26 過去 - 罪 -
いろいろ真実もあきらかになり、へっぽこ魔道士の汚名も返上することができた。もっとも、へっぽこだろうが何だろうが、誰にどう思われようと、もともと気にもしていなかったが。
宿の部屋に戻ったイェンは窓辺に腰を下ろして片膝をたて、何を見るわけでもなくただぼんやりと外の景色に視線を向けていた。
今日は早々にベッドに入って眠ってしまおうとシャツを脱ぎかけたが、やはり、どうにも眠れる様子でもない。
いつの間にか雪もやみ、空には凍える月。
淡い月明かりが、どこか憂いに沈むイェンの端整な顔を照らす。
手にした酒瓶をじかに口をつけぐいっとあおると、イェンは静かにまぶたを閉じた。
◇・◇・◇・◇
陽の光など一切射し込むことのない暗い地下牢の一角に、イェンは囚われていた。
〝灯〟のどこかに罪を犯した魔道士を捕らえるための牢があると噂には聞いていたが、本当に存在したのだと、人ごとのように感心する。
よく悪戯をして反省室に入れられたことは何度かあったが、ここはそんな生やさしいところではないと、足を踏み入れてすぐに理解する。
身体中にぴりぴりと突き刺す痛みはおそらく魔術を抑制する術が辺りに張り巡らされているのだろう。そして、地下牢へと続く入り口は、厳重な術をかけて封印されているに違いない。
誰も近寄ることができないよう、そして、罪人を逃さないため。
きっと、もう陽の光など見ることはできないだろう。
イヴンのやつ、どうしってかな。
めそめそ泣いてなきゃいいけど。
あいつ、泣き虫だし甘えん坊だし。
赤ん坊の時から面倒みてきてやったけど、少し甘やかしすぎたかもしれないな。
もう、側にいてやることはできない。
何があっても、守ってあげることも……。
でも、弟たちがいるから寂しくないよな。
俺がいなくても、これからは。
「イェン、おまえのおかげでこのワルサラ国は未曾有の大危機から救われた。多くの者の命がおまえの術で救われた」
ふと、父の言葉が耳に飛び込み我に返る。
父の手にくしゃりと頭をなでられ、くすぐったい気持ちになる。
「父親として、おまえを誇りに思う」
父の褒め言葉が素直に嬉しいと思った。
だが、手放しに喜んでいい状況でないのはわかっている。
「しかし、おまえは魔道士として、もっともやってはいけないことをしてしまった。死者を……」
そこまで言って、いや、と父が首を振る。
「わかっているね、イェン」
父がしゃがみ込み目線をあわせて、のぞき込んできた。
その目は何故、あんなことをしてしまったのだと問いつめる目であった。
悲しそうな父の目を見るのが辛くて、イェンは視線をそらし、自分の足下をじっと見つめた。
沈黙がしんとした空間に落ちる。
「あいつを、失いたくなかったから。ただ、それだけ」
ややあって、イェンはぽつりと父の問いかけに答えた。
左右に垂らしていた手を父につかみとられ、両手首を握りしめられる。反射的に手を引っ込めかけたが、父はそれを許してはくれなかった。
一瞬、イェンの顔に悲痛な色が過ぎった。
「イェン、私は〝灯〟の長として、おまえを罰しなければならない」
そう告げる父の表情はすでに父の顔ではなく、それは〝灯〟の最高責任者である長のものであった。
痛切な父の声とともに、つかまれた手首に魔術でほどこされた手錠がかけられた。
締めつけられる強い痛みにイェンは顔をゆがめた。
視線を落としたまま、ぎりっと奥歯をかむ。
〝灯〟の禁忌に触れ、大罪を犯した魔道士は〝灯〟の厳しい掟によって罰せられる。
一生、陽の当たることのない暗いこの地下牢に囚われ続けるか、最悪の場合、存在そのものを消されてしまう。
それが普通の人間と違う能力を身につけたがための宿命だ。
イェンはかけられた手錠に視線を落とす。
ほんとうは、こんなものなど簡単に解除することができた。多分、その気になればここから逃げ出すことも可能だ。けれど、そうしなかったのは、きちんと自分のとった行動に対して罪を償うつもりだったから。
もとより、その覚悟はしていた。
後悔はしていない。
立ち上がった父につられて顔を上げるが、厳しい目で見下ろされイェンは再びうつむく。
「最悪の結果にだけはならないよう、努力はしてみるつもりだよ」
それは気休めの言葉にすぎない。
もう、自分の運命は決まっているようなものだ。
うなずきかけたその時、遠くから自分の名を呼ぶイヴンの声が牢中に反響した。
「イェンどこ? ねえ、イェン! イェン!」
必死な声で自分の名前を叫びながら、近づいてくる足音。
やがて、顔をぐちゃぐちゃにして鼻水を垂らしながらイヴンが地下牢へと飛び込んできた。
「何故、ここへ……」
一番驚いていたのは父の方だった。
〝灯〟の人間の中でも一部の者しか知らない地下牢を〝灯〟とはまったく無関係のイヴンが、何故知り得ることができたのか。
ああ、とイヴンが両手に抱えているそれを見てイェンは納得する。
イヴンの手に握られているのははパンプーヤの剣。
その剣が淡い光を放って、暗い地下牢を仄かに照らしていた。
剣は杖と一対となす。それは持ち主にも共通する。どんなに離れても互いを見失うことなく、呼び合い引きつけ合う。そして、大魔道士の魔力が込められた剣ならば、封印している地下牢の術など容易く突破できるだろう。
「いけません。イヴン様のようなお方がこのような場所へ来るなど」
しかし、イヴンは聞いてはいなかった。
イェンの姿を見つけるなりイヴンは、狼狽する父の脇をすり抜け、さらにあろうことか大魔道士パンプーヤの剣を放り投げ、両手を伸ばしイェンにしがみついてきた。
「やっと見つけたよイェン!」
さらにイヴンはイェンの手錠のかけられた手に水筒を押しつける。
「お水だよ。イェンだってずっとお水のんでないんでしょう? のんでよイェン」
「おまえ……」
「雨を降らせてこの国をききから救ったイェンが、どうして牢屋にとじこめられなきゃいけないの? 国のみんなはお水がのめるってすごく喜んでいたよ! 奇跡の雨だってみんなすごく喜んでいるんだ。奇跡でも何でもないのに。ほんとうはイェンのおかげなのに。たくさんの人が救われたんだよ。みんなイェンに感謝しなくちゃいけないのに。なのに、どうして?」
イェンは口許にかすかな笑みを浮かべた。
そうか……死にかけたこの国は救われたか。
それに、おまえも無事みたいだな。
元気な姿を見ることができてよかったよ。
なら、もう思い残すこともないな。
「でもな、俺は魔道士としていけないことをしちまったから。まあ〝灯〟にもいろいろ決まりってもんがあってだな」
「いやだ! 僕の側からいなくなっちゃうなんていやだから。僕がぜったいにイェンを助けるから。王族のけんげんを使ってでもイェンを助けるから。僕がずっとイェンのそばにいるから。僕がイェンを守るから!」
「権限って、がきのくせにそんな言葉どこで覚えたんだよ」
イェンの服を涙と鼻水で汚してイヴンは泣きすがる。
「イェンお家に帰ろう? アリーセさんもノイもアルトもイェンの帰りをずっと待ってるよ。アリーセさんなんか、イェンがしばらく姿をみせないから、こんな時にどこほっつき歩いてんだってすごく怒ってるよ。帰ってきたらお仕置きだって」
「お仕置き……はは、だったら、なおさら家に帰りたくなくなったな。マジ切れしたアリーセはほんと怖えから」
「イェン!」
「と、とにかく泣くな。何だよその顔、汚ねえな。離れろ」
「いやだ、離れない! イェンがいないと僕は生きていけない。イェンは僕の大切な人なんだ。ここでイェンを救うことができないのなら、僕は王族として失格なんだ」
「失格って、意味わかんねえよ」
「だから、僕のそばにずっといて。ずっと、ずっと」
イェンは暗い天井を見上げ照れた笑いを浮かべる。ふうっと一息つき、手錠に繋がったままの手でイヴンの頭をなでた。
「おまえが女の子だったら。一発で参っちまうとこだな」
あはは、と笑ってイェンは父を見上げた。
その目に宿るのは挑戦的な光。口の端に不適な笑みを刻み、イェンは両手を目の高さまで持ち上げた。
かけられた魔術の手錠が光をはじいて砕けた。
たいして驚いた様子もなく父が呆れたように首を振った。
大魔道士の杖を使いこなし、天候をも操る魔道士に、たとえ最高位の魔道士といえども、かなうわけがないのだ。
そして、イェンはイヴンから手渡された水筒に口をつける。
喉を通り過ぎていく冷たい水に、思わず涙がでそうになった。
くそっ……! 泣いてる場合じゃねえぞ。
「わりい、親父。俺、やっぱりあきらめきれねえや。こいつを守るためなら何だってする。こんなところで……死ぬつもりはない」
イェンはその場に膝をつき、長に深く頭を下げた。
「だから、どうか、俺を……」




