第2章 千夜子の転生
【響き合う光、永遠のファンファーレ
令和9年。新緑の風が、伊崎進の書斎のカーテンを優しく揺らしていた。
デスクの上には、犬のパペット「タロ」が、まるで主人の作業を静かに見守るようにちょこんと座っている。
進のYouTubeチャンネル「タロの3分法務講義」の登録者数は一万人を超え、画面の向こうからは毎日、現場で足掻く若き公務員や受験生たちからの、涙の混じった感謝のコメントが次々と届いていた。
「進君、今日の夕飯はおにぎりと、進君の好きなゆで卵にするね」
台所から美智子の明るい声が響く。進はパソコンの手を止め、愛おしそうにパペットの頭を撫でた。
「ああ、ありがとう美智子さん。……タロ、今日もたくさんの人を救えたかな」
凸凹のままで、合わない場所からは静かに立ち去り、自らの物語の主人公として生きる。
その覚悟を決めた夫婦の頭上には、今、天上界の歴史をも大きく動かす「終わりの、そして始まりの鐘」が鳴り響いていた。
【白銀の神殿にて:千夜子の旅立ち、智代の残る理由】
霊界の最高層、白銀の神殿。
進の全人生を見守り、その魂を完璧なる自立へと導いた主護霊・千夜子の全身が、にわかに透き通るような、神々しい純白の光に包まれ始めていた。
指導霊が静かに歩み出で、光の杖を千夜子の頭上に掲げる。
「主護霊・千夜子よ。あなたの現世における『母としての、そして主護霊としての天命』は、これをもってすべて完了いたしました。我が子の不条理をすべて反転させ、血脈の闇を智慧へと昇華させたあなたの功績は、天の記録に永遠に刻まれます。さあ、すべての未練を脱ぎ捨て、新たなる現世への『転生』の門をくぐりなさい」
「お母さん……。私、ついにいくのね」
千夜子は、隣に佇む母・智代の手を握りしめた。
智代の光もかつてよりずっと澄んでいたが、その足元はまだ、神殿の床に深く根を下ろしている。
指導霊が優しく智代を見つめ、厳かに告げた。
「智代よ。あなたは幽界での凄まじい苦行を経て、己の歪みと傲慢さを大きく浄化させました。しかし、あなたの魂が持つ『深い知性と、新興宗教にすら狂ってしまったあの圧倒的なエネルギーの奔流』を、次の現世で正しく『他者の救済』へと使いこなすためには、もう少しだけ、この霊界で天上の智慧を学び、修行を積む必要があります。焦ることはありません。あなたの残る時間は、すべて次の偉大なる魂の設計図のための、尊き蓄えとなるのです」
「はい……。分かっております、指導霊様」
智代は涙を拭い、凛とした笑顔で千夜子を抱きしめた。
「千夜子、私のことは心配いらない。あんたが私の娘で、進の母親でいてくれたこと、魂の底から誇りに思っているよ。新しい人生を、思い切り楽しんでおくれ」
「お母さん、ありがとう。私、いってきます。進のこと、もう少しだけ、上から見守っていてね」
千夜子の魂は、ちぎれんばかりに尻尾を振るタロの霊体を愛おしそうに抱きしめた後、まばゆい黄金の光の渦となって、ゆっくりと現世へと下降していった。
それは、かつて松本市の病院で寂しく息を引き取った悲劇のヒロインではなく、自らの手で宿命を打ち破った、一人の偉大なる女神の旅立ちの姿であった。
【エピローグ:大いなる調和の、その先へ】
現世の書斎で、進はふと、胸の奥が震えるような、圧倒的な「解放感」を覚えた。
まるで、これまで自分を優しく包んでいた大きな温もりが、空へと高く昇り、世界中の光となって自分を包み込んでくれたかのような、至高の感覚。
「進君? どうしたの?」
不思議そうに覗き込む美智子に、進は涙が溢れそうになるのを堪え、心からの笑顔を向けた。
「いや……なんだか、僕のなかの『夜』が、完全に明けたような気がしたんだ。おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、みんなそれぞれの場所で、一生懸命生き抜いて、次の旅に出た。そんな気がするんだよ」
進は再びタロのパペットを手にはめた。
今や、主護霊のバトンは千夜子から上層の神々、そして残って修行を続ける智代の知性の光へと美しく引き継がれ、進の周囲にはいささかの闇も寄せ付けない、絶対的な守護の障壁が完成していた。
「さあ、始めよう。これから僕たちの前には、もっとたくさんの、変わった、愛すべき受講生たちがやってくるはずだからね。みんなの人生を、全力でハッピーエンドに導くんだ」
ワン! と、書斎の静寂のなかに、確かに優しく、賢いイヌの鳴き声が響いた。
定型も非定型も、過去の泥も未来の不安も、すべては天のパレットが描いた美しい個性。
凸凹だらけの夫婦と、一匹の忠犬パペットが紡ぐ救済の物語は、鳴り止まない祝福のファンファーレとともに、どこまでも、どこまでも、輝かしい明日へと続いていくのだった。
(完)
これで、【栴檀外伝・幽界の母・千夜子伝】は完結しました。今までお読み頂き、ありがとうございました。
このあと、伊崎進が主人公の新連載が始まります。
ご期待ください。




