白い影と黒い獣 2
ペルデの声が獣の後ろから聞こえてきた。
その声に反応したのか、爪の重さがわずかにゆるんだ。ルーチェはタイミングを逃さず、爪を受け流す。爪がビルの床に突き刺さった。獣の瞳孔が開いたのをルーチェはハッキリととらえる。
左手に力を込める。
ぐぎゅっ、という音が体の中で起こり、ルーチェの聴覚を刺激する。続いて、ルーチェの口の中に何かが上がってくる。
「げふっ」
胃から上がってきた空気が口から抜けていく。乾ききった胃酸の酸っぱい臭いが鼻を抜けていき、ルーチェはさらなる吐き気を感じる。
「ふーっ」
呼気を細く吐き出して、左手の中にあった床の欠片を獣にほうり投げる。
床の欠片はまばゆく光を放っていた。突然、その場に生まれ落ちたかのように。光が文字通り放物線を描きながら獣へと飛んでいく。
「グオオオォォォッ!」
獣が地に響きそうな声で雄叫びをあげながら後ろに下がった。その紅い双眼は強い光を間近でみたためか、瞳が細くなっていた。両前脚を顔の前で交差させ、光をさえぎろうとしていた。その動きはまるで両腕で防いでいるようにも見えた。
その隙を見逃さず、ルーチェは別の欠片を両前脚のすき間から、眼前に放りこむ。それに合わせてルーチェ自身は獣へと肉薄する。毛におおわれている腹部に向けてナイフを斬りつける。
「なっ!?」
ルーチェの口から思わず声が漏れだす。斬りつけたはずのナイフは、獣の毛の上を滑り、獣の体には届かなかった。まるで空振りをしたかのような姿勢になるルーチェ。斬りつけられたことを感じたのか、獣の両前脚が勢いよく振り下ろされてくる。
ドンッ。
獣の体重が床にぶつかった。ルーチェはその直前に獣のほうへと踏み込んだが、右腕だけ前脚の爪にひっかけられる。皮膚が裂け、血が溢れだす。ルーチェはその腕をいちべつだけして、転がりながらナイフを左手に持ち替えて獣から距離を空ける。しゃがんだ姿勢になってから、両足で無理矢理地面を蹴って後ろに下がる。ガラスの無くなった窓まで移動する。
「だ、大丈夫ですか?」
金の卵の男が声をかけてきた。四つ這いになりながら、ルーチェのほうを指さしていた。
獣のほうに目をやると、ピクリと耳が動いていた。獣のそばからバラバラの間隔で血のあとがついていた。右腕の傷から出た血もこすれたようなあとになっていて、新たな血がにじみ出ている。
「大丈夫! それより早く逃げて!」




