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最終話 B




「動くな!!」


 声が響いた。

 アンジェが声の方を振り向くと、屋根の頂上でシオンが弓を構えていた。


 彼は夜に照らされた月を背に、真っ直ぐに弓はアンジェを捉えていた。


 普通の人間なら、ここまで登れはしない。

 だが彼は勇者だ。


 数メートル離れた館の間を飛び移ることなど造作もない。


 でも、どうして――アンジェは自身が押さえつけていたリコエッタを見返す。

 彼女の胸元には普段つけない首飾りをしていることに気付く。


 埋め込まれた宝石が発光し、黄金色に輝いていた。

 自分の渡された首飾りとどこかデザインが似ている。


 アンジェにはそれがシオンからの贈り物だと直感で分かった。

 女の勘だった。


 そしてその首飾りがリコエッタの危機を知らせたのだと気付いた。

 そうでなければ、

 シオンがここに来た説明がつかない。


(そうよね……私に贈り物をしたんだから、リコエッタに何もあげないなんてことあるわけないものね……)


「そこから離れてください、アンジェ様。何もしなければ、あなたを撃つつもりはありません」


 アンジェはシオンをにらみつけた。


「あなたは本当に勇者様ね、お姫様の危機に颯爽と現れて…私の時は助けにきもしなかったくせに」


「この騒動もあなたがやったんですね、アンジェ様。どうしてこんなことを?」

「…全部あなたのせいよ。どうしてあなたは私の目の前に現れたの、あなたが現れなければ…私は」


 アンジェはその言葉を口にし、自分の心が余計虚しくなるのを覚えた。なぜ、こうなったのだろうか、なぜ、私は妹と結ばれた人を好きになってしまったのか――


「アンジェ様……」

「もうやめてお姉ちゃん、あなたはそんな人じゃない」

 その言葉が引き金だった。


「……さっき言ったでしょう!もう何もかも遅いって!!」

「やめろ、アンジェ!!!」


 アンジェがナイフをリコエッタの首もとに向け突き刺そうとした。

 直後にシオンがアンジェめがけ弓を引く。

 高速で放たれた矢はアンジェを貫通する、はずだった。



「――え」


 その声を上げたのは以外にもアンジェだった。


 彼女は一体今、何が起きているのか理解できなかった。


 アンジェの瞳孔が大きく開かれる。


 矢はアンジェに命中することはなく、彼女の目の前には背中から血を流しているリコエッタがうずくまっていた。


 リコエッタはその身を挺してアンジェを庇ったのだ。


 矢はリコエッタの背中を貫通し、軌道が逸れたのか、彼方へと飛んでいった。

 彼女は力なくうなだれ、血は屋根を伝い、その雫が地面に落ちていく。


「ど、どうして…」


 アンジェはとっさにリコエッタを仰向けにした。

 リコエッタは苦しそうにうめき声を上げる。

 矢が背中から肺に貫通している。リコエッタはまだ息があるが、そう長くはないだろう。


「お、お姉ちゃん…」


 リコエッタの口から血が溢れ、血の気泡が唇に出来ている。


「どうして私を助けたの…私なんかを!!」


 アンジェは、今にも泣きそうな声を上げてリコエッタに問い詰めた。


「だって当たり前じゃん。私の大切なお姉ちゃんなんだから……」


 その言葉を弱弱しく。けれど、この場にいた誰の言葉よりも強いものだった。

 そして彼女は自分の力を振り絞り、最後の言葉を発した。



「大好きだよ。シオン、お姉ちゃん」


(そしてシオンお願い、自分もお姉ちゃんのことも責めないであげてね。こうなったのは全部私のせいだから……)

 

 だが、その言葉が彼に届くことはなかった。もうその頃にはリコエッタの唇は動かなくなっていた。瞼は閉じていき、すぐに息を引き取った。


 彼女は安らかな顔をしていた。


 アンジェとシオンは茫然とリコエッタを見ていた。


 さっきまでの喧騒が嘘のように辺りは静まり返る。先ほどアンジェは自身がもう何もかも遅いと言ったが、それは違う。


 何もかも遅いというのは今だったのだ。

 彼女はそれを自覚した。


 ――全てが終わった後、アンジェは子供の頃のことを思い出した。どうして今思い出したのか、それは運命のいたずらでもなんでもなく、彼女の良心によるものだった。





 二人がまだ子供の時のことだ。


 アンジェとリコエッタは森の浅い茂みで、大文字で寝転んでいた。父には内緒で、城の近くの森まで来ていた。辺りは野花が咲き、あちこちをチョウチョが飛んでいる。暖かな風が吹いていた。


「ねぇ、リコエッタ?」


 アンジェが口を開いた。

「どうしたの、お姉ちゃん?」

「お母さんが死んでしまったけど、替わりに私があなたとお父さんを守る。嫌いな勉強もするし、稽古もたくさんする。それに私美人になるわ」

「えぇ、お姉ちゃんが?」


 二人はずっとくすくす笑っていた。



「じゃあ、お姉ちゃん。私も約束するよ。お姉ちゃんがつらくなったら、私がお姉ちゃんのそばにいる。一緒に支えあって生きていこう。約束だよ」

 その日二人は約束した。そう、約束したのだ。


 それが私達の始まりだったのに――














 ぼくはきっと彼女から憎まれているだろうな――



  ある貴族の手記より。


 ここに200年前、ラングランド全土を恐怖に陥れた悪名高き魔王、シオン=ラングランドのことを記することにする。

 これは私の生涯をかけて調べ上げた調査の結果だが、私見が十二分に入ってことを先に述べておく。

 彼、シオン=ラングランドは歴史書が示すように王妃の妹リコエッタ嬢を自身の手で殺し、その後、王妃アンジェ=ラングランドを暗殺、王国を乗っ取った。混乱の王国を纏め上げ、帝国制を築き、隣国に侵攻を開始する。だが、人類は彼に負けることはなかった。ラングランドの国々は結束を固め、魔王シオン=ラングランドを打ち滅ぼす。我々は勝利した。シオン=ラングランドの悪行は、人類の歴史を100年衰退させた邪悪な物として伝えられている。ここまでは皆が知っている通りだと思う。だが、私達が知っていることは、本当に真実なのだろうか。私の素朴な疑問から、彼を調べていくうちにそうではない可能性が示されてきた。だが、この書には恣意的な意図がないことだけには留意したいただきたい。善とか悪とか、教訓めいた話を書きたいわけではないのだ。ここから記するのは私の目を通した事実だけだ。





 あの事件から数年が経過した。


 ラングランド王が崩御し、アンジェが王妃となった。

 今は、彼女の夫であるシオンがその玉座に座ることとなった。



 元々アンジェは王国の一部の政を任されていた事もあり、順調とは行かないまでも国を取り仕切っていった。


 彼女を中心とした、新しい国の体制が徐々に出来上がりつつある。


 シオンも彼女に国政を教えられ、少しずつ国王らしい出で立ちとなっていた。


 そして領民たちは竜の呪いを受けることもなく、安寧の時を過ごしている。

 あの事件はスターチス令嬢が行ったことになった。


 彼女の家系は没落し、その責任を取る形で協力者だった商人も処刑された。


 商人が処刑されたのにはもう一つ理由があった。


 彼は、アンジェのしたことを隣国に教えようとしていたのだ。


 もしかしたら彼を捕らえる道中で、そのことを何人かの人間に知られたかもしれない。


 アンジェは恐怖した。

 だが、もうどうすることもできなかった。


 彼は処刑される瞬間までアンジェを恨み死に絶えた。

 スターチスの妹、ロイスは捕まらず、今も姿を隠している。


 そして、あの事件が国に与えた傷跡を癒すには二年もの月日が必要だった。


 商館での事件で有力な貴族達が次々と竜の血の呪いを受け、暴れ狂い死んでいった。


 大勢の民衆も死に、国の力は衰退した。


 むしろたった二年の期間で復興したことが奇跡だと言っていい。


 それはアンジェの天才的手腕によるものだった。

 生き残った人々は彼女を褒め称えた。無論、真実を知るものはそうではなかったが。



 時刻は夕方。


 ラングランド王国会議の間に玉座に座る王シオンと、その隣には王妃アンジェがたたずんでいる。


 彼女は二年の歳月を得て、より美しくなった。彼女の夫シオンも王らしい風貌になり、傍から見れば、人々から愛される素晴らしい王と王妃に見えただろう。


「騎士団長、このたびの遠征はどうでしたか」

 アンジェの透き通るような美しい声が響いた。

 会議の間にいる兵士長は頭を下げる。


「ええ、やはりアンジェ様の言う通りでした。隣国達の様子がおかしいです。彼らは国々に大使を派遣し、連絡を取り合っています。近いうちに、何かを起こすかもしれません」

「そう…ありがとう。もう下がって良いわよ」


 兵士長は頭を下げ、会議の間を出た。


「俺も先に部屋に戻るよ」

「ねぇ、シオン」

「……なんだい」

「……ごめんなさい、何でもないわ」

 彼は黙って会議の間を出て行った。


「アンジェ様……まだあのような男に縋るのですか。あなた程のお方が」

 どこから現れたのか、呪術師の老婆が会議の間に姿を見せる。


「いいでしょ、それに私はもう普通の女の子よ」


 あの事件を期に、アンジェの竜の力は弱まりつつあった。

 理由は分からない。


 彼女の行動が竜を失望をさせたのか、アンジェが正気に戻ったからなのか。


 だが、それでも老婆は彼女のそばを離れようとしなかった。


 彼女はつき物が落ちたように、明るくなり、アンジェの世話に励んだ。国の復興に力を貸し、本来の預言者の力を使い彼女をサポートしていた。勿論それは公式でのことではない。


 彼女はあの事件で指名手配され、アンジェが彼女を匿っていた。


「私がこれほど口をすっぱく言っているのに、アンジェ様と来たら…」

 その様子を見てアンジェは笑みがこぼれた。


「ふふ、今となっては私の味方はあなただけね」

「そうですとも、そうですとも。私は何があってもあなたの味方ですよ。アンジェ様」

 自信満々に答える彼女の姿に、アンジェは自身の死んだ母親の姿を重ねた。母を早くに亡くしたアンジェにとって、自分に親身になってくれる老婆を、アンジェは母親のように思っていた。


「私も、もう部屋に戻るわ。眠くなってしまったし、それにシオンを待たせているもの」

 シオンはアンジェと結婚し、彼もまた国の復興に身を捧げた。


 アンジェはてっきり、シオンがリコエッタの復讐をしてくるものだと思っていたが、彼は甲斐甲斐しく自分に尽くしてくれた。それでもギクシャクした関係だったが。


 彼らの関係は、愛する人をその手で殺したもの同士、傷のなめ合いだったのかは分からない。


 彼が何を考えているのか、アンジェには理解できなかった。


 それでも、時折見せる彼の本物の笑顔に、アンジェは癒された。


 今はまだお互いの距離が離れているけれど、きっといつか歩み寄る日が来るとアンジェは信じていた。



「……アンジェ様いやな予感がします。今日は私も同行します」

 老婆は神妙な面持ちで言う。


「ううん、あなたが他の人に捕らえられたら、それこそ私が悲しむわよ」

「…お気をつけください。アンジェ様」

 それがアンジェと彼女の今生の別れとなった。





 アンジェが長い廊下を歩いていると一人のメイドにぶつかった。

 アンジェは小さくよろめく。


「も、申し訳ありません」

「いえ、いいのよ」


 彼女はペコリとお辞儀をし、その場をすぐに立ち去った。

 見ないメイドだった。だが、その顔は見覚えがある。

 彼女は誰だったか、以前どこかで会ったような――


 アンジェは自分の考えに浸っていると、全身の力が抜けるのを感じた。


 自身の腹部を見るとナイフが刺さっている。

 血がゆっくりと広がり、純白のドレスを染めた。


 そうだ、あれはスターチスの妹ロイスだ。


 アンジェは商館での事件で、彼女にとどめをささず逃がしてしまった。


 彼女への同情からだったのか、ただのきまぐれだったのか。


 今はもう覚えていない、遠い過去の出来事のように思えた…


そうか…因果応報とはこのことだ。愛する人のために、妹をこの手にかけようとした悪女の、その最後。それにふさわしい末路だとアンジェは思っていた。


 彼女は窓際の壁に寄りかかる。血がベッタリと壁を塗らす。

 彼女はふと外の光景が気になった。


 開かれた窓の外を眺める、夜だというのに、街には明かりがついている。


 いやあれは火の手だ。


 警笛がどこかから聞こえる。

 そう、そういうことなの…彼女はこれから起こるであろう事を予見した。


 だが、今の自分ではもうどうしようもない。


 血が大量に流失し、もう立ち上がる気力もなかった。彼女はゆっくりと空を見上げる。


 そこには満点の星空が広がっていた。


 人の営みも知らずに煌々と輝き続けているその景色は、彼女の心を揺さぶった。


 彼女は空にめがけ、手を伸ばす。

 何かを捕まえるような仕草をした。彼女にはそれがきっと何かに見えたのだ。


 (ああ、どうして気付かなかったんだろう。私がほしいものはこんな近くにあったのに)


 自分が最後に見たであろう景色を記憶に焼付け、アンジェはそっと目を閉じる。


(リコエッタ、私もすぐ、そっちに行くからね)


 彼女の命の灯火が消えるその時まで、夜の優しい風が、彼女の髪を揺らし続けた。





 ねぇ、シオン。あなたは私を憎んでいるかも知れない……でもね、私は、あなたのことがね――





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