ch.1 寸止めの告白から5年
2007年12月中旬の夕方。
熱帯の島国イーシアの騎炉区。
かつてサバンナと揶揄されたほどのスラム街だったその街で、27歳のシェリ・エザキは広場のマーケットで食材の買い物を終えた。
紙袋の中を見て買ったものを確かめると、暗い顔で歩き出す。
夕暮れ時を迎え、街灯も少ない広場では、露天商たちが次々に片づけを始めている。
広場の中央にあるコンクリ製の円形の台がある。
1996年のクリスマス。
シェリが16歳のとき、この台の上でライブ演奏をやろうとした高校生ぐらいの少年たちとギャングとの間でイザコザが起きた。
激高したギャングの一人が少年たちの一人を捕まえて銃を突きつけ、少年たちのリーダーを脅した。
捕まえられていたのは、小柄で細身な少年。
その少年の言葉が、今でも忘れられない。
彼はギャングに銃を突き付けられながら、平然と言った。
「どうぞ。別に俺が死んだって、誰も損しないですから」
無表情の彼が何を感じ取っていたのか、シェリにはわかった。
少年を見つめながら手を握り合わせ、確信した。
きっとこの人だけ。あたしが本当にわかりあえるのは。
もうすぐあの日から11年。
わかりあえると信じたはずの人を、他でもない自分が傷つけている。
それ以上は考えるまいと、シェリは紙袋を抱きしめるように抱え直し、早足で広場を後にした。
同じころ、27歳の雇われ警備員キュー・エザキは、友人の会計士エド・リンジのマンションでアイスティーを飲んでいた。
エドとは同級生にして『戦友』だ。
日没を過ぎ、2人が8階のベランダから眺めるイーシアは夜景になっていた。
足元に見える近代的な西側の街に対し、東には低い建物が密集する暗い街。
彼らが育った元スラム街が見えていた。
「なんであっちに住んでんだ? 勤め先はこっちなんだろ?」
ダークブラウンのチノパンに水色の半袖シャツを着たエドが、スクエアの眼鏡をテーブルに置く。
エザキが北欧風イケメンと呼んでいる顔が、街の灯りに照らされてよく映える。
一方のエザキは作業着のようなデニム地のシャツにブラックジーンズ。
眉のあたりまで垂れた黒髪はボサボサだった。
「家賃も物価も安いし、もう昔みたいなスラムでもないし……」
「たしかに、昔みたいなドンパチもなくなったしな」
エドが正面の夜景から左に視線を動かすと、テーブルの向こうにアイスティーのグラスをボーッと眺めているエザキがいた。
「それよりエザキ。シェリが怒ってる理由はまだわかんないのか?」
エザキは肘をテーブルについて正直に答えた。
「地元の友達に無理やりキスされたって謝られたんだ」
「マジか……」
「何も責めたりしてないのに、ずっと怒ってるんだ。もうさっぱり……」
エドがアイスティーを吹き出して、笑った。
「俺からすれば、自分を殺しに来た女と夫婦になることがさっぱりだよ。あの『寸止め』……あれが告白だったなんてさ……」
エザキも弱々しくも笑った。
「でも、エザキ。マジな話、あの『寸止め』はなんだったんだ?」
急に真面目な顔で聞いたエドに、エザキは話し始めた。
そのとき、エザキは自分を狙うスラム最強の女用心棒を袋小路に追い詰めていた。
自分にナイフを向ける女を見て、確信していた。
この子は俺を傷つけない。
そして手にした角材を大きく振り上げながら一歩踏み出すと、女の頭に振り下ろした。
茫然と振り下ろされる角材を見つめていた女。
その顔スレスレで角材を止めると、女の手からナイフが落ちた。
ナイフが路面に当たる乾いた金属音が、やけにハッキリと聞こえた。
女が両膝を地面に突くと、エザキはしゃがんでその手を握った。
柔らかく、温かいその手が震えているのを感じながら、まっすぐに目を見て言った。
「ね。俺は君を傷つけない」
その翌月、21歳のシェリは妊娠した。
「お前とシェリには『自分への加害意思を伴った動作を感知する能力』があるんだったな」
「銃を向けられても、『相手に加害の意思がない場合』は『撃つ気ないな』ってわかるんだ」
「それで?」
「あの時、初めて会った瞬間から、はっきり通じ合ったんだ。『絶対に傷つけない』っていう意思。それを『わかり合えてる』って感じたんだ」
説明しているうちに熱を帯びかけたエザキは、誤魔化すようにアイスティーを口に含んだ。
「それを証明する方法が、あの『寸止め』だったのか?」
エザキは腕を組んで、エドの目を見た。
「俺はこの能力のせいで、誰ともわかりあえなかった。エドもーー」
「俺もお前を本当には理解できない。そんな能力持ってないからな」
「だから、シェリが殺しに来たとき、『この人しかいない』って思ったんだ」
エドは頭を抱えて見せながら、笑った。
「世界トップクラスにヤバい夫婦の誕生だ」
二人はまた笑い出したが、ひとしきり笑い終えると、エザキは暗い顔で言った。
「なのに、なんで今こうなってるんだかね……」
エザキがアパートのドアを開けると、テーブルに置かれた夕食が目に入った。
「ただいま……」
奥の部屋から暗い声が聞こえてくる。
「おかえり……」
エザキはリビングのソファに座ると、そこから見える部屋を見た。
開いたドアの向こうに話しかける。
「あの、夕飯――」
「食べていいよ……」
ゴソゴソとベッドに入るような音。
「あ、ありがとう……」
エザキは椅子に腰掛けると、音を立てないように食べ始めた。
帰って来たくなかった。




