6.結婚式
季節は流れ、長い冬が終わり春を迎えた。窓から降り注ぐ暖かな日差しを浴びながら、アンナは鏡を覗き込む。
義母であるエミリーが仕立ててくれた花嫁衣裳。あちこちに花の刺繍が刺され、長いトレーンは細やかな刺繍が美しい。手元には庭師のブルックスが用意してくれた、真っ青なブルーベルの花束が握られていた。
「奥様、お綺麗です」
「ありがとう、グレース。どこもおかしくない?」
不安そうな顔をして、アンナはその場でくるりと回る。トレーンが邪魔をして上手く回る事は出来なかったが、グレースは「大丈夫です」と穏やかに微笑んでくれた。
今日、結婚式を終えたらアンナは正式にエリオットの妻となる。そして、グルテール伯爵夫人となるのだ。
この日の為に、アンナは毎日努力を重ねて来た。エミリーの嫌味に耐えながら、テーブルマナーやダンスのレッスン、淑女として必要な教育を受けて来た。たった半年で伯爵夫人として恥ずかしくない立ち居振る舞いが出来るようになるのは大変だったが、エミリーからは何とか合格点を貰えたようだ。
「あとは宝石類ですね」
「そうね。お願い」
グレースは部屋の隅に置いてあった箱を手に取ると、確認させるようにアンナの前に差し出した。中に入っていたのは、エリオットが贈ってくれたペンダントだった。
幸せな結婚を象徴するアクアマリンのペンダント。見た事が無い程大粒の石が飾られ、細やかな銀細工で飾られており、首に掛けるとずっしりと重い。
同じくアクアマリンの耳飾りもエリオットから贈られたようで、グレースはニコニコと微笑みながらそれを差し出していた。
「あら…?」
「どうかした?」
「あの…ティアラが見当たりません」
一際大きな箱を持ち上げたグレースは、顔を青くさせて狼狽えている。どういう事だと肩眉を上げたアンナが箱の中を覗いてみたのだが、グレースが言う通り箱の中身は空っぽだった。
「今朝、お部屋から持ち出す時にはありました。このお部屋に置いた時にも、破損していないか確認しましたが…」
「きちんとあったのね」
現在アンナは式場となる教会の一室を控室として使っている。朝早くからグレースが支度をしてくれていた事は知っているし、優秀な侍女であるグレースがティアラを忘れるなんて事はしないだろう。
「探してきます!」
「待ってグレース。騒ぎになったら大変だわ」
空の箱をじっと見つめながら、アンナはどうすべきか考える。
ティアラはドレスに合わせてオーダーメイドで作ったものだ。銀細工に沢山のダイヤが埋め込まれた美しい物だったが、それが今手元にないとなると大変困る。
「アンナ、良いかしら」
コンコンとノックしながら入って来たエミリーの相手をしている暇は無いのだが、エミリーの顔を見ると文句を言う気にはなれなかった。
「これはどういう事?」
小刻みに震える手で、エミリーは布に包まれた何かをアンナに差し出す。
それを受け取り、布を退かしたグレースは小さな悲鳴を上げた。
「ティアラが…!」
「何ですって」
グレースから布をひったくると、カツンと甲高い音を立てて金属が床に落ちた。
キラキラと輝くダイヤが散りばめられたそれは、無残にも変形し、所々折れているティアラだった。
「どうして…」
「庭の隅に落ちていたそうよ。何があったのか説明なさい」
「申し訳ございません!私の管理がなっておりませんでした!」
勢い良く頭を下げたグレースは、ガタガタと震えている。冷ややかな視線を向けているエミリーの前で、アンナはぎゅっと布を握りしめた。
「何があったのか、説明なさい」
「支度を進めておりましたが、ティアラが無い事に先程気が付きました。グレースが探しに行くと言い始めたところで、お義母様がこれを持って来てくださいました」
震えて声を出す事が出来ないグレースに代わり、アンナが真直ぐにエミリーを見つめながら説明をした。
大きな溜息を吐き、珍しく苛立ちを露わにしているエミリーは、小さな声で「何てこと…」と呟いている。
もうすぐ式が始まるというのに、これはあまりにどうしようも無い事態だ。
どうする、考えろと頭を必死で動かしたが、残念ながらアンナには良い案を考える事は出来なかった。
「…グレース、頭を上げて。貴方のせいじゃないわ」
今日この教会にいるのは、教会関係者と式に参加する家族、そして数名の使用人だけだ。誰がティアラを盗み出し、破壊するなど考えられるだろう。
涙目で顔を上げたグレースの顔は、可哀想になる程青かった。
代わりのティアラなど無い。髪飾りの用意も無い。結い上げただけの髪にベールを掛けただけでは、あまりに質素だろう。
どうにかしなくてはと、アンナは困り顔で部屋の中をぐるりと見回す。探してみたところで都合よく髪飾りなどありはしないのだが、棚の上に置いた花束が目に入った。
「…お義母様、少しだけ時間を稼いでいただけませんか」
「何か案があるの?」
「はい、我が家には素晴らしい人材が揃っておりますから」
にっこりと微笑んだアンナに、エミリーは小さく頷いて部屋を出て行く。きっと上手い事時間を稼いでくれるだろうと確信し、まだ狼狽えているグレースに向き直った。
「大急ぎで支度をするわよ」
無い物を望みはしない。今ある物を上手く使う事には慣れている。花束から一本ブルーベルの花を抜き取ったアンナは、自信たっぷりに微笑んで見せた。
◆◆◆
人生で一度の晴れ舞台。女にとって、人生で一番美しい姿になれるのが結婚式。
今日という日を心待ちにしていた。金で買われたようなものだが、エリオットは結婚式までの間アンナを大切にしてくれた。
式の準備は慣れているからと笑って、忙しいにも関わらず毎日のように支度を手伝ってくれた。
エリオットにとっては四度目の結婚式。四度目ともなれば面倒でしかないだろうに、アンナにとっては初めての結婚式だからと、なるべくアンナのやりたいようにと意見を聞いてくれた。
今朝も「式の前に花嫁の姿を見るのは縁起が悪いから」と言って、律儀に目を閉じて先に屋敷を出て行った。
優しい夫の隣で、この先伯爵夫人として生きていく。頼りない父の腕に掴まりながら、アンナは大きく開かれた扉から、会場へと足を踏み入れた。
大きなステンドグラスの下で、アンナを待っているエリオット。真っ白な衣装に身を包み、穏やかに微笑んでくれていた。
「アンナ…」
「ありがとう、お父様。私は大丈夫だから」
「すまない…本当に、すまない」
うっすらと涙を浮かべている父は、娘が金の為に結婚する事を未だに受け入れられていないようだ。今着ている服も、アンナが着ている花嫁衣裳も、全てグルテール伯爵家が用意したもの。
恩恵を受けておいて、今更「すまない」と謝られた所で、鼻で笑いたくなるだけだった。
「娘を、お願い致します」
アンナをエリオットに託しながら、父は声を震わせる。ちらりと横目で見た客席の母親は、真新しいドレスと見覚えのない宝石にご満悦のようで、嬉しそうにニコニコと微笑んでいた。
「はい、お任せください」
にっこりと微笑み、エリオットはしっかりとアンナの手を取る。
眩しそうに目を細めているが、アンナの頭にティアラが乗っていない事に気が付いたのか、小声で「何かあった?」と聞いて来た。
「素敵でしょう?」
アンナの頭は、グレースが結い上げた髪に数本のブルーベルの花が刺さっている。短く切って差し込んだだけなのだが、何も飾らないよりはマシだろう。
アンナの顔を隠しているベールは繊細で美しく、所々に小粒のダイヤが散りばめられているおかげでみすぼらしくならずに済んだ。
「それでは…神への誓いを」
コホンと小さく咳払いをした司祭の前で、若き夫婦は背筋を正す。
長ったらしい説教は眠くなりそうだが、今自分が身に着けているのは、生まれて初めての自分の為だけに作られたドレスである事を思い出すと、ウキウキとした気分で乗り越えられそうだ。
「誓いのキスを」
司祭は白けた目をエリオットに向けているが、無理もないだろう。一体何度神の前で愛を誓うのかと言いたいのだろうが、エリオットの不義が原因で離縁に至ったわけではない。
そっと上げられたベール。ゆっくりと近付いてくるエリオットの顔。生まれて初めてのキスをするのだと、アンナが目を閉じた時だった。
「お嬢様!」
客席から甲高い悲鳴が上がった。何事だと目を開き声のした方向を見ると、ローラの世話係が何か騒いでいるようだ。
よく見れば、先程まで座っていたローラが床に蹲っている。椅子が邪魔をしてよく分からないが、どうやら苦しそうに胸を抑えて蹲っているらしい。
「う…」
「お嬢様!お気を確かに!」
「ローラ!」
慌てた様子のエミリーが素早くローラの元へ行き、ローラの顔を確認している。すぐに医師を呼ぶように指示を出しているが、他より一段高くなった場所に立っている新郎新婦の二人は、ぽかんとした顔でそれを眺める事しか出来なかった。
まさか大切な結婚式でこんな騒ぎになるなんて。さっきまで元気そうだったじゃないかと少々苛立っているが、体調が悪いのなら仕方が無い。アンナは重たいドレスを引き摺りながら段を降りた。
「ローラさん、大丈夫ですか?」
「苦しい…胸が…」
か細い声で胸が苦しいと訴えるローラは、ふるふると小刻みに震えていた。式に招待していたごく少数の客人たちも、心配そうにローラの様子を伺っていた。
「グレース!」
「はい、奥様」
「暖かい飲み物を用意して。それから毛布を借りてきて。どなたか!ローラさんを静かな場所に運びますからお手伝いをお願い出来ませんか!」
今日の主役、誰よりも美しく着飾り、幸せに包まれる筈だった花嫁がてきぱきと指示を出していく姿に、客人の誰もが目を見張る。
折角の式を台無しにされたと怒りだしても良いだろうに、優しく微笑みながらローラを気遣うその姿に感嘆の声が漏れた。
「ローラさん大丈夫ですよ、すぐにお医者様がいらっしゃいます。ああそうだ、ケリー。貴方お薬は持っていないの?」
体調を崩すのはいつもの事。アンナがグルテール邸に行ってから時々体調を崩して部屋にこもっている事もあったが、その度に世話係のケリーが何か薬を飲ませている事は知っている。
「こ、ここにあります!」
「それは何のお薬?」
「心臓の動きを助けるためのお薬です」
「それではそれをすぐに。お水を…」
騒ぎが起きてすぐに教会関係者たちが動き回ってくれていたようで、シスターの一人がアンナに水を差し出してくれた。それを受け取ると、小さな鞄の中から薬を取り出したケリーがローラの口に薬を入れ、しっかりと水を飲ませる。
きっとこれで大丈夫。少し休ませて、医師が来たらもう安心。
「エリオット…」
アンナの隣で心配そうに眉尻を下げていたエリオットの腕を、ローラの手が弱々しく握る。運んでくれと頼んでいるつもりなのか、ぐったりとした表情でじっと見上げていた。
「あの…誰か、ローラを運んでくれないか!」
流石に結婚式で新郎がいなくなるのは駄目だと思っているのか、エリオットはローラの手を振り払う事まではしなくとも、運んでほしいという視線から逃れるように周囲を見回した。
「姉さん、僕が運ぶよ」
客席で大人しくしていたアンナの弟、ダニエルがそっと近付いてくる。ホッとした顔でダニエルの顔を見上げたエリオットは、「頼むよ」と小さく呟いてローラの手をそっと剥がした。
「お嬢さん、動けますか?」
「え、ええ…貴方は?」
「アンナの弟です。未婚の女性に申し訳ございませんが、緊急時ですのでお許しを」
にこりと微笑み、ダニエルはサッとローラの体を抱き上げる。何するのと悲鳴を上げたローラだったが、倒れてしまった女性を歩かせるわけにはいかないからと微笑むダニエルの腕の中で、暴れる事も出来ずに不服そうな顔をしていた。
「あの、エリオット…ごめんなさい」
騒ぎになってしまったからと、ローラはしおらしく謝っている。だが、エリオットは小さく首を振って「気にしなくて良い」なんて笑っていた。エリオットには謝るのに、こちらには謝らないのねと僅かに呆れたアンナは、客人たちに小さく頭を下げた。
◆◆◆
「申し訳ない!」
深々と頭を下げるエリオットをどう宥めようかと考えながら、アンナは小さく息を吐きながら夫の頭の天辺を見つめる。これから初夜だと思っていたのに、何だかそんな雰囲気ではない。二人揃って寝間着にガウンを羽織っているだけの恰好で、部屋の扉の前で立っていた。
あれから結婚式は再開される事無く、簡単に結婚証明書にサインだけ書いて終わってしまった。なんだか本当に結婚したのかしら?と不思議な気分だが、エリオットのせいでこんな事になったわけではない。
「エリオット様、頭を上げてくださいな。エリオット様は何も悪くないのですから」
「でも…私の従妹の体調不良で式が…」
「それも仕方のない事です」
そうは言ったが、何となく違和感があった。心臓が悪い事は何となく知っているが、その割に顔色が良かったのだ。ローラの様子を伺った時に顔色を見ていたのだが、唇の色が鮮やかだった。口紅を塗っているのかもと思ったのだが、まじまじと見れば口紅を塗っているか塗っていないかくらいは分かる。
「ローラさんの具合はどうですか?」
「今は落ち着いて眠っているらしい」
「そうですか。それなら良かった」
「アンナ…君はなんて優しい人なんだ」
感激しているのか、エリオットは目尻にうっすら涙を溜めている。体調不良は誰にでも起こりうる事。わざとでは無いのだから、責めても仕方ない。それなら最初から責めない方が良い。
「でも、やっぱり折角の式が台無しになってしまったし…女性にとって結婚式は大切なものだろう?」
「それはそうですけれど…」
今更言っても仕方が無い。エリオットはまだ申し訳なさそうな顔をしているが、どうしたら笑ってくれるのだろう。
結婚式までの間、エリオットはアンナをとても大切にしてくれた。生活するのに困らないように気を遣ってくれたし、エミリーの厳しい言葉に苛立っている時は謝りながら愚痴を聞いてくれた。
そろそろ外に出たいだろうからと、時々アンナを連れだしてくれた。町に行った時は必ず二人でブリオッシュを食べた。食べかすがどこにも付いていないか、エミリーに叱られないようにお互いの顔と服を確認し合うのは、楽しい時間となっていた。
「そうですねぇ…エリオット様は私を愛してくださると神に誓いますか?」
「え?ああ…誓うよ」
「では、私もエリオット様を生涯愛し、支えると神に誓います」
にこりと微笑んだアンナは、少し恥ずかしそうにしているエリオットの手を取った。大きくて、少しかさついているその手が、アンナの小さな手をしっかりと握る。
「幸せな家庭を作りましょうね」
穏やかに微笑んだアンナの顔を見つめながら、エリオットは力強く頷いた。四度目の結婚は間違いではなかった、素晴らしい妻を迎えたと思ってもらえるように努力をしよう。
最初の契約通り、跡継ぎとなる子供を産むのは当然の事として、グルテール伯爵夫人として恥ずかしくない女にならなければ。そう心に決めたアンナは、ゆっくりと顔を近付けてくるエリオットを目を閉じて受け入れた。




