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百五十八話目

 合奏前に言い渡された三分間の猶予。誰もが緊張の面持ちで、しかし楽しげに口元を歪めてそれぞれ精神を統一させている。

 楽器の音は聞こえない。だが、呼吸音と心音だけがやけに馬鹿でかく聞こえてくる。足が、手が、心が震えている。視界が揺らぎ、喉が渇いて水を欲する。まるで自分の体じゃないみたいだ。

 他のみんなは……慣れているからか、意外と平然としている。やはりこれは経験の差だろう。俺もサッカーをしていた時期があったが、それとは別物だ。

 対人競技であるサッカーはある意味相手によって俺たちのテンションも変動する。相手が強かったり、点を取られたり、そういうことが積み重なっていくうちに負けたくないと強く思ってくるのだ。

 だが、吹奏楽は違う。時間も数分と短く、おまけに誰か相手がいるわけでもない。言ってしまえば自分との戦いだ。だからこそ……言い訳ができない。

『相手が強かった』

『あのパスミスが無かったら』

『相性が悪かった』

 こんな言い訳を今までさんざん聞いてきたし、言ってきた。当然、それは事実なのだが、ある程度自分たちに都合がいいように曲解している。

 けど、吹奏楽のように団体競技であっても個人競技の側面があるものではそうはいかない。ミスは如実に表れるし、当然観客の耳に入って評価される。一切言い訳ができない世界――それが音楽であり吹奏楽なのだ。

 正直、ブルってる。今日が最後の合奏。もしここでミスをしたら……確実に明日に響く。そう思うと怖くて仕方がなかった。

『レイ』

「ひっ!?」

 急に話しかけてきたMCの声に驚き思わず飛び上がる。全員の冷たい視線を受けながらもそっと彼女の方に耳を寄せ、

「何やってんだよ……ばれたらどうすんだ?」

『その時はその時ですよ……それより、レイ。緊張を解くいい方法を教えてあげます』

「何だ?」

『私をハグしてください』

「……は?」

 何を言ってるのだろう、こいつは? とうとう緊張で頭がおかしくなったか?

『いいから。早く』

 渋々、促されるままに彼女を抱きかかえて――抱きとめる。すると彼女はそっと囁きかけ、

『レイ。ゆっくり、ゆっくり息を吐いてください』

「……ん」

『あなたは今まで努力をしてきましたよね?』

「……ああ」

 小声で語りかけてくるMC。それはどこか甘く、優しく――まるで泣く子をなだめる母親のような声音だった。

『その努力は無駄でしたか?』

「……いや。こうしてみんなとも吹けるようになった。十分だったと思う」

『ですよね? だったら、信じなさい。昨日先生もおっしゃっていたでしょう?』

「けどさ……今でもミスをするし、間違えるときもあるし……自信がない」

 そこでふふっと優しく笑う彼女。

『自分が信じられないのですね。なら、私が、スーが、信じます。あなたを、あなたの努力を、あなたの全てを』

「……本当か?」

『練習と楽器は絶対に嘘をつきません。本当ですよ』

「……ありがとう」

 それだけ言って楽器体の彼女に体を密着させる。チューバの体はひんやりとしていて、火照った体と頭を癒してくれる。もしかしたら、彼女がこうしたのはこのような意味合いもあったのかもしれない。

 何だか胸の奥が熱い。体の震えも全て無くなった。今なら……いける!

「ありがとうな、二人とも」

 やはり、こいつらに出会えてよかった。俺は一人じゃ何もできないけど、こいつらがいれば何でもできる気がする。当然、これからの演奏も、大丈夫だ。


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