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第9話「“普通の家族”なんて、うちには無理です」




ある平日。

リビングのテーブルに、一枚のプリントが置かれていた。


保育園の連絡帳に紛れていたそれは、

翔太たち三つ子がこの春から通う予定の小学校から届いた【新入生保護者参観日】の案内だった。


「……え?」


結衣は、そのプリントをじっと見つめていた。

横から顔を覗き込む陽翔も、思わず苦笑する。


「なるほど……これは、なかなかの難題だな」


プリントの下段には、こう書かれていた。


“お子様の健やかな成長のため、ご家族のご協力をお願いいたします。

特に参観日当日は、父母いずれか、またはご両親そろってのご参加を歓迎いたします。”


「……普通の家庭って、やっぱり“父と母”が一緒に行くのが理想なんでしょうね」


結衣が静かに言う。


だが彼女は、すぐに言い直した。


「……違うわね。『普通』なんて、そもそも、どこにもないのに」


「俺たちは俺たちだよ。……そう言いたいけど、実際に“誰が誰の親なのか”って、まだ社内でも秘密なんだし」


「参観日で、“氷室結衣社長”が子ども連れて歩いてたら、それこそ――」


「大炎上かもな。……社内も、世間も」


ふたりは視線を交わし、無言のまま深いため息をついた。


***


数日後。


朝のリビング。

ランドセルを背負った翔太が、玄関で元気に声を張り上げる。


「いってきまーす! パパー! ママー!」


梢も続く。


「せんせいに、おかあさんのこと、いうねー!」


「やめてええぇぇ!」


陽翔と結衣が揃って叫んだ。


「せ、せめて『ママはしゅふ』って言って! 『しゃちょう』とか『しゃちょーしつにすんでる』とか、言っちゃだめぇ!」


「でもほんとのことじゃん?」


廉翔が不思議そうに首を傾げる。


「……そうなんだけど!」


「しょーたのともだちに、“おとこのひとがごはんつくるのへん”っていわれたよ?」


「いや、それも時代錯誤!」


陽翔が絶妙な説教モードに入りかけたところで、結衣がふっと笑った。


「ねぇ、陽翔」


「ん?」


「参観日、出よう。ふたりで」


「……えっ」


「私は、“隠れ社長”になった。

でも、もう“隠れ母親”でいるのは、そろそろ限界かもしれない」


「結衣……」


「翔太も、廉翔も、梢も。

どこかでちゃんと、“家族の形”を話しておかなきゃいけないと思うの」


「……でも、会社には?」


「理沙が、うまく回してくれるわ」


そう言いきる結衣に、陽翔は小さく息を吐いて笑った。


「じゃあ……俺も、シャツくらいアイロンかけて行くか」


「ふふ、それも家族の役目ね」


***


そして迎えた、参観日当日。


スーツ姿の陽翔と、シンプルなワンピースにカーディガンを羽織った結衣は、手を繋いで学校の門をくぐった。


保護者たちのざわめき。

――でも、それはすぐに静まり、遠巻きな好奇の視線に変わる。


陽翔が微笑み、深く頭を下げた。


「こんにちは。……僕たち、三つ子の保護者です」


結衣も、控えめに頭を下げた。


「……少し、騒がしいかもしれませんが、よろしくお願いします」


「翔太くんのお父さん、若いのねえ〜」

「お母さん、すっごくきれい……もしかしてモデルさん?」


「いえいえ、ただの……」


――ただの、母です。


結衣は心の中でそう呟いた。


“社長”でも、“偉い人”でもなくていい。

“翔太たちのママ”として、ここにいる。


陽翔と目を合わせ、ふたりは小さく笑い合った。


“普通の家族”なんて、うちにはきっと無理だ。

けれど、だからこそ――

私たちは、私たちらしい“誇れる姿”を、見せていこう。



参観日。

3年1組の教室。


翔太が手を挙げ、元気よく発表するたびに、隣の廉翔が小声で「うるさいよ」と突っ込み、梢がニコニコと黒板を見上げている。

――教室の中では、三つ子たちの“自然な日常”が流れていた。


だが、その後方。

保護者席の一角だけが、微かに浮いていた。


瀬川陽翔。

氷室結衣。


シンプルで落ち着いた服装、丁寧な礼儀。

けれど、周囲の目が注ぐのは――その“空気”の違いだった。


「ねぇ、あの人……やっぱり」


「なんか見たことある顔……ニュースで見たこと……?」


「えっ、もしかして“ルクシア”の……?」


ひそひそと交わされる声。

けれどふたりは――まるで何事もないかのように、まっすぐ子どもたちの姿を見つめていた。


陽翔はそっと、結衣の手に触れる。

その手は、少しだけ震えていた。


「……無理して来なくてもよかったか?」


小さな声で尋ねると、結衣は小さく首を横に振った。


「ううん……来てよかった。

“普通じゃない”って、言われたって。

私は……あの子たちの母親だから。……それだけは、誰にも否定させない」


陽翔はその言葉に、少しだけ肩の力を抜いて、静かに笑った。


「じゃあ俺も、“普通の父親”はやめよう」


「え?」


「“在宅で家事も育児も完璧にこなしてる”って、言ったらみんなびっくりするかな?」


「……誇っていいと思うわよ?」


「うん、そう思ってきた」


ふたりは並んで、拍手した。

廉翔が黒板に絵を描いている。

“わたしのすきなひと”――と書かれた隣に、小さな家と、にこにこ笑った5人の家族。


それを見て、教室にいた担任がひとこと言った。


「すてきな絵ですね。……きっと、とてもあたたかいご家庭なんでしょうね」


結衣は目を細めて答えた。


「――ええ。とても、賑やかで。とても、騒がしくて。

でも、最高の家族です」


***


参観日が終わった帰り道。


小学校の正門をくぐり抜けるとき、ふと後ろから保護者のひとりに声をかけられた。


「……氷室さん。ですよね?」


一瞬だけ、足を止めた結衣。

けれど、振り返った顔は柔らかかった。


「はい。……氷室結衣です」


「やっぱり。……あの、あまり知られていないみたいなので黙ってましたけど、私は“社長”のファンで……本当に、今日会えて光栄でした。

まさか、お母さんでもあるなんて」


「……ありがとうございます。母親としては、まだまだ新米ですけど」


「いえ、とっても立派なお子さんたちですね。……家でも“社長業”されてるんでしょう?」


結衣はその言葉に、ふっと笑った。


「……ええ、ある意味では。

――でも今は、母としての“隠れ役員”です」


「ふふ、素敵です」


互いに頭を下げて別れたあと。

陽翔がそっと言った。


「……なんだ、結構バレてたんだな」


「でも、それでいいのよ。

“隠してる”より、“ちゃんと見てくれてる”人がいたほうが……私は、安心する」


ふたりはまた、手を繋いで歩き出す。


この家族は、普通じゃない。

誰かの理想に収まる形ではない。

だけど、それでも――


「私たちは、私たち。

“普通の家族”じゃなくても、“本物の家族”でしょ?」


「もちろん」


(つづく)



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