第1話「育児と在宅、ふたりの決断」
それでは、シリーズ完結編――
『陽翔10年目在宅ワークと結衣隠れ社長編』開幕です。
「……陽翔、明日から正式に“在宅”ね」
「うん、決めたよ。会社には、もう“出社する前提の仕事”はしない。
今後は、完全に“家庭軸”で動く――この家を、仕事場にする」
夜のリビングルーム。
眠りについた陽葵と悠翔の気配がベビーモニター越しに流れる中、
テーブルを挟んで座るふたりの声は穏やかだった。
ソファの上に広げられたPCとタブレットには、陽翔がまとめた新しい就業スケジュール、
結衣が構築した「リモート主導の社長機能分散モデル」の資料が並んでいる。
どれも精緻で、プロフェッショナルな仕上がりだ。
けれどそれ以上に、そこには“生き方”の選択が滲んでいた。
***
「もう“家庭とキャリアは両立しないといけない”という意識自体が、
どこか無理を生んでる気がするの。
私たちは“同時にこなす”んじゃなくて、“切り替えて選ぶ”ことにした」
結衣はそう呟いて、紅茶を口に運ぶ。
この10年。
氷室結衣は“完璧な社長”としてルクシアの全権を担ってきた。
だが今は――橘理沙に社長代行を委任し、表舞台から身を引いている。
表向きは“健康上の理由による長期療養”。
だが実際は、隠れ社長として全社の流れをモニタリングしながら、子どもたちの成長を最優先にしていた。
「あなたが理沙を選んだのは、正解だったわね」
「彼女は完璧だよ。あの人の経営判断、俺なんかより遥かに先を見てる。
でも……“この会社の心臓”は、やっぱりあなたなんだ。
理沙さんも、それは分かってる」
「……そうかしら。今の私は、子どもたちにミルクあげるだけで精一杯だけど」
「それが、一番大事なことだよ」
陽翔はそう言って、結衣の手を取った。
ふたりの指が静かに重なる。
10年を歩んできたパートナーとしての“答え”が、そこにはあった。
***
翌朝。
ルクシア本社のエレベーター。
企画部の村瀬翼が手にした新規事業案の資料を抱えたまま、ある違和感に気づいた。
――あれ?
40階にアクセスがかかったのは久しぶりじゃないか?
かつて、社長・氷室結衣が毎日出社していた頃は、40階のアクセスランプは朝昼晩と点灯していた。
だが今では、橘副社長が完全に現場を仕切っている。
そして、エレベーターの扉が開いたその瞬間――
「……あれ?」
エレベーターの中から現れたのは、ラフなシャツにジャケットを羽織った瀬川陽翔。
手には、赤ペンの入った資料ファイル。
その表紙には、企画部の新イベント案のドラフトが挟まれていた。
「……瀬川さん……!」
「……おお、村瀬くん。タイミングよかった」
「てっきり、もう完全に“出社しない”って聞いてましたけど……!」
「ん。基本は自宅勤務。でも、今日はついでがあったから寄っただけ。
この資料、データ更新されてなかったから。……はい、預かってた分」
陽翔が手渡したその資料には、結衣が添削した箇所も細かく赤で修正が入っていた。
「これ……社長の筆跡じゃ……」
「んー……誰のだろうね」
涼しい顔で陽翔が笑う。
その一瞬、村瀬は――すべてを理解した。
(……結衣社長、まだ完全に引退してなんかいない。
“家庭”という戦略領域に移動しただけだ)
***
その日の社内チャットでは、赤井美波と進藤あかりも村瀬からの情報に軽くどよめいていた。
【村瀬】
今日、40階で瀬川さんに資料手渡された。社長の赤字入ってた。
結衣さん、完全引退してない。間違いない。
【美波】
……えっ、それ本当?
じゃあ、“在宅社長&在宅マネージャー”ってこと……!?
【あかり】
ルクシア、もはや“社長室”が家庭の中にあるのか……すごいな……
画面の向こうで、ふたりの赤子が同時に泣き始める。
それを見て、陽翔と結衣は視線を合わせ、同時に立ち上がる。
「陽翔、哺乳瓶お願い。私はおむつ」
「了解。育児班、出動します」
戦場は、いまやこの家の中にある。
けれど、そこから会社も未来も――動いている。
(つづく)
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