第1話 君が待ってるから
街から歩いて1時間はかかる山岳エリア。
その森の中の、単なる窪みのような狭い小径を歩いていた。
感覚的には、森に入って3時間くらい、というところだろうか。
いつも一緒に行動するパートナー・村尾さんは、今日は家の掃除をしたいということで、自分一人での討伐ミッションだ。
街のギルドから受けた依頼は、『ビッグファング10頭の討伐』。
ビッグファングは、元の世界で言うとオオカミに似ているが、体長が2メートルくらいと格段に大きく、口元から覗く大きな牙が特徴だ。倒すと『魔石』という物体を残すので、『魔獣』に分類される。
大体4~5頭の集団で行動しているが、囲まれないように広い場所で戦えば討伐はそれほど難しくない。
今日も朝から3回遭遇し、それぞれ順調に討伐完了。
本日の目的だったギルドからのこの依頼は、早々に達成した。
ここで引き返してもいいわけだが、思ったより早い時間に達成できたため、引き受けていたもう一つの依頼『ブルーベアの討伐』をこなすべく、自分は森の奥の狭い小径へと分け入っていた。
◇◇◇
ブルーベアは元の世界のヒグマに似ているが、やはり大きさが違う。
立ち上がった高さは4メートルくらいだろうか。
初めて見たときは、この巨大な怪物と戦うなどという発想は全く持てなかった。
『魔獣』に共通する特徴、人間を検知すると無条件に攻撃してくる性質があり、極めて危険な生物だ。
一方、倒して得られる魔石と素材は大きな需要があるようで、ギルドでも恒常的に討伐依頼が出ている。
今は自分にとってこれは大きな収入源で、村尾さんとの暮らしの基盤になっている。
歩いていればそのうち出てくるビッグファングと違い、ブルーベアはかなり森の奥まで入り込まないと出会えない。
もはや小径とも言えない狭路を、体を縮めるように屈んで足早に進む。
時々足元をウサギのようなものが駆け抜けていく。
これもホーンラビットという魔獣で、素材はそれなりに需要があるのだが、今は無視だ。
やがて、そろそろ帰り道を覚えているか不安になり始めた頃、4~5メートル先、背の高い前方の草むらが大きく左右に揺れた。
ガサッ
何か大きなものがいる音とともに、黒い壁のような巨体が急に現れた。
やや青みを帯びた黒色。
来た。
ブルーベアだ。
丸1日歩いて出会えないことも普通にあるので、今日はかなり運がいいと言っていいだろう。
右手で腰の剣の柄を握り、グッと腰を落として慎重に接近する。
発見されれば必ず攻撃してくる魔獣なので、とりあえず逃げられるという心配はない。
ブルーベアがズンズンと、無造作に近づいてきた。
おもむろに右腕を頭の上まで振り上げる。
グオォォォ!!―――
雄叫びとともに、上げた腕を強く振り下ろしてきた。
一撃で大方の生き物は死んでしまう破壊力。
だが、初撃はほぼいつもこの動きなので、慣れてくると対応はしやすい。
タイミングを合わせて懐へ飛び込み、ブルーベアの振り下ろしをステップでかわすと、
剣を抜きざまに横斬り一撃
続けて上段から斬り下ろしの一撃――
間を置かずステップバックで距離を取り直し、剣を鞘に納めて再び腰を落とす。
確かな手応えがあった。
ここで、視界の右上に小さく、『ブルーベア Lv69』の文字と、その下にHPゲージが表示される。
今の攻撃でゲージは左方向へスーッと減っていくが、4分の1が減った程度で止まった。
(やはり無理か……これだけじゃ)
素の剣技だけで倒してみたかったが、まだ難しいようだ。
十字の斬撃を浴びたブルーベアは、出鼻を叩かれて態勢がまだ整っていない。
決めるなら今だろう。
精神集中し、『ダブル・スマッシュ』と強く念じる。
眼前に透明に近いパネルのようなものが広がり、映し出されたステータス画面の右端、『スキル』の欄の『ダブル・スマッシュ』の文字が明るく光る。
同時に、剣と、それを握る右手に、力が集まるのを感じる。
スキルが発動されたサインだ。
(今だ!)
まだ立ち直れていないブルーベアに正面から接近すると、スキルの支援を強く感じながら、振り抜く。
抜きざまに横に一閃、続けて上段から縦に一閃――
先ほどとは比較にならない手応えだった。
ブルーベアの後方の草むらに、斬撃の十字と同じ形の十字の血飛沫が、パッと貼り付く。
剣撃はクリーンヒットし、ブルーベアの体を十字に貫通したようだ。
この世界に来た時に与えられていた剣は、軽量だが切れ味が鋭い。
視界右上のHPゲージがみるみる減り、左端まで減ったところでフッと消える。
同時に『ブルーベア Lv69』の表示も消えた。
画面全体が一瞬強めに光り、何かがアイテムとして獲得できたことを示す。
おそらく魔石だろう。
ここにきて、フーッと一息つく。
構えを解いてブルーベアの亡骸に近づき、右手をかざす。
するとブルーベアの体が銀色の粒子のように砕けて徐々に消えてゆき、やがてそこに何も無くなる。
『コンテナ』と呼ばれる場所に収納されたのだ。
ブルーベアの討伐依頼は、これで完了した。
今日の予定ミッションはこれですべて終わりだ。
あとは村尾さんが待つ我が家に帰るだけ。
(そうだ。お弁当貰ってたっけ)
村尾さんお手製のお弁当。
じっくり味わうべく、落ち着いて昼食ができる場所を探しながら、帰途に就くことにした。
◇◇◇
今から4ヵ月前、高校2年の5月、学校のキャンプ合宿にて、自分たちのクラスは全員、この世界に転移させられてしまった。
そしてその直後に、自分・相良恭也とクラスメイトの村尾文香さんは仲間とはぐれ、それ以来、帰還のための情報を探しながら、この世界で二人で暮らしている。
彼女は以前から、ある出来事を通して、自分にとって少し意味を持ったクラスメイトでもあった。
※※※
帰宅には、討伐エリアと街をつなぐ街道を歩くことになる。
街まであと5分程度というところで街道を右に外れ、畑の間の小径に入る。2~3百メートル進んだところの林を抜けると、古びてはいるが、農家の家らしく十分に広い、しっかりした造りの家が見えてくる。この家が、自分と村尾さんが二人で暮らしている借家だ。
家が視界に入ると、単独での討伐ミッションをとても心配していた村尾さんの不安顔が脳裏に浮かび、家へと向かう足が自然と早まる。
家の敷地に入ると、大げさ過ぎて全く使わない正面入り口をスルーして、右手の勝手口の前まで進む。脇に置いてある桶の水で手を洗ったあと、桶の縁にかけてある布で手を拭いた。
ひとつ深呼吸して、自然に自然に、と気持ちを落ち着かせる。
軽くノックして、
「ただいま」
と中に向かって声をかけた。
少し間があって、
「あ。おかえりなさい!」
と村尾さんの声が、中から聞こえた。
嬉しそうな声に感じるのは気のせいだろうが、それでもひとつ安心する。
中からトタトタと足音が近づき、ガタンとドアが開かれた。
今朝がたぶりに見る、村尾さんだ。
「―――」
色白の肌と、若草色が混じったような淡い瞳。
肩まである髪も色味が薄めで、光の加減では紫がかって見える。
今日はそれを後ろでラフに二つに束ね、紺のワンピースにベージュの厚手のエプロンといういでたちだった。
床が全体的に濡れているので掃除をしていたのだろう、裾からのぞく足元は素足のままだ。
どうしてか、すぐには言葉が出なかった。
単独での魔獣討伐で、思ったより感情が高ぶっていたのだろうか。あるいは眼前の村尾さんの姿に、それほどまでの安心感を覚えたということだろうか。
変に怪しまれないように
「……ただいま」
ともう一度、照れ笑いしながら言った。
スッと身を寄せてきた村尾さんは、自分の腕を掴んで軽く持ち上げる仕草で全身を素早く眺めてから
「大丈夫でしたか? 怪我とか、してませんか?」
と、心配そうな表情で、やや見上げるような角度で自分の顔を見て、尋ねた。
本当に心配してくれていたようだ。
「うん。大丈夫。全然」
そう答えた自分に
「そうですか……」
ホッとしたような表情でそう言ってから、視線を上げて
「よかった……」
そして
「――おかえりなさい」
溶けてしまいそうな笑顔で、そう言った。
自分はもう、
「……うん」
そう返すのがやっとだ。
「あ……え~と、床を磨いてるんだね。手伝うよ」
何とかそう言って、食卓の椅子に背負っていたリュックを置く。
「いえ。もうすぐ終わるので。相良くんはお部屋で休んでください」
何か言おうとした自分に
「たくさん疲れたでしょ?」
そう続ける。
「でも……村尾さんもこんな大掃除、疲れてるでしょ。手伝うよ」
「平気ですよ。掃除は好きなんです」
答えになっていないような気はするが、村尾さんが掃除好きらしいのはよく知っている。
この世界に突然転移させられてからというもの、二人とも時間的にも心理的にも余裕がなくて、ゆっくり掃除する機会はあまり持てていない。だから今日のような、掃除に専念できる時間は本当に楽しいのかもしれない。
「本当にいいの?」
「はい。大丈夫です」
確認する自分に、村尾さんは両手を後ろに組み、少し胸を反らせて笑顔で言った。裾からのぞく両足は小さく交差させている。
「……」
本当に楽しそうだ。
「うん。じゃあ、邪魔にならないように、部屋に行ってるね」
「はい。そうしてください。ちゃんと休んでくださいね」
あまり掃除の邪魔をしても悪いだろう。
椅子に置いた荷物を取って、2階奥の自分の部屋に向かう。
「……あ。今日はそう言えば、ブルーベアを狩れたよ」
もう少しだけ話をしたくて、今日の戦果の話をしてみる。
「え?」
村尾さんは少し目を見開いた。
「あの……一人の時は、無理しないでくださいね」
今は普通に倒せるようになったが、ブルーベアは過去に二人が命を落としかけた魔獣である。しかし倒して得られるものが大きいのも確かなので、村尾さんの反応も微妙だ。
「うん。無理はしてないから」
あまりいい話題ではなかったか。
「え~と、今日はこのあとお出かけ、でいいんだよね」
話題を変えてみる。
「はい! 相良くんが大丈夫なら」
今度は間違いなく嬉しそうな声だ。
「じゃあ、お掃除が終わって少し休んだら、出掛けようか」
「はい!」
村尾さんが嬉しそうに頷く。
今日はもともと、魔獣討伐は早めに切り上げて、貯まった素材をギルドに買い取ってもらいに行くついでに、街でいくつか店を見て回ろうと話していた。
元の世界とは品ぞろえも品質も比べられるものではないが、それでも買い物は楽しみらしい。
「そう言えば、相良くんお腹はすいてませんか? お掃除の後になるけど、休んでる間に何か用意しましょうか?」
こういう気配りが、自然にできてしまう人であることをもう知っている。今もたぶん、普通に言っているのだろう。
「ありがとう。でも大丈夫だよ。戻るときに、作ってもらったお弁当食べてから帰ってきたから」
「そうなんですね」
「うん。あ、ごめん。お弁当もすごく美味しかった」
今朝は彼女が、自分は行けないからと、カンパーニュにハムと野菜をサンドしたお弁当を作って、持たせてくれたのだ。
「それはよかったです」
村尾さんは満足そうに言う。
実際、彼女らしい丁寧な作りに真心も感じられて――
「……最高だった」
あれ。
声に出た?
彼女はふふっ、と笑って、
「それは言い過ぎです」
ちょっと照れくさそうに言った。
◇◇◇
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