27 エーファ、イェンに口説かれる
そんなことを思い出しながら、イェンは笑って再び酒瓶に口をつけた。
その時、遠慮がちに扉を叩く音が聞こえ視線を扉の方に向ける。ややあって、静かに扉が開き、エーファが顔をのぞかせた。
「何?」
「忘れ物を届けにきただけだ」
愛想のない口調で強引にヤンを押しつけられる。ヤンは嬉しそうに羽を広げイェンの頭へと乗った。
「宿の廊下で迷子になって鳴いていた。ちゃんと面倒をみろ」
「ああ……」
「それと」
「まだ何か用?」
「助けてもらったこと、礼を言う! あの子を、リプリーを救ってくれて感謝している。もしも、あの子を失ってしまったらと思うと……」
考えるだけでも恐ろしい、とエーファは強く自分の肩口を両手で抱いた。
「そうだな……」
視線を斜めにそらしてイェンは苦い表情を浮かべた。その整った顔立ちに暗い影が落ちる。エーファは怪訝そうに眉根を寄せた。
「だが、貴様にたいする見方は変わらない。私は貴様が嫌いだ。それに、大技しか使えない魔道士など役にもたたないのと同じ。しょせん、貴様はへっぽこ」
辛辣なエーファの言葉にイェンは何も答えず、ただじっと相手の目を見つめ返すだけであった。
もの音ひとつない夜の静寂。
淡い月の光が部屋を仄かに照らし、窓の外、緩やかな風にもてあそばれる木々が白い壁に揺れて影をつくる。
何か言い返してくるだろうと身がまえていたエーファであったが、相手の予想外の反応に少々、面をくらったようだ。しばし、互いに会話を交わすことなく見つめ合う。しだいにエーファの顔に戸惑いの色があらわれた。
落ち着かなげに瞳を揺らし、すっとイェンから視線を外す。
「それだけだ」
と、言い捨て、くるりと身をひるがえし大股で扉に向かって歩き出す。
取っ手に手をかけ手前に開きかけたその扉を、歩み寄ってきたイェンが背後から押さえつけた。
エーファは小さく息を飲む。
イェンはベッドにおろしたヤンをかえり見て、口許に人差し指をあてふっと息を吹きかけた。途端、ヤンはすやすやと身を丸めて眠り込んでしまった。
「何のつもりだ。私は部屋に戻る」
怒り。否、かすかに怯えの混じったエーファの低い声。
触れあうか合わないかの距離に、エーファの身体が緊張に強張っているのが感じとれる。
「その手をどけろ……」
跳ね返す声もどこか弱々しい。
「いやだと言ったら?」
見れば扉の取っ手にかけられたエーファの手が小刻みに震えていた。
イェンはくすりと笑い、扉に添えていた手をゆっくりと落としエーファの手に重ねた。
「俺のこと意識しちゃってる?」
「誰が貴様になど……」
「男慣れしてないのが丸わかりなんだよね。いつも俺に食ってかかってきたあの勢いはどうしたの? エーファ」
背後からエーファの耳元でその名をささやく。エーファは首をすくめ、身をかたくさせた。
「俺にすがりついて泣いた時のあんたの顔、可愛かったよ」
「言うな! あの時はひどく混乱していた。そうでなければ、誰が」
貴様のような男にすがりついて泣いてしまったことが恥だというようにエーファは吐き捨てる。
「俺はあんたのこと嫌いじゃない」
「私は嫌いだ! 大嫌いだ」
「今度は俺の腕の中で泣いてみる?」
「な……」
エーファは振り返り右手を振り上げた。平手打ちを放とうとしたその手を難なくイェンはつかみ取りそのまま扉に押さえつける。さらに、すかさずもう片方の手をあげたエーファの手首も同様につかんで押しつける。
両手首を扉に押さえつけられ抗い身動ぐエーファだが、逃れられないことを知って表情を強張らせる。そんなエーファの顔を間近にのぞき込み、イェンは口許に薄い笑みを浮かべた。
「振り解けないだろ? これでも、男だから」
「貴様っ!」
凄まじい目で睨みつけてるエーファの脚と脚の間に、イェンはすかさず自分の片脚を割り込ませた。
エーファの目が大きく見開かれる。
「何をっ!」
「膝蹴り食らわされたらたまらねえからな。あんたならやりかねない。だけどこれで、身動きもとれなくなった。さあ、どうする?」
互いの身体の熱を感じ取れるほどの至近距離。エーファの視線がシャツのはだけたイェンの筋肉質な胸元にいき、かっと頬を赤らめた。目のやり場に困ったのか、ひたすら視線を泳がせる。
「意外だった? 魔術って、集中力もそうだけど、けっこう体力も使うんだよね。だから、こう見えても鍛えてんの」
「離れろ……」
「口説くけどいい?」
「断る。私は離れろと言った」
「ちょうど寂しいなって思ってたとこだったんだ」
「ふん、女なら誰でもいいというわけか。相変わらず、節操のない最低男だな」
「それ誤解。誰でもいいってわけじゃない。俺、あんたに興味があるし」
「無理矢理、この私をどうこうするつもりか?」
「無理矢理がいやだから、口説こうとしてんだけど」
「ツェツイーリアちゃんはどうするのだ。貴様の恋人なのだろう?」
「ああ……あいつはもちろん大切だし可愛いし、いつだって笑っていて欲しい。何があっても守ってやりたいと思うしそのつもりだけど、恋人じゃない」
「そこまで言っておきながら恋人ではないと言い切るのか? イヴンが言っていたぞ。彼女が大人になるまで待っているのだと」
イェンはため息をついて肩をすくめた。
「あいつが年頃になった時には、俺はいい年したおっさんだよ。はなから釣り合うわけないだろ」
エーファはぎりっと歯を鳴らした。
「だからといって、こんなことをして許されると思っているのか!」
「やっぱりだめ?」
「あたりまえだ! 何故、この私が貴様の相手をしなければならない! 女が誰でも貴様になびくと思ったら大間違いだ。いいから、この手を離せ。足をどけろ」
「そう。じゃあ、卑怯かもしれないけど、あんたが断り切れない状況に追いつめちゃおうかな」
「断り切れない状況だと?」
そう、と言ってイェンは意地の悪い笑みを刻み目を細める。
「あの時」
扉に押しつけていたエーファの手首を解き、イェンの手が相手の頬に添えられた。
「雪山で、あんた俺に何でもするって、泣きながら言ったよな。俺にそんなこと言っちゃっていいのって、念を押したけど」
エーファははっとした表情をする。
「言ったよね?」
「言った……」
強張っていたエーファの身体から力が抜けていくのがわかった。
受け入れたのではない。あきらめたのだ。
「好きにしろ」
「ほんとにいいんだ?」
「そのかわり、さっさと済ませろ」
「さっさと済ませろとは色気ないな」
言って、イェンはエーファの頬を指先でなぞる。
「優しくするよ。これ以上はないってくらい優しく」
エーファの耳元に唇を近づけ、甘い言葉を綴っていく。
イェンの吐息がエーファの首筋をくすぐった。エーファは引きつった悲鳴を上げ、何度もいや、と小さく首を横に振る。そのエーファのあごに指先をかけ上向かせると、イェンは震えるエーファの唇に自分の唇を近づけていく。
「怖い? 安心して。俺、めちゃくちゃうまいから」
あとわずかで互いの唇が重なろうとしたその刹那、エーファは解かれた手を前に突き出しイェンの身体を突っぱねた。
「やめ……やめて! やっぱりいやだ! どうして好きでもない男に……貴様のような最低男に!」
しかし、突然イェンはぷっと吹き出す。
「あれ? 何? 本気にしちゃった?」
「……」
「あんたがさ、俺のこと嫌い嫌いっていうから、つい、意地悪したくなってからかってみたっていうか。はは、冗談に決まってんだろ。冗談。約束したからって、好きでもない俺に抱かれるつもりだったのか? あんた生真面目すぎ。まあ、これに懲りたら男に何でもするなんて言葉は言わねえことだな。覚えておけ。だいいち俺、その気もない女抱く趣味はない……って、いて!」
やにわに、鋭い平手が頬に飛んできた。
「私をからかって何がおもしろい! 貴様がイヴンの連れでなかったら、リプリーを助けてくれた恩人でなかったら、貴様を半殺しにしてやるところだ! これで今のことは忘れてやる! 二度とこんな真似はするな!」
そう吐き捨てると、きびすを返し去っていってしまった。
イェンは切れた唇からにじむ血を親指で拭い舐めた。
ふっと笑って肩をすくめる。
「本気で叩きやがった。ちょっと、脅かしすぎたか」




