第8話「名前を呼ぶ声と、父としての覚悟」
」
ある朝。
瀬川陽翔は、ベビーベッドから聞こえてくる微かな鳴き声に目を覚ました。
「……ん、陽葵か……」
隣の結衣はまだ眠っている。
三つ子は先に起きてリビングで動画を見ている気配がする。
悠翔は陽翔の腕にくっついて、うつらうつらしていた。
(寝不足でも、これが俺の“朝”。)
静かに体を起こし、陽葵のもとへ向かう。
赤ん坊特有のあたたかな匂いに包まれながら、陽翔は小さく笑った。
「おはよう、パパですよー。さぁ、今日は何して過ごそうか?」
***
在宅ワーク用の書斎で、陽翔は静かにデスクに向かっていた。
10年前と違い、今やルクシアでは「リモート対応」や「在宅制作案件」も制度化されている。
特に、デザイン部門の要である陽翔の要望には、柔軟に対応する流れが出来ていた。
だが、それでも「自分が現場に立てないこと」への負い目は消えない。
(……俺は、会社に背を向けたわけじゃない。
だけど、“現場に立てないリーダー”に価値はあるのか――
今でも、ふと思うことがある)
そのとき――
スマホに通知が届いた。
《村瀬翼:なぁ陽翔、今度のプロジェクト、少しだけ話せないか?》
(……あいつ)
思い出されるのは、昨日の同期会でのひと幕だった。
『陽翔、お前、ずっと来てねぇけど――
正直、お前の“目線”が必要だって現場でも言われてんだぞ?』
『でもさ、家族もいるんだろ? それはそれで、すげぇことだと思う。
お前が“パパ”やってるの、ちょっと……うらやましいよ』
翼の言葉は、冗談めかしていたが――
その奥に、本音があった。
(“パパ”である自分と、“デザイナー”である自分。
……どっちかを捨てなきゃいけないなんて、誰が決めた?)
陽翔は、ゆっくりとスマホに返信した。
《もちろん。話そう。俺は、今もルクシアの一員だよ》
送信。
そして立ち上がり、リビングに向かった。
***
「結衣、昼から少しだけ、Web会議に出るね。
村瀬からの依頼。たぶん、プロジェクトの方向性調整だと思う」
「ええ、行ってらっしゃい……じゃないわね。“そこにいてくれる”だけで十分」
「……ありがとう」
結衣は陽翔のシャツを整えながら、ふと訊ねた。
「ねえ、陽翔。あなたは後悔してる? 在宅を選んだことを」
陽翔は一瞬だけ目を伏せて、けれどすぐに顔を上げて言った。
「してないよ。――後悔どころか、これが俺の誇りだって、ようやく言える気がする」
その言葉に、結衣の目が少し潤む。
「……あなたが私の夫で、良かった」
「俺も。君が、子どもたちの母親で――そして、俺の妻で、良かった」
二人は軽く口づけを交わし、静かに時間を区切った。
***
昼。
三つ子は昼寝、双子もベビーベッドの中で落ち着いている。
陽翔は、書斎でノートPCを開いた。
モニターの向こうには、村瀬翼、赤井美波、進藤あかり、さらには現場の新メンバーたちの顔が並ぶ。
「よ、瀬川パパ。久しぶり」
「……いや、今は“在宅主任デザイナー”でよろしく」
「あ、それ、いいな。称号みたい」
皆が笑い、会議が始まる。
陽翔の視点は、やはり現場とは違う。
でも、それゆえに見えるものもある。
誰も気づかなかった配色のズレ、コンセプトの弱点、そして“届けたい相手”の姿――
陽翔は、10分でチームの空気を変えた。
会議が終わる頃、誰かがふと呟いた。
『……やっぱ、瀬川がいると違うな。俺たち、まだまだ教わり足りないや』
陽翔は、画面越しに静かに微笑んだ。
「また、必要なら呼んで。俺はいつでも、ここにいるから」
(在宅でも、離れていても、俺は――チームの一員だ)
***
夕暮れ。
陽翔がリビングに戻ると、結衣が三つ子の頭をなでながら、子どもたちに訊ねていた。
「ねえ、翔太。将来、何になりたい?」
「うーんとねー……パパみたいに、おうちでおしごとしたい!」
「えー、ぼくはおそとでおしごとー!」
「こずえはねー、ままみたいに、おうちとおしごと、ぜんぶするのー!」
ふたりは、ふっと顔を見合わせた。
「……夢は、ちゃんと届いてるみたいね」
「だな。なら、俺たちも、もっと誇って生きないとな」
その言葉の先には――
“父である自分”と、“働く大人としての自分”を、もう切り分けないという決意があった。
夜。
夕飯を終え、三つ子と双子を寝かしつけたあと。
静かになったリビングには、ふたりだけの時間が流れていた。
「今日の会議、すごく良かったらしいわね」
結衣がそう言って、紅茶を差し出す。
陽翔はそれを受け取り、照れたように笑った。
「美波から連絡あった? あの子、相変わらず早いな」
「翼くんからも。『やっぱ瀬川が必要だ』って。……ふふ、誇らしいわね。あなたがそう言ってもらえるのは」
「うん、でも……なんていうか、やっと“吹っ切れた”気がする」
カップを置き、陽翔はソファに身を預ける。
「現場にいない自分に、後ろめたさもあった。
でも今日、俺が背中を見せてたのって、画面越しだったけど――それでも、ちゃんと届いてたって分かった」
「……それは、父親になったからじゃない?」
「うん。父親になって、ようやく分かった。
“誰かに見られてる”って、こんなにプレッシャーで、でも同時に、力にもなるんだなって」
そう言って、陽翔はふと、結衣の手を取る。
「俺ね、ずっと君の背中を見てた。
ルクシアで働いてる時も、妊娠してる時も、三つ子を産んだあとも、双子を抱いてる今も。
ずっと君は、俺の“ロールモデル”なんだ」
「……やめてよ。そんな褒められたら泣くわ」
結衣は少しだけ声を震わせながら、笑った。
「じゃあ、私も言わせて。
あなたが私の夫で、子どもたちの父親で、ほんとうに良かった。
あなたが、在宅を選んでくれたこと……私は、誇りに思ってる」
ふたりは静かに唇を重ねる。
ささやかな夜の中で、“家族”として、“夫婦”として――確かめ合うように。
***
その後。
陽翔は眠る子どもたちの寝顔をひとりずつ見てまわっていた。
翔太の寝癖。
廉翔のぬいぐるみを離さない手。
梢のすやすやとした寝息。
陽葵と悠翔は、並んでベビーベッドで小さく伸びをしていた。
「……おやすみ。パパ、明日もここにいるよ」
自分が選んだこの道が、いつか彼らの“誇り”になってくれたら――
そう思いながら、リビングに戻る。
テーブルの上には、翔太が描いた家族の絵が置かれていた。
パパとママ、そして5人の子どもたち。
家の屋根には、大きなハートのマーク。
陽翔は、その絵をそっと胸に抱く。
「“働いている父親”の背中が、ちゃんと描かれてる。
なら、それで十分だよな」
静かな夜。
言葉にはしない“覚悟”が、彼の中に静かに灯っていた。
(つづく)
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