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終章 

 あの出来事から三ヶ月。

 これ以上つき合っていられるか! のイェンの一言で、いまだ何かと騒がしいワルサラ国から離れ、たどり着いたのは半年前の旅立ちの時、ワルサラ国を見下ろした〝夕日が見える丘〟だった。


 ここからイェンの瞬間移動で一気にヴルカーンベルクへと移動だ。


 徐々に傾きかけ、沈んでいく夕日が空を雲を、そして小さなワルサラの街を赤く染めていく。

 あの日も今日と同じ夕暮れ時だったことをイヴンは思い出す。

 国を離れる寂しさと、見知らぬ土地へと向かう不安に胸を揺らした。


 でも今は違う。


 どんな待遇で迎えられるかはわからないが、いろいろな事を学び、少しでもヴルカーンベルクのことを理解するよう努力するつもりだ。


 立ち止まっている暇などない。

 ひたすら、前へと進もう。

 イヴンは〝灯〟の時計台に視線を移す。


 時刻はいまだ、十一時五十九分のままだった。

 きっと、いろいろなことが片づき、落ち着きを取り戻したら、新たな時を刻み始めるだろう。


「今回はほんとに大変じゃったの」


 声をかけられ振り返り、さらに視線を落としたそこに、大魔道士パンプーヤがちんまりと立っていた。

 相変わらずぼろ切れをまとった姿だ。


「じじいは何もしてないだろ!」


 そう言ったイェンは露骨に顔をゆがめた。

 何故なら、パンプーヤの右手には杖、左手には剣。


「何じゃその態度は。杖がなくては不便じゃろうと思って、こうして新しいのを用意してやったというのに」


 剣はいたって普通の剣だったが、いかんせん杖の方は以前よりも悪趣味度が増した。


「今度のは白金製じゃ。柄の部分には滑り止め。さらに耐久性抜群じゃぞい」


 杖の形も装飾も、もはや口にするのもためらわれる品のなさであった。


「す、すごい杖ですね」


 イヴンが引きつった声で言う。


「わしゃ道具にはこだわるほうなんじゃ」


「そのぶん、身なりにも気をつかえ」


「ありがたみのわからん奴じゃのう。こんなにもおまえさんのことを気にかけてやっているのに」


「はあ?」


「忘れたか? 八年前、禁忌を犯して始末されそうになったおまえを助けてやったのは何を隠そうこのわしじゃぞい!」


 得意げににんまりと笑うパンプーヤに、イェンはばかばかしいと鼻白む。


「ほんとじゃぞ! 主立ったワルサラ国の重鎮の夢枕に立ってじゃな、おまえはわしの弟子でもあり、未来の大魔道士候補だから命だけは奪うなと伝えたんじゃ。わしの助言と、イヴンくんのちょっとの王族の権限に色がついておまえは救われたんじゃ」


「夢枕……弟子……大魔道士候補……」


 呆然としてパンプーヤの言葉を繰り返すイェンの顔が、徐々に色を失い青ざめていく。


「わかったかな?」


 というわけでほれ、とパンプーヤは再びイェンに杖を押しつけてくる。


「いらねえっつーの! 弟子になった覚えもねえし。大魔道士なんてもってのほかだ」


「二代目パンプーヤじゃぞい?」


「何が二代目パンプーヤだ。パンプーヤはてめえの名前だろうが。なんで俺がそんなふざけた名前を名乗らなきゃなんねえんだよ」


「大魔導士になると、女の子にモテモテじゃ」


「はあ?」


「わしなんか、この年でもまだまだ現役じゃぞい。おまえさんよりも、けいけんほうふじゃ」


 イェンは心底嫌そうに顔をゆがめた。


「くそじじいが、気持ち悪いこと言うな。経験豊富というよりも、無駄に長く生きているだけのことだろ」


 そこへ、、二人の間に頭がそそっと割って入ってくる。


「いやいやいやいやー。兄きにはツェツイーリアちゃんという、かわいい恋人さんがいるから、これ以上モテても困るんですよね」


「ああ?」


 イェンは腕を組み、半眼で頭を見下ろす。

 ちなみにツェツイは、まだお師匠様の側にいたいと泣きながらごねていたところをイェンに説得され、数日前にディナガウスへ戻っていった。

 いつか必ずヴルカーンベルクの〝灯〟へ行きます! と言って。


「おまえも何で、あたりまえのようにここにいるんだよ」


「いやいや。兄きの付き人としてヴルカーンベルクへ一緒に行くって言ったじゃないですか。仲間もそれぞれの道を歩き出したことですし。うむ。兄きもこれから忙しくなるだろうから、身の回りのことはすべてお世話させていただきますぜ」


「そんなこと許可した覚えはねえし、自分のことは自分でできるし、俺は今までとかわらねえし、側にいられるとうっとうしいから消えろ」


「でも俺、実家がヴルカーンベルクなんですよ」


「はあ?」


「それに兄きはイヴンくんの側近としてヴルカーンベルクに宮廷入りするんですよね? だったら、なおさら付き人の一人くらいいてもいいんじゃないですか? あ、次はヴルカーンベルクが舞台の『王子様と落ちこぼれ宮廷魔道士』ですか?」


「……」


「で、話は戻りますが。兄きはツェツイーリアちゃんが大人の女性になるまで待つんですよね? つまりそれは、他の女性とのおつき合いは、今後いっさいなしってことですよね? さんざん遊びまくってきたけど、そういうの、きっぱりやめるんですよね?」


 イェンは片頬をひくつかせ、側にいたイヴンはリプリーと顔を見合わせ、肩を震わせながら笑っている。


「そんなことあたりまえであろう。恋人がいながら他の女性に手をだすなど言語道断。あんな無垢で可愛らしい恋人を泣かせるなど許されないこと!」


 エーファはしたり顔でうなずき、ついっとイェンに顔を寄せる。


「こんなゲス男の何がいいのか私にはさっぱりわからんが、どうやら貴様には女たちをひきつける何かがあるらしい」


 イェンが怪我で療養中、たえず押しかけてきた大勢の女性の見舞客を退けるのに苦労したエーファであった。

 時には夜中にこっそり窓から侵入しようとする者もいたから、油断も隙もあったものではない。

 が、今になって思えば、何故私がそんなことをしなければいけなかったのだ? と思わないでもないが、ツェツイーリアちゃんがこの男の側にいて嬉しそうに笑っていたのだから、まあよしとしよう。


「まあ俺って、このとおり見た目がいいし、俺とつき合ってみたい抱かれたいっていう女はたくさんいるから」


「黙れっ。自分で言うな! というか、そんな付き合い方をして虚しくならないのか?」


「別に? お互い割り切っての遊びの関係だったし」


「貴様はほんとうに最低な男だな。だが、それも今日までだ。これからは他の女と口をきくのも、目を合わせるのもいっさい禁止だ。いいな?」


「それは無茶では……」


「これだけは覚えておけ。ツェツイーリアちゃんを悲しませるような真似をしたら」


 エーファはまなじりを細め、指の関節をぱきぱきと鳴らした。


「わかっているな?」


「ひっ!」


 引きつった悲鳴をあげ、イェンは咄嗟に両手で股間を押さえ込んだ。


「貴様っ! どこを触っている!」


「て、てっきり、俺の大事なところを握りつぶされると思って……」


「ばか者! どうして私が貴様のこ、こ、股間なんぞに触れなければならないんだ!」


「そうかそうか。おまえさんもようやく一人の女性と向き合うことに決めたのか。うむ。あの娘はとっても良い子じゃ。大切にしてやるのだぞ。しかし、大人になるまで待つというのも、それはそれで苦行じゃのう」


 しみじみと言いながら、パンプーヤはイェンの手に杖を握らせた。すかさずイェンはその杖を地面に投げ捨てる。


「おい! どさくさにまぎれて押しつけるな」


「なんてことを!」


「だいたい、あの杖がなくなってせいせいしてんだ。それに何なんだよ、その杖! 先端の灯籠みたいな飾りは!」


「さすが目のつけどころが違うようじゃな。ちなみに、この先端部分は回って光る仕掛けになっておる」


「ふざけんな!」


「そういうおまえこそふざけるんじゃない! おまえの頭の上のニワトリは何じゃ!」


「ニワトリじゃねえ!」


「コケーッ!」


 二人と一羽はしばし、睨み合う。


「ふむ。では、おまえさん専用の次元に送っておいてやろう」


「おい、勝手なこと……!」


 杖の押しつけ合いをする二人を横目に、イヴンはリプリーと向き合った。


「ここでお別れね」


にこりと笑い、右手を差し出してきたリプリーの手に視線を落とす。


「イヴンに会えて本当によかった。大変なこともあったけど、楽しかった」


 ためらった後、リプリーの手を握り返す。 イヴンの胸につきんと、痛みが突き抜けていった。


 結局、リプリーたちは別の手段でヴルカーンベルクへ行くと言い出した。

 ずっと旅をして、ワルサラの国の問題にもつき合ってくれて、本当に大変だったけど、楽しかった。

 いつか来る別れのことも忘れてしまうくらいに。


「僕も……リプリーに会えてよかった」


 それだけを言うのが精一杯だった。

 ちゃんと笑って、ありがとうと言ってお別れをしなければいけないのに。


 イヴンはきつく口を引き結ぶ。

 ふいにリプリーはイヴンの首に手を回し、頬に軽く唇を寄せた。

 そして顔を赤らめ、一歩二歩と後ろへさがる。


「また会いましょう」


 胸の辺りで小さく手を振り、リプリーはくるりと背を向け歩き出す。

 あっさりと去っていくリプリーの背中をじっと見つめ、イヴンは口元を震わせた。


 ぽろりと、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「またなんてないのに」


 杖の押しつけ合いに決着がついたのかイェンが側にやってきた。

 いつの間にかパンプーヤの姿もない。


「何? 泣いてんの? だったら、追いかければ?」


「そんなことできないの知ってるくせに!」


「俺にあたるなよ……」


「コケ……」


 さよならなんて嫌だ。

 ずっとリプリーと一緒にいたい。


 涙をこらえうつむくイヴンの足下に、風にのって一枚の紙切れが飛んできた。

 それはリプリーが本に挟んでいたしおりだった。


 とても大切なものだと言っていた。

 好きな人からの贈り物だと。


 待って、と呼び止めようとしたイヴンの声が途中で飲み込まれる。

 何気なく裏返したしおりに一瞬、心臓が跳ね上がる。

 しおりの中心に押された薄紅色の小さな花。


 この花は、レイラの花のしおり。


「いい加減気づけよな」


 肩を震わせ笑いをこらえるイェンと、手にしたしおりを交互に見てイヴンは目を丸くする。


「まさか! だって……あり得ないよ」


 そう、普通に考えたってあり得ないことだ。


「そのあり得ないことをやって、すっかりおまえの心をつかんじまったってわけだ。女ってほんと怖えよなあ」


「イェンは知っていたの? いつから?」


「最初からに決まってんだろ」


「じゃあ、エーファさんは?」


「代々王家に仕える将軍の娘だ」


「そこまで知っていたの? いつの間に?」


 イェンは両手を頭の後ろで組む。


「おまえが見知らぬ異国へ行くってのに、俺様が下調べも何もしなかったと思うか? 俺はこうみえて気が利く男なんだよ」


「いつ下調べなんかしてたの?」


 よほど驚いたのか、イヴンは口をあんぐりと開ける。


「おまえがあっちに婿入りすると決まってから何度かな」


「確かにイェンならヴルカーンベルク国に一瞬で行けるけど……だけど、それにしたって、そんな気配全然なかったじゃないか」


 毎日飲み歩いてたと思ってたし……と、イヴンはぼそっとつけ加える。


「ちっとも気づかなかったよ」


「遊んでいるようで、いや、実際遊んでるけど、それでも、やることはきっちりやる性質たちなんだ。まあ、あっちのことはいろいろわかったし、おかげでヴルカーンベルク語も完璧に覚えた。読み書きも問題なしだ」


「ええっ!」


「生活するには困ることはねえな。ただ、寒いのが難点だが」


「……」


 しれっと、これから向かう先の国の言葉は覚えたと言うイェンに対し、イヴンはいまだ参考書片手にヴルカーンベルク語に苦戦中だ。


 イヴンは肩を落としため息をつく。

 物覚えは悪くないほうだと思ってはいるが、やっぱりイェンにはかなわない。


「僕なんてこの先不安でしかないのに、イェンはやっぱりすごいよ。でも僕、驚かないよ。いつもおかしなこと言ったり、ふざけたりするイェンだけど、実はものすごく頭がいいってこと知ってるから」


「それは違うな」


「違う?」


 イヴンは首を傾げる。


「頭がいいんじゃなくて、要領がいいだけだ」


 腰に手をあてイェンは得意げに笑う。


「その気になれば、何でもそつなくこなしてしまうところが俺様のすごいところ」


 エーファが聞いたら、この馬鹿、調子にのって、と呆れられてしまうところだろう。しかし、イヴンは違った。


「そんなイェンが、本当に僕と一緒にヴルカーンベルクにまでついてきてくれるなんて、やっぱり信じられないよ」


「なに? まだそんなこと言ってるわけ? なんならここで、おまえの前でひざまづいて忠誠の誓いでもたててやるか?」


「え!」


 と、イヴンは顔を引きつらせ後ずさる。


「僕に忠誠を誓う?」


「そうすれば、おまえも信じてくれるかってことだ」


「ひ、ひざまづいて……?」


「そ、誓ってやってもいいぜ」


「イェンが僕に?」


 ごくりと唾を飲み込んで、イヴンはさらにもう一歩後ずさる。


「他に誰がいるってんだよ」


 というイェンの態度はやっぱり偉そうだ。

 王族であるイヴンのほうがすっかり恐縮してしまっている。

 どちらが主人かわからない。


「い、いいよ」


「なんで?」


「いいから! そんなことしなくていいから!」


「なんだよ遠慮するな。この俺が誓ってやるって言ってんだからありがたく思えばいいだろ?」


「ほんとやめて。イェンが僕にひざまづくとか想像もつかないし、なんか複雑な気分になるし、それに、だいたい偉そうに言うこと?」


 いやいやをしながら首を振って、もう一度視線をあげたイヴンの目に、手を振るリプリーの姿が見え頬を赤らめる。


 手を振るリプリーに応えるように、イヴンもそっと手を振り返した。


「リプリーがヴルカーンベルクの王女様だったなんて」


「気づかないおまえも鈍すぎだ。まあ、はたからおまえらのやりとりを見てて面白かったけどな」


「教えてくれたっていいじゃないか! 僕ずっと悩んで……」


 頬を膨らますイヴンのおでこを、イェンはぴんとはじく。


「痛いよ」


「考えてもみろ、あのりんご女はともかく、あんな色白の旅人なんているか? 何が旅の占い師だ。どう見たってつい最近まで部屋の奥深くで大事に育てられてましたってのがバレバレだろ? そもそも〝灯〟の証を持つ者が〝灯〟を離れるなんて許されねえんだよ」


 でもまあ、とイェンは肩をすくめた。


「気づかねえのも無理ねえな。女の子は成長するとがらりと変わるからね」


 去っていくリプリーの背中にもう一度視線を向けると、いつの間にか数人の兵士と魔道士がリプリーの足下にかしずいていた。


 リプリー、また会えるんだね。


 イヴンの心の声が届いたのか、振り返ったリプリーは人差し指に唇をあて何かを呟いた。

 風の精霊がリプリーの囁きを運んでくれた。


 ヴルカーンベルクの王宮の温室は。

 レイラの花が満開よ。

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