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第1章 進に迫る新たな危機

【2023年の地殻変動、消えゆく法律科目】


 2023年の秋が深まる頃、千夜子と智代が寄り添う現世の鏡の向こうで、進を取り巻く環境に、コロナ禍とは全く質の異なる「静かなる危機」が忍び寄っていた。


 それは、目に見えないウイルスの襲来のような一時的な災厄ではなく、国家の制度そのものが根底から覆る「公務員試験改革」という名の地殻変動であった。


「……これからの公務員試験は、より多様な人材を確保するため、従来の知識偏重型の筆記試験を大幅に縮小します。今後は、多くの自治体で人物重視、民間企業志望者でも受けやすい総合適性検査や面接へと順次移行します」


 ニュースや予備校の内部資料に並ぶその決定は、進にとって死活問題であった。

 進がその全知全能を傾けて磨き上げてきた民法、行政法、憲法といった「法律科目」が、公務員試験の舞台から次々と姿を消していく。

 試験から法律が少なくなるということは、大学や予備校での「法律科目対策講座」そのものが縮小することを意味していた。


 カレンダーから出講予定が、今度はコロナの時とは違い「二度と戻らない形式」で削られていく。

 プレゼンターの電源を入れる機会が、週に何度も、確実に減っていった。


「千夜子……どうしてこんなことに……」

 鏡を見つめる智代の霊体が、不安で激しく明滅した。

「進はあんなに努力して、合格のための解法を極めたのに。時代を赦して、さあこれからだと思ったのに、また時代が進の居場所を奪おうというのかい?」


 主護霊である千夜子もまた、言いようのない焦燥感に包まれていた。

 これまでの修行で不干渉の強さを学び、因縁を赦してきたはずだった。

 しかし、目の前で我が子の誇りであり、唯一の糧である「法律講師」の仕事が構造的に減っていく現実に、どう立ち向かえば良いのか、その大局的な正解が全く見えなかったのだ。


【指導霊の至言】


 二人の戸惑いが神殿の波動を揺らしたその時、まばゆい白銀の光と共に、あの指導霊が厳かに姿を現した。


「主護霊・千夜子、そして智代よ。うろたえてはなりません。現世のシステムが激変するとき、それは人間の魂に『さらなる脱皮』を促す天の采配なのです」


 指導霊は光の杖で鏡の表面を叩き、進の魂の深層を映し出した。


「進はこれまで、法律の知識を授け、問題の解法を教える『技術者テクニシャン』として一つの頂点に達しました。しかし、天が進に与えた本当の天命は、単に試験の点数を取らせることだけでしょうか?」

 指導霊は続ける。

 「法律という科目が無くなるのは、進の『牙』を抜くためではありません。むしろ、法律という道具を一度手放させ、伊崎進という人間そのものの人間力、不条理を生き抜いてきた魂の言葉そのもので、他者を救うステージへ上げようとしているのです。仕事が減ることを恐れるなと、あの子の魂の奥へ『器を広げよ』という直感を送りなさい」


 千夜子は指導霊の言葉にハッと目を見開いた。

 そうだ、進はこれまでも、何もないどん底から「自らの論理」で這い上がってきた。試験科目が無くなったとしても、進の本質である「苦しむ若者に寄り添う力」が消えるわけではないのだ。


「分かりました……。あの子の器が広がるのを、信じて見守ります」

 千夜子がそう誓ったのも束の間、現世の進は、経済的な防衛本能から、千夜子たちの想像を超える「泥臭い行動」に出た。


【コールセンターの嵐、慣れない副業】


 減っていく予備校の収入、そして妻・美智子との慎ましい生活を守るため、進はプライドをすべて捨てて、ある「副業」の面接を受けていた。


 それは、法律講師としてのスマートなプレゼンターの世界とは180度異なる、時給制の「派遣のコールセンター」の業務だった。


 大手通信会社や金融機関のカスタマーサポートのブース。

 ヘッドセットを装着した進の前に、無機質なパソコンの画面が光る。

 マニュアルを必死にめくりながら、進は押し寄せる電話の応対に追われていた。


「お電話ありがとうございます、伊崎でございます。…はい、その件につきましては、システム上…」


 言葉のプロであるはずの進だったが、コールセンターの現場は勝手が全く違った。

 マニュアル通りに話そうとすればするほど、相手の矢継ぎ早な質問や、時には理不尽な怒号クレームに言葉が詰まる。

 受講生の前で鮮やかに法律の迷宮を解き明かしていたあの堂々たる姿はどこへやら、現在の進は、ただただ画面のデータと顧客の感情の板挟みになり、冷や汗を流しながら頭を下げ続けていた。


「あんなの、進のやる仕事じゃないわ……!」

 鏡の向こうで、たどたどしく謝罪を繰り返す進の姿を見て、智代が胸を痛めて叫んだ。

「法律の知識があるあの子が、どうして見ず知らずの人に頭を下げて、怒鳴られなきゃいけないんだい!」


「お母さん、静かに」

 千夜子はきゅっと唇を噛み締め、純白の光で智代を包み込んだ。

 千夜子の胸も、我が子が不慣れな労働で精神を摩耗させている姿に張り裂けそうだった。

 しかし、指導霊の言葉が頭をよぎる。


(進、がんばって……。これはあなたの価値を下げるための場所じゃない。ここであなたは、法律という盾を持たない『生の人間』の、本当の痛みに触れているのよ……)


 ヘッドセットの向こうから、また一人、理不尽な不満をぶつけてくる顧客の声が響く。

 進の呼吸が浅くなり、心の中にじわりと焦燥の黒い影が差す。

 主護霊・千夜子は、そっと祈りの手を合わせた。直感で答えを教えることはしない。

 ただ、進の魂がこの「慣れない泥泥」の中で折れてしまわないよう、その背中にどこまでも深い、沈黙の守護の光を送り続けるのだった。

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