややこしい動きを減らすにはリボルバーよりオートマチックだ。


 しかし次第によっては売らないことこそが最高の結果かもしれない。目先のお金を手放してでも信用を得るべき瞬間がある。お金は信用を表す技術で、お金から離れた剥き身の信用も世の中にはある。国家が担保してくれない一人前同士の駆け引きだ。戸吹はまだ判断しきれないからお金を経由して決める。店長からの指導でも絶対にだめと思ったとき以外は売るよう言われている。


 腹立たしい。何より苛立つのは戸吹自身が理由を持つことだ。経験不足で答えを見つけられない。自分の弱い部分を強引に見せられている気分だ。頭を引っ掴んで目をこじ開けるのと同じ、特異なのは、掴む手と掴まれる頭と見る弱みのすべてが戸吹自身にあり、自分で自分に自分を見つめさせている。


 まるで劣等感の塊だが、ひとつ確かな優位がある。戸吹なら引き金を引ける。水鉄砲さえ引けずに脇道の話にかまける槙田とは違う。助けてもらうにも自分の足で立てなければならない。最初の一歩を踏み出す勇気も必要だ。牙が抜けた男に銃を持たせていいのか。本物と向き合う覚悟があるのか。道具は誰もが対等だ。同程度の品が流通している。


 銃は殺す道具だ。あらゆる生き物は死を失えば生きられない。動物は殺しによって死を得る。人間も例外にはなれないが、効率を求めて担当者に任せる社会を築いた。牛を殺して夕飯に、ヤギを殺して手袋に、蚕を殺して服に。衣食は殺しによって得られる。殺しなくして礼節もない。ところが近現代では文明の発展により死から目を背けられたがために殺しを忌避する遺伝子が淘汰されずに生き残っている。もちろん無益な殺しは控えた方がいいが、重要なのは殺しではなく無益のほうだ。殺し以外でも無益ならば控えた方がいい。漫画もゲームも推し活も。人は今一度、思い出すべきだ。死が生を育む。


「ところで、戸吹さんは引けるんですか」槙田が仲間を求めたので期待通りに私物を放った。憂さ晴らしの機会にもちょうどいい。銃声が耳を殴り、硝煙が鼻をくすぐり、薬莢が落ちてかわいい音でアピールした。黒人ミュージシャンの顔に大きなニキビが増えていた。奥の壁には木の板と空間装甲による保護のおかげで建物までは傷がつかないから気にせずに撃つ。戸吹は髪の下にはいつでも耳栓をつけている。耳鳴りで悩むのは客だけだ。


「簡単です。あれはポスター、人間でさえない」


 じゃあ人間相手ならどうなのか。彼が食い下がるのでとっておきの話をした。「何人か殺していますよ」彼の目は饒舌だ。エロいねえちゃんへの目から化け物への目に、すぐに安い同情にと変わっていく。「まず産まれた時に母親を」「残念ではあるが君のせいじゃない」「七歳で父親を」「若すぎる、事情があるんじゃないか」槙田は事実に対して解釈で補う。異質な存在への忌避感は危機回避に役立つが、忌避感自体は危機ではない。捏造じみた同質化で忌避感を和らげれば、あのとき見逃していただいた危機がお礼参りをしに現れる。


 戸吹は天涯孤独の身だ。家族は死に、友達候補は数日で価値観の違いに気づく。戸吹は失うことを恐れない。リスクを背負ってでも結果を得ようとする振る舞いを友達がしていたらリスクに巻き込まれかねない。確実な負けであっても短期的な損失を確実に減らせることに重きをおく者が多かった。


 そんな女に寄ってくるのは体目当てだけだ。性欲の捌け口に、ビデオ販売による資金洗浄に、腎臓のスペアに。若い女体には需要が多い。供給を嗅ぎつければすぐにでも曇り窓の車が飛んでくる。自力で迎撃するには月経と筋肉量で不利がつく。孤立した者にはいつでも白紙の世界が待っている。


 社会は命綱そのものだ。たかがアルバイトと侮るなかれ、人の目が届く位置はそれだけで身を守る盾になる。バイトを始めるときに親も友人もいないと言ったら「二度と誰にも言ってはいけないよ」と釘を刺して二階の居住スペースまでつけてくれた。あたら屋は店主の目に適った者だけを客とする。仮に店主を欺いても手元には武器がある。地の利もある。おかげで普段は安全に暮らし、たまの買い出しでは店主かその家族と共に歩く。賃金はそれなりだが、人と遊ぶような趣味もないので、銃や靴を買うのが精一杯で、残りは貯金になっている。



 続けるほど面白い話ではない。落ちた薬莢を経費にする箱に拾った。裏稼業でも帳簿は正確に。店主からの教えだ。学校を知らない身だが基礎的な読み書きは学んでいる。今では閉店作業もできる。


 槙田は下手くそな字と黒人ミュージシャンを交互に見た。ついでに通り道にある尻も。複数のかけ離れたイメージを一人で併せ持つ様子に思うところでもあったか、あるいは大きな音でアドレナリンでも出たのか。ポスターへ狙いをつけて、引き金を引いた。透かしっ屁ほどの音と共に霧が噴き出して漂った。とても川遊びなんかでは使えない改造水鉄砲だ。ポスターには届かない。床さえ濡れない。重要なのは人差し指だ。


「意思は見ました」


 意思を出せる者は引き金を引ける。少なくとも一度は。一人目の後でどうなるかは見てからのお楽しみだ。水鉄砲を棚に戻して本物の拳銃を出した。


「これはアンフィビアン、お客様にぴったりでしょう」


 銀色で、細長い筒に持ち手をつけたような形の年代物だ。使う弾はロングライフル弾、現代人がライフルと聞いて想像するのは地平線まで届く超音速弾かもしれないが、こちらはもっと小さく低威力で、主にスポーツや訓練で使う。しかし勘違いしてはならない。低威力でも頭は貫ける。現にロナルド・レーガンやロバート・ケネディを貫いたのがちょうどこの弾だ。低威力とは火薬が少ないためで、相応に音と反動が小さい暗殺向きの弾だ。合わせて銃自体も消音性能に定評がある。


 まずは模範に二発だけ装填した。戸吹が人差し指を動かすと、おもちゃのようにカチャンと間抜けな音を鳴らして、ポスターの黒人にニキビがまた増えた。二発目は槙田に撃たせるべく後ろに回って受け渡した。銃口は常にポスターへ向ける。乱心したら抑えられるように。アンフィビアンは小ぶりな銃とはいえ水鉄砲よりずっと重い塊だ。落とせば床に傷がつく。まずは第一予選を突破した。銃を持つ力がある。銀色フレームの上にある黒の照門と照星を、ポスターの黒人に重ねて、ひと呼吸を置いて、人差し指を曲げた。二発目がやはりおもちゃじみた音でニキビを増やした。反動を身で受けた。思ったより重かったか、覚悟したよりも軽かったか、どう想像しても構わないが現にこの程度だ。以上でも以下でもなく丁度。


 槙田は納得したように持ち手まわりを眺めた。アンフィビアンは屈強な男の中の男サイズなので小指の下が余る。戸吹の指導のもと、引き金やマガジンキャッチの位置関係を指に覚えさせる。触り心地はいいものだ。銃の触るべき場所には滑り止めの凹凸があり、触る理由がない場所はつるつるしている。覚えなくていい。使っていれば勝手に身に付く。知らぬが仏という言葉もあるが、仏のままでは歩けない。


 今の銃はホールドオープン状態、弾倉が空になると後部が下がって止まる。弾倉を入れ替えて引き直したら再び撃てるようになる。その替え弾倉に弾を込める指導も必要だ。自分でバネを押して自分で込めさせる。お母さんは助けてくれない。二発目からは弾の後部にある廃莢用の突起・リム部の重なりかたに気をつけて、同じく押し下げて、前から滑り込ませるようにして。空弾倉と二発入り弾倉を交換して装填まで。右手の銃は常にポスターへ向けさせる。安全管理は重要だ。銃は殺す道具だが、殺さないようにもできる。


 銃の仕組みは単純だが、細部の知名度はごく低い。薬室にある弾の後ろを叩いて発射するまでなら誰もが知っている。発射のエネルギーを利用して薬莢を捨てて次の弾を取ってくる。弾倉から薬室までの距離や位置関係は見た目よりも遠い。廃莢口より弾ひとつ分ほど前方にある。なぜ動かすかといえば、火薬の燃焼によるエネルギーを前へ集中させるためだ。ガス圧はすべての方向へかかるから、弾を密閉して、前以外へのガス圧を銃で受け止めて、前だけへ進めるように整える。大雑把には、三六〇方向へ噴き出すはずだった燃焼ガスを一方向へ集中させたら三六〇倍の勢いで飛んでいく。全方向から弾を包むには弾倉の近くでは空間が足りないのだ。


 ニキビをさらに増やしたらいよいよ買い物の総仕上げだ。カウンターに敷いたマットに品を並べて確認する。銃本体、弾倉をふたつ、弾を五〇発。帰ってから二〇発を弾倉に詰め込んでもらい、残る三〇発は使った後の補充用だ。品とキャッシュトレイが並ぶ奥には柔らかくて丸くて優しいものがふたつある。あらゆる情報が銃とは対照的でよく目立つ。戸吹の咳払いで我に返りポケットから紙幣を出した。


「五万で足りるか」「お言葉ですが」「なんでも言ってくれ」「おじ様方の一人をポケットにしまい直して。デートに誘う足しにでもするとよろしいでしょう」「思ったより安いな」「お望みに応えられるとはいえ骨董品です。売れ残りと添い遂げるおつもりとはとても思いませんね」


 正規ルートならいざ知らず、ここにある銃はオーナーがどこからか持ってきた曰くつきの品ばかりだ。品つきの曰くさえ紛れている。戸吹のグロックは正規品なら十万円ほどだが、曰くと計らいのおかげで二万になった。曰くは銃本体よりよほど重要だ。ともすれば強盗団の一味だったことになるかもしれない。諸々を加味した金額リストを受け取っていて、槙田は失礼でもなかったから上乗せなしで売る。具体的な曰くの正体は、オーナーに問い合わせるか、線条痕を鑑定してからのお楽しみだ。


 ちなみにライフルは価格を左右しない。曰く程度を誤差にするほどの力がある。すぐには出てこないがオーナーが少しなら確保できるらしい。ライフルを求めて場末の店を選ぶ異常者がたまにいるが、すべてニュースで有名人になり、インターネットではフリー素材になった。ライフルは戦う兵士向け、拳銃は戦わない策略家向けだ。ちょうどタワーパソコンとノートパソコンの関係に近い。


 槙田が店を去った。地上にいる店長の確認によりテレビが元に戻る。ニュースにはナントカ会に当てはまる名前がたびたび現れる。槙田が関わりそうな話を探しておく。こう見えて客をよく覚えている。いつアンバサダーになるとも知れない。


 猫を被る時間は終わりだ。戸吹は尻と背中を椅子に預けて、脚をカウンターに預けた。備品のノートパソコンを私用に使う。今日の用途は通販めぐり、目的は服、普段使いできてセクシーなもの。新たに得た自らの力を引き出す手段だ。気になった服をいくつも開いて見比べて絞っていく。おしゃれに関しては初心者と自覚しているので先輩に教わる準備も必要だ。


 馴染みの情報屋へ連絡した。暇そうで面倒見のいい女だ。ファッションの最初の一歩と言ったら大喜びで明日にでもとはりきっている。

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