白い影と黒い獣
「い、犬? いや……」
エレベーターのドアの中から一匹の黒い犬が入り込んできた。明かりとなるのは廊下側からの光とわずかな街明かり。それらが入り込んできているだけ。ルーチェの目にもハッキリと見えているとは言いがたい。しかし、それでも犬の姿だということはルーチェにもわかる。しかも、犬にしてはあまりにも大きな体躯で、エレベーターの天井に背中の毛がこすれていた。ペルデよりも大きいその犬は最早、犬というより一匹の巨大な獣。
ルーチェの斜め前で金の卵の男が腰をぬかして地面に尻もちをついていた。その金の卵の男を視界の端に収めつつ、右手だけジャケットの中につっこんで、ナイフを鞘から抜く。ただし、ジャケットから出すことはしない。
獣の紅色の双眼がルーチェをとらえていた。ルーチェもまた、獣を見返す。
ゆっくりと獣が四足歩行でエレベーターから体をすべて出した。鉤づめが床に突き刺さった。床に亀裂が入り、小さな欠片が飛び散った。尻尾も長く、獣の胴の半分ほどまであった。びっしりと生え揃った毛は逆立ち、まるで威嚇でもしているようでもあった。
「ひ、ひぃっ!」
横から金の卵の男の悲鳴が聞こえた。逃げることもできずに、座り込んだまま動くこともできそうになかった。
一歩、獣が前に足を出した。それに合わせるように、ルーチェもナイフをジャケットから外へと出す。加えて一歩前に出る。互いの一撃が届くギリギリ外側でルーチェと獣はにらみ合う。ルーチェの手にわずかながら汗がにじんでくる。力を込めればすべり落ちてしまいそうになりながら、ルーチェはじっと獣の動きを見る。
獣の赤い瞳は確かにルーチェを見ていた。
ルーチェには獣の赤い瞳に反射しているものが見えている。両方ともルーチェが映っていた。が、左目の端には金の卵の男が映っていた。
「金の卵ぉ! どこに行きやがったぁッ!」
ペルデの怒鳴り声が飛び込んできた。
それを合図としたかのようにルーチェと獣が動き出す。
獣が前に出していた足が動き金の卵の男へと向かったと同時に、ルーチェは深く踏み込み、低い姿勢になりながら、金の卵の男の前に滑り込む。空いた左手で転がっていた床の欠片を握りこむ。
獣の鋭い爪とルーチェのナイフがぶつかる。硬質な音がエレベーターの前で響き渡った。
「くっ!」
ルーチェのナイフに獣の爪と重量がのせられる。踏み込んだ方の膝が床に着きそうになりながら、重さに耐える。ルーチェは目の前の獣以外に注意を払うことはできない。それほどの重さをナイフにのせられていた。
「こんなところに――って、なんだこの黒いのはッ!」




