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34 イェンの秘密を知る魔道士

 いったい、どのくらいの間この場に立ちつくしていたのだろう。大きく深呼吸をしてイェンは仲間たちを振り返る。

 誰ひとり欠けることなく、みなそろっていたことにほっと胸をなでおろす。

 こんな状況だというにもかかわらず、双子たちは初めて目にする兄の魔術に目を輝かせ、そのかたわらに立つ父は気難しい顔をしている。

 魔術での決闘もまた〝灯〟の掟に反する。

 〝灯〟の長として気が気ではないはず。それでも止めに入らないということは、この状況が特別な事態だと判断したからであろう。

 気づけば他の〝灯〟の魔道士たちも集まっていた。彼らは一様に、何故あの落ちこぼれ無能魔道士がと驚いた顔をしていた。

 四人組のばかは相変わらずこぶしを振り上げ声援をおくっている。

 エーファは眉を寄せて腕を組んでいた。手助けをしたくても、それができないことに苛立ちを感じている様子だ。

 イヴンの側にいるリプリーは胸のあたりで手を握りしめ今にも泣きそうな顔。そんなリプリーの側にイヴンは寄り添うように立っている。


 大丈夫だ。

 俺を信じろ。


 心の声が届いたのか、イヴンは大きくうなずいた。

 イェンは黒衣の魔道士に向き直る。


「すっかり俺様ひとりの世界に入っちゃったって感じ? こいつがなかったら危うく夢の中であの世行きだったかもな」


 こいつと言ってイェンはパンプーヤの杖を突き出す。

 それにしても幻術に囚われままの状態で殺されていたらと思うとぞっとする。


「正直、幻術まで使うとは驚いたな。仕掛けたのはこのときか?」


 イェンは裂かれた右腕に手をあてる。


「この一撃に幻術を忍ばせていたのか?」


「ええ、その時に術を仕組みました。夢の中で辛い記憶を呼び起こされ、彷徨う気分はいかがでしたか?」


 しれっと相変わらず抑揚のない声で答える魔道士に、趣味が悪いな、とイェンは嫌悪もあらわに眉根を寄せる。


「とはいえ、あなたなら私の幻術ごとき、すぐに破ると信じていましたよ」


 ならば何のために仕掛けてきたというのか?

 その答えをイェンはすぐに知る。


「ちょっとした、時間稼ぎですよ。あなたが夢の中を迷っている間に詠唱は完成しました」


 詠唱は完成した?

 何の詠唱だ、と問い返す間もなく、再び魔道士は攻撃を仕掛けてきた。

 イェンはその攻撃を片っ端から跳ね返す。その繰り返しが幾度となく続いた。けれど、イェンから攻撃を放つことは一度もない。

 みかねたエーファはとうとう腰の剣に手をかける。


「何故だ! 何故、あいつは攻撃をしかけないのだ! もう我慢ができん。私があの魔道士を斬る」


「エーファ!」


 今にも加勢に駆けつけんばかりの勢いで身を乗り出すエーファを、すかさず、リプリーが両手を広げとどめる。


「〝灯〟の掟とやらで身動きがとれないというのなら、この私があいつを叩ききってやる!」


「だめよ、エーファ。無理だわ!」


「そうです、姐さん危険です」


「あんな凶悪な魔道士相手に」


「落ち着いてくださいっス!」


「姐さん……目がやばい……」


「黙れ! この私が見るからにあの貧弱そうな魔道士に遅れをとるとおまえらは思っているのかっ!」


「そうは言ってないですけど……」


「奴の攻撃など、この剣ではじき飛ばしてくれよう。懐に飛び込んで一気に片をつけてやる」


 ちびがほんとこの人短気な人ですねー、とぽつりとこぼす。

 もちろん、エーファに聞こえないようにだ。


「魔道士に立ち向かおうなんて無理ですから」


 しかし、ここで引き下がるエーファではなかった。


「私は武人だ!」


「へ? ぶ、ぶじん? とうとつに何を言い出すんですか? っていうか、いったい、どこの国のぶじんさんですか?」


「旅の用心棒さんじゃなかったんスか?」


「ええい! おまえらごちゃごちゃとうるさい!」


 無茶を言い出したエーファを、慌てて止めに入った四人組だが、反対にエーファの気迫にのまれ、とばっちりをくらいそうで怖いと四人そろっておろおろしている。

 大の男が情けない。


「そうだ! おれっちいいこと思いついたですよ」


「いいこと、だと?」


 それは何だ、とみなの目がいっせいにちびにそそがれる。特にエーファの鋭利な眼差しは猛獣のようだ。


「あにきの魔術で姐さんを援護するですよ」


「何? おまえ、魔術が使えるのか?」


 エーファの鋭い眼光が、今度はきょとんとした顔の頭に向けられた。


「ん? んむ? まあ少々」


「前にあの陰湿魔道士に襲われた時に、あにきの身体から光が放たれておれっちたちを守ってくれたです」


 それは、イェンが彼らに危機が及ぶであろうことを予想して、あらかじめ防御の術を仕込んでいたものだということに四人組は結局気づいていないのだ。


「よし、やれ!」


 本当におまえに魔術が使えるのかと疑問すら持たず、エーファは真剣な目で頭につめ寄る。

 頭は腕を組み、うむとうなずいた。


「わかった。やってみよう」


「あにきの活躍を見た魔道士様たちが、ぜひ〝灯〟に入ってくださいって勧誘にくるかもですねー」


「〝灯〟に入ったら、たくさんお給料もらえるっスね。今度肉おごってくださいっスよ」


「シャトーブリアン……食べてみたい……」


 〝灯〟に入ったばかりの新参者のお給料でそんな高級肉など食べられるわけがない。いや、そもそも灯は勧誘ではなく、試験を受けて入るのだが……まあ、今はそんなことはどうでもいい。

 そして、頭は両足を軽く開いて腰を落とし、尻を突き出すと両手のこぶしを握った。


「何だその見苦しい格好は? もっとスマートにできないのか?」


 頭のおかしな姿にエーファは渋面を作って目を細める。


「これは魔術発動のための……そう、いわばルーティンだ」


「ルーティンって……兄き今まで魔術なんて使ったことないじゃないっスか」


「いくぜ!」


 と威勢のいいかけ声を発し、頭はうーん、とうなり始めた。

 顔面を真っ赤にして唸る頭を子分たちは見守る。しかし、いくら待てども魔術の欠片も表れる気配はない。


「うーむむむ……む! んふぅっ」


 気張りすぎた頭の鼻から、息の抜けた鼻息がもれる。


「何をしている。まだか! 早くしろ!」


 頭の側でエーファが急かす。さらに、お尻を突き出し気張る頭を見たでぶが顔をしかめた。


「いや、待て。もう少しだ。もう少しで何かが……何かがでそうなんだ! んーむっ!」


「もういいっス。踏ん張りすぎて何か違うものがでてきそうでいやっス」


「もう少し……」


「もうよい! ここは、やはり、私が行くしかないようだな」


「ちょっと、待ってください。今ふっと思ったんですけど、よくよく考えてみれば、あにきに頼らずともここに立派な〝灯〟の魔道士様が二人いらっしゃるじゃないですか。それも美少年ですよ! 双子の美少年!」


 そう言って、ちびは側にいたノイとアルトをみやる。


「俺たちか?」


 そうそう、とちびは首を縦に振る。


「お二方の魔術で姐さんを援護してくださいです」


「ことわるぜ」


「ええー! どうしてですか?」


「魔術の心得のない一般人を巻き込むことはできないからな」


「あの敵の魔道士強いぞ。俺たちだってかなうかどうかだな」


 横でアホなやりとりをやっている四人組を尻目に、イヴンは剣の柄を握りしめるエーファの手にそっと手を重ね、ゆっくりと首を左右に振った。

 くっ、とエーファは喉を鳴らし悔しげに顔をゆがめた。

 本当はエーファとてわかっているはずだ。

 魔道士の戦いに魔道の心得がない者が踏み込むことがどれだけ危険なことかを。

 エーファは一度だけ目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。

 手にかけた剣を離し、代わりにその手を強く握りしめる。


「だが、これではいつまでたっても、らちがあかないぞ」


 駆られる激情を胸のうちにとどめるような、そんな低く静かな声だった。



 ◇



 らちがあかない。


 いや、そうではない。

 イェンは相手の攻撃すべてに神経を研ぎ澄ませ注意を払い続けた。

 魔道士は詠唱が完成したと言っていた。

 何の詠唱かはわからない。だが、相手はその切り札を放つ決定的な瞬間を狙っている。

 それを見逃すわけにはいかない。

 傷の痛みに顔をゆがめ、右腕に手をあてる。

 傷口が熱く脈を打ち、ひたいにじっとりと汗が浮きあがる。

 ふいに魔道士の攻撃がとまった。

 ゆっくりとイェンに歩み寄り、少し離れたところで足をとめる。

 二人の間に落ちる静寂。

 張りつめた緊張感。

 見物人たちのざわめきが、まるで波が引いていくように遠のいていく。


「何? 話し合いをする気になったとか?」


 最初に口を開いたのはイェンの方だった。

 だが魔道士の次の言葉に、イェンは警戒心をさらに強めることとなる。


「失ってしまった回復魔術を取り戻せたらと思ったことはありませんか」


 イェンは眉間を寄せ、目を鋭くこらして相手を見る。あきらかにその話題に触れることを嫌がる様子であった。


「傷ついた肉体を再生し、失った血を取り戻し、精神をもとの状態に回復する高位魔術をあなたは使えたはず」


 目深にフードをかぶっているため相変わらず相手の表情はわからない。けれど、突き刺さる強い視線を感じる。


「あなたはもっとも得意としていた回復魔術を」


 魔道士はいったん言葉を切り、声をひそめて続けた。


「使いたくても、使うことができない」


 イェンは口を閉ざし黙り込む。

 無意識のうちに傷口にあてていた手に力がこもる。じわりとにじむ血が、指のすき間から伝い流れ落ちた。


「あの魔道士は何と言っているのだっ!」


 遠くで、何も聞こえない、とエーファは焦れた声を上げた。

 魔道士はさらに声を低くする。

 その声はイェンにしか聞き取れない密かな声だった。


「私はすべて、この目で見たと言ったでしょう? あの日の出来事にはさらに続きがあった。そう、水は枯れ作物も実らず、あまつさえ、他国の援助も受けることができず、照りつける太陽のした、人々は苦しみもがき絶命していった。そう、あなたの大切な王子も例外ではなかった……」


 魔道士はわずかに顔を傾け、離れた所で立つイヴンをちらりと見る。


「そう、あの王子は命を落としかけたのではなく、本当に息絶えたのだから」


 魔道士は一呼吸おいて、イェンの様子をうかがう。


「そして、あなたは禁忌の術で、王子の魂を呼び戻してしまった。信じられないことに」


 イェンはゆっくりと息をついた。何もかも、最初から最後まで、あの日のことを見られていた。


「心も身体も何一つ欠けることのない、完璧な蘇りの術」


「俺に不完全はねえからな」


「しかし、大罪をおかしたあなたに与えられた罰は、二度と再び同じ過ちをおかさないよう、もっとも得意としていた回復系の術を〝灯〟によって封じられた。さらに他者からの回復魔術も受けつけない術をその身体に刻まれた。魔道士にとって魔術を奪われるというのは、どんな気持ちなのでしょう?」


「そりゃ、背中がかゆくてたまらないのにどうしても手が届かないって感じだな」


 ふざけた口調のなかににじむ、痛みをともなった声の響き。

 得意としていた回復魔術を、思い出したくても思い出せない苛立たしさもどかしさ。喉まででかかる詠唱が唱えられない苦しさに、何度、頭を抱え叫び、もがいただろう。

 願うだけでどんな大技も繰り出せるのに、どんなに強く願っても封じられたものは取り戻すことはできない。


「あの王子様は知っているのですか?」


 その問いかけにイェンは答えなかった。それを肯定の意味だと相手は受け止めたらしい。


「残酷ですね。王子を失いたくないというあなたの勝手でこの世の摂理をくつがえし王子を蘇らせた。が、その大きすぎる代償を背負うことになったあなたに、王子は責任を感じ深く心を痛めている」


 痛いところをついてくる、とイェンは苦い笑いを刻む。

 だけどただ一つ言えることは。


「過去の罪をさらされたところで俺はそのことを悔いていない。生き返えちまったってことはあいつはまだあの時、死ぬ運命じゃなかったってことだ」


 イェンは心の中で笑った。


 ずいぶんと都合のいい解釈だ。けれど、それでもあいつがこの先も笑って生きていて欲しいと俺は願っている。


「それはそうと、話ついでにもうこんな争いはやめにしないか? 俺を打ち負かしたいのなら傷を負った時点で俺の負けだ」


 勝ち負けなど関係ない。

 こいつと戦うことが目的ではない。


「どんな事情があるのかは知らねえ。あんたほどの使い手がなんであんな奴に従うのかもな」


 あんな奴と言って、イェンはヨアンをちらりと見る。


「いいえ、あなたはまだ本気を出していない。一度も攻撃を仕掛けてこない。戦いもせず負けを認めるとは私を侮っているのですか?」


 そんなつもりはねえよ、とイェンは肩をすくめ、魔道士の杖を見遣る。


「けど、その杖に仕込んだ術もあらかた使い尽くしただろう?」


 もはや相手の攻撃は意表をつく仕掛けもなく、一度放った攻撃を順序を変え、繰り返すだけの単調なものになってきた。

 だが……。


 詠唱は完成したと言った相手の切り札は何だ?

 いつ仕掛ける気だ?

 やつは何をしようとしている?


「どんなに攻撃を仕掛けても、もう俺には通用しねえ。終わりだ。あきらめろ。あんたらの望みは叶わない。なあ、レギナルト」


 名を呼ばれ、レギナルトはわずかに反応を示した。

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