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38 ツェツイとイェン 重なり始める二人の距離と心

 刻を操る術が禁忌といわれる所以。

 それは──


「術者の、おまえの身体に流れる〝刻〟までおかしくなるってことだ。パンプーヤのじじいを見てみろ。


 パンプーヤは刻を自由自在に操る伝説の大魔道士といわれている。

 伝説といわれるからには、偉大な魔道士かと思いきや、女好きのふざけたじじいだ。

 ひょっこりイェンの前に現れ自分の使い古した杖を押しつけていき、その後も気まぐれに現れてはかき乱していく、ろくでもないじじい。


「あのじじい、何百年生きているか、わかったもんじゃねえぞ。おまえもああなりたいのか!」


「お師匠様こそ! そのことを知っていながらあたしのために、それも、二度も刻を戻す術を使いました!」


 二度というのは、ツェツイが〝灯〟の昇格試験を妨害されて試験時間が過ぎてしまったときと、嫌がらせでツェツイの家に火をつけられ崩れそうになったときである。


「あれはだな……!」


「あと少しなんです。本当はお師匠様が眠っている間にと思ったのに、あたしはまだ未熟で、お師匠様のような強い力がないから、ゆっくりとしか刻を戻せなくて。痛い思いをさせてしまってごめんなさい」


「ツェツイ!」


「お願いです。もう話しかけないでください。集中力が途切れます!」


 師匠に向かって話しかけるなとはずいぶんな言い方だが、それだけツェツイも必死だったのだろう。

 やめろと、制するイェンの言葉を遮断するかのように、ツェツイはぎゅっと目をつむり術に意識を傾ける。

 術に意識を集中させたため、急速に刻がさかのぼっていく。

 イェンは半身を起こした。痛みはない。

 レギナルトによって受けた傷はなかったかのように消えた。


「ツェツイもういい。大丈夫だ。もう起き上がれる。傷もこの通りだ。だから、術を解け」


 それでもツェツイは術を解こうとはしない。それどころか、早くお師匠様の傷を元に戻したいという切実な思いのため、おそらくは、イェンの言葉すら耳に届いていないのかもしれない。

 うつむいたままのツェツイの両肩をつかむ。はっとなって顔を上げたツェツイの顔は大きな術を使ったために青ざめ、すっかり血の気が失せていた。


「お師匠様……」


「俺はもう大丈夫だ」


 その言葉を聞いた瞬間、ツェツイはふらりと身体を傾げた。力が抜け、後ろに倒れそうになったツェツイの小さな身体をイェンはしっかりと抱きとめる。


「おまえ、こんなになるまで……」


 イェンの腕の中でくったりしかけたツェツイだが、突然、両手を伸ばし首筋にすがりついてきた。


「行かないで。あそこへ戻ったら、あの魔道士と戦うのですよね。もし、またお師匠様に何かあったら、あたしにはもう何もできないです」


 刻を戻す術で魔力をほぼ使い果たしてしまった。魔力を回復するには時間がかかる。もし、その間に何かあってしまったら……。


「行かないでください」


 それは無理なお願いだということはツェツイもわかっているはず。けれど、言わずにはいられなかったのだろう。

 こぼれ落ちるツェツイの涙をイェンは指先でぬぐいとる。涙に濡れた瞳でツェツイが見つめ返してくる。

 イェンは困ったように眉をよせ苦笑した。

 困惑してしまったのは、ツェツイの無理なお願いにではなく、彼女の表情と自分の気持ちにであった。


「そんな顔するな」


 愛おしい気持ちが込み上げてくる。けれど、それが恋なのか、と聞かれたら、十二歳も年下の小さな子どもに恋愛感情は抱けないと答えるしかない。

 弟子なのだから大切だと思うのとも少し違うような気がして。けれど、腕の中の小さなツェツイが可愛い。

 手放したくない。

 本当なら側においておきたい。

 ずっと、抱きしめていたい。

 こいつのためならどんなことでもできる、と思った。

 イヴンのやつが、ツェツイが大人になるのを待っているんだと言っていたことを思い出す。


 そうだな。

 あと、数年。

 こいつが大人になるのを待ってみるのも、悪くはねえか。


 いつか、ツェツイを一人の女性として見ることが出来る日がくるだろう。

 その時、この気持ちが変わってくるかもしれない。

 乱れたツェツイの髪を指先ですくい、もう一度強く抱きしめた。


「あの? あの……」


 腕の中でうろたえるツェツイに、何も言うなとばかりにイェンはさらに抱きしめる腕に力を込める。

 柔らかくて小さくて、強く抱きしめたら壊してしまいそうで加減がわからない。

 ツェツイの髪に顔をうずめ、イェンは深呼吸する。

 不思議と心が落ち着いていく。


「無茶しやがって。頑固なところも相変わらずだな」


「ごめんなさい……」


 しゅんとうなだれるツェツイの両頬を挟むようにイェンは手を添えた。


「おまえが小っちゃいままじゃ、俺が困るんだよ」


「お師匠様が困る? どうしてですか?」


「俺の側に並び立ちたいんだろ? 大人になっていい女になって俺をもう一度口説くと言っただろ?」


「はい」


「待ってるから」


「待っている?」


「言ってる意味、わからねえか?」


 ツェツイはわからないと首を傾げたが、しだいに大きく目を開く。

 待っていると言ったイェンの言葉の意味をようやく察したのだ。


「もしかして……お師匠様の恋人にしてくださるのですか?」


「おまえが大人になって、それでも気が変わらなかったらな」


「変わるわけないです。絶対に変わるわけが」


「だけど、おまえが大人になる頃には俺はもういい年だぞ? それに、他にいい奴ができたらどうする? 俺の存在が重荷になるかもしれねえ。いいのか?」


「前にも言いました。あたしが好きなのはお師匠様だけです。お師匠様以外の人なんてあり得ません!」


「はは。っていうか、逃がさねえから安心しろ。いや、覚悟しろだな」


 思いもよらないイェンのその言葉に、ツェツイは大きな目に涙を浮かべ、ぽろぽろと泣き出した。


「また泣くのか」


 苦笑してイェンはツェツイの髪を優しくなでた。


「これは嬉し涙です。お師匠様にそう言ってもらえて嬉しくて。信じられなくて。嘘じゃないですよね?」


「ツェツイ、小指だせ」


 言われるがままツェツイは小さな小指をイェンの前に差し出した。その指にイェンは自分の小指を絡ませる。

 きつく結んだ二つの指。

 それは約束のあかし。

 絡めたツェツイの小指を口許に持っていき、イェンは口づけをする。途端、ツェツイは顔を真っ赤にして下を向いてしまった。

 繋いだ小指が熱い。


「嘘じゃねえよ」


「……」


「何で下を向く? 顔あげろ」


「むりです。すみません。恥ずかしくてお師匠様の顔、まともに見られません……」


 ふっと笑って、イェンはツェツイの頬を挟むように手を添え顔を上げさせる。


「今さら何だよ」


 そう言って、イェンはツェツイの頬にちゅっと口づけを落とした。

 かあっと耳まで赤くして、再びうつむいてしまったツェツイの頭をイェンはなでなでする。そして、片腕でツェツイを抱き上げ立ち上がった。


「お師匠様、あたしちゃんと立てます! 降ろしてください。重たいです」


「何言ってんだ。ちっとも重くねえよ。それに、魔力使い果たしてふらふらなんだろ? いいからおとなしくしてろ」


「だけど、お師匠様だって、まだつらいはずです」


「おまえのおかげで、俺はもう大丈夫だ」


 二人は間近で見つめ合う。

 イェンはツェツイのひたいにこつんと自分のひたいをあてた。


「もう泣くな」


「はい」


「それから……」


「はい?」


「ありがとう」


 見つめ合ったまま、ふたりはくすりと同時に笑った。


「行くぞ」


「はい!」


 イェンの声にツェツイは大きくうなずいた。

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