第50話 新郎、全治3ヶ月(ハッピーエンド)
二人の唇が重なった、その瞬間。
セシリアの胸の内で、これまでの人生で味わったことのないほどの、巨大な幸福感が、堰を切ったように溢れ出した。
(――ああ、私、本当に幸せです)
その感情の奔流は、彼女自身の意志では、もはや制御しきれるものではなかった。
長年にわたり、聖女としての務めに追われ、「普通の恋」を夢見ながらも、なかなかそれを叶えられずにいた日々。石畳を粉砕し、上着を引き裂き、幾度となく騒動を巻き起こしながらも、それでも真っ直ぐに想いを伝え続けてきた、これまでの奮闘の日々。
そのすべての想いが、この誓いのキスという瞬間に、一気に凝縮され、爆発的な感動の涙となって、溢れ出したのである。
「――っ」
セシリアの瞳から、大粒の涙が、次々と零れ落ちていった。
そして、その涙の一滴一滴に込められた、彼女の膨大な神聖魔力が、これまでにない規模の輝きとなって、周囲へと解き放たれていった。
*
「――な、なんだ、この光は……!?」
会場中の人々が、突如として溢れ出した、まばゆい光の奔流に、思わず目を細めた。
セシリアの嬉し涙から放出された神聖魔力は、これまでの数々の「愛の暴走」にも匹敵する、いや、それ以上の規模で、会場全体を包み込んでいった。
「せ、聖女様の魔力が――!」
「まさか、この期に及んで、また――!」
四天王たちが、慌てて悲鳴じみた声を上げた。
だが、時すでに遅かった。
「――ドオオオオオオオオン!!」
凄まじい轟音と共に、竜の鱗と聖布で幾重にも補強されていたはずの大聖堂の天井が、まるで薄紙のように、跡形もなく吹き飛んだ。
まばゆい光の柱が、天高く立ち昇る。その光は、遠く離れた街の隅々からも、はっきりと視認できるほどの規模だった。
「わあああああ!」
「て、天井が……!」
会場は、瞬時に大混乱に陥った。だが、幸いにも、両世界の職人たちが総力を挙げて施した衝撃吸収の結界のおかげで、列席していた人々に、直接的な被害が及ぶことはなかった。
*
唯一、その光の直撃を、正面から受けることになったのは――他ならぬ、新郎であるディアボロスだった。
「――ぐああああああああああ!!」
彼は、セシリアの膨大な神聖魔力の奔流を、真正面から受け止めながら、これまでにないほどの衝撃に、全身を貫かれた。
その体は、まばゆい光の中に包まれ、そのまま吹き飛ばされていく。
「デ、ディオ様――もとい、ディアボロス様ぁあああああ!!」
セシリアが、我に返った様子で、悲鳴のような声を上げた。
*
光が収まった後、瓦礫と化した祭壇の中心で、ディアボロスは、満身創痍の姿で、それでも辛うじて意識を保っていた。
彼の礼服は、ほとんど焼け焦げ、ボロボロになっている。だが、その顔には、これまでにないほど、幸せそうな笑みが浮かんでいた。
「――ディアボロス様! ご無事ですか!?」
セシリアが、慌てて彼の元へと駆け寄った。
「あ、ああ……。生きて、いる……。おそらく、全治三ヶ月といったところか」
ディアボロスは、かすれた声で、そう答えた。
「も、申し訳ございません! 私、また力加減を……!」
「いや」
彼は、痛みに顔をしかめながらも、優しい笑みを浮かべた。
「これでいいのだ。貴殿の、このありのままの姿こそが、俺が愛した相手なのだから」
その言葉に、セシリアの瞳から、再び涙が溢れ出した。
「ディアボロス様……」
*
瓦礫と化した大聖堂の跡地に、しかし、これ以上ないほど温かな拍手と歓声が、会場中から沸き起こっていた。
「なんという、規格外な新婚生活の幕開けだ……!」
「まさに、お二人らしい、素晴らしい結婚式でしたな!」
「聖女様、魔王様、末永くお幸せに!」
会場は、天井を失いながらも、これまでにないほどの、温かい祝福の空気に包まれていた。
四天王たちも、涙を流しながら、力の限り拍手を送っている。
「――我が君は、最後の最後まで、身を挺して、この世界に平和と幸福をもたらしてくださった……!」
ガルドスが、なおも、事実とはかけ離れた壮大な物語を、感涙と共に語り続けていた。
*
こうして、世界を揺るがした大聖女セシリアと、不憫な魔王ディアボロスの、波乱に満ちた婚活ラプソディは、新郎の全治三ヶ月の重傷という、いかにもこの物語らしい結末と共に、幕を閉じたのだった。
だが、それは同時に、二人の新たな人生の、始まりでもあった。
人間界と魔界に、真の平和が訪れ、聖女と魔王による、前途多難ながらも、確かな絆に満ちた新婚生活が、これから幕を開けようとしていた。
きっとこれからも、ディアボロスの胃は、休まる暇などないだろう。
だが、それでも――彼の顔には、これまでのどの瞬間よりも、幸せそうな笑みが浮かんでいたのだった。
これにて完結です!
短い物語でしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!




