66.5話 ノエル
花の魔女に命を救われたノエルは、彼女の従者として生きることに誇りを持っている。死ぬまでずっと魔女を支えて恩返しをしたい。
強大な力を持つ魔女だが、彼女はその力と引き換えに声を失っており、人と会話することはできない。しかしノエルには何となく彼女の伝えたいことが分かるため、仲介役として役に立つことができていた。
(これは多分、獣人としての勘の良さのおかげだ。俺は獣人でよかった)
魔族の従者になることが多かった獣人族。それは寿命の長さゆえか、人間らしからぬ生活をして人間としての常識から飛び出す者も少なくない魔族の行動を、察せる種族が獣人だったからだろう。
(俺は死ぬまで魔女さまの傍にいて、役に立つ。……それじゃだめなのかな)
ノエルの望みはただそれだけだ。しかし村で一人だけ生き延びたかもしれない自分は、子孫を残して血をつなぐという役割もある。
獣人は寿命が短いため、異人種と結婚することはあまりない。ビット村には同族はいないし、いつかは獣人を探しに行かなければならないのかもしれない。……花の魔女から、離れて。
(俺が子供で居られる時間はきっと、もうそんなに長くない。……大人になりたく、ないなぁ)
自分の体がどんどん大きくなっていく。魔女の役に立てるような、強い肉体になれることは嬉しい。しかし大人になるということは、子供とは違う責任や役割を考えるということでもある。
夜に自室で一人になると、魔女によく似た女神像を前にぐるぐると考えることが増えた。
「女神さま……俺はどうしたらいいんでしょう」
神を模した像は花の魔女によく似た微笑みのまま動かず、彼女と同じく何も語らない。……これはノエルが考えて決めなければならないことなのだ。
そんなある日、魔女は同族であるニコラウスの頼みを受けて、浄花を増やす仕事を始めた。この花は普通に増えることはなく、膨大な魔力を食らって増えるのだとダオンから聞いている。
魔女にとっても負担なはずだが、彼女は嫌な顔一つせず隣国の人々のために花を増やしていた。この人のように、誰かのために尽くせる立派な大人になりたい。ノエルはそう思いながらせっせと雑務を手伝った。
魔女の家の周辺は植物が多く、緑のにおいが濃い。だから「人」がくるとすぐに分かる。
(せっけんと……消毒液のにおい。あとちょっと……血とか動物の臭いもするような)
せっけんの香りを纏う人は多いが、消毒液や血のにおいがする人間は限られる。清潔に気を遣っていて、怪我をしやすい騎士団の人間で、この家を訪ねてくる相手となればレオハルトだろう。
魔女に声を掛けてから家の表へと向かうと、ちょうど扉をノックしようとしていた客人が振り返る。予想通り、隻眼の騎士レオハルトがそこにいた。
「ノエル殿、こんにちは」
「こんにちは。魔女さまにご用ですか?」
「大した用事ではありませんが……今朝は野鳥が捕れましたので、おすそ分けに」
「うわあ、立派な鴨ですね。ありがとうございます」
血の臭いはどうやらこの手土産から漂っていたものらしい。レオハルト自身も小さな怪我くらいはしているかもしれないが、いつも通り清潔で爽やかな香りがする。彼から悪臭が漂っていたのは、魔物の毒を浴びた帰りに遭遇した時くらい。
人には何かしらこだわりがあるもので、生活の仕方や食べるものなどでにおいが変わる。レオハルトは、ノエルが出会った人間の中では一番においの薄い人間だ。余程節制した生活を送っているに違いない。
そうしてレオハルトから鴨を受け取ったところで、魔女も川から戻ってきた。彼女からは花の香りしかしない、まるで花そのものが生きて動いているかのように感じることもある。……そんなことは、ありえないのだけれど。
「魔女さま、レオハルトさんからこちらの差し入れを頂きました」
貰った鴨を掲げると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。肉自体は食べずとも、煮込んだスープの汁は彼女も口にしてくれるし、ノエルも調理のしがいがある。
「魔女殿、こんにちは。……お元気そうで、よかった」
レオハルトは魔女に話しかける時、少しだけ表情が変わる。この違いに気づいている人間がどれほどいるのかは分からないが、彼にとって魔女は特別な存在だというのはそれだけで分かるのだ。……ノエルも同じだから。
そんなレオハルトの誘いに魔女は微笑んで頷いた。仕事の途中でお茶の誘いを受けるということは、魔女にとってはこちらが優先事項なのだ。
(もしかして……魔女さまにとってもレオハルトさんは特別、なのかな)
ちくりと胸の中にトゲが刺さったような気持ちで、ノエルはどこか逃げ出すようにその場を離れた。仕事をしていれば気が紛れるかもしれない。
しかし綺麗に鳥を捌いても、それを防腐の葉っぱに包み終えても、浄花を鉢に移し替える作業を再開しても、どこか沈んだ気持ちである。
(魔女さまを取られたくない……なんて、子供っぽいし、そんなこと思っちゃいけない。魔女さまは誰のものでもないんだから。それに……俺は獣人だ)
ノエルにとって魔女は特別な人だ。命の恩人で、敬愛する主人で、憧れの魔族。だからこそ決して並び立てるような存在ではない。
……獣人は、人間の中でも寿命の短い人種。長い時を生きる魔族と同じ時間を生きられない。獣人は絶対に魔族を好きになってはいけなかったと、大人たちもそう言っていた。
(俺が獣人じゃなかったら……は、考えるだけ無駄だ。俺は獣人だったから、従者にしてもらえたし役に立てる。種族の誇りは忘れない)
でもきっと、自分の気持ちは簡単に操れるものでもないのだ。体が大きくなって、もうしばらくすれば魔女を見上げるのではなく、見下ろせる背の高さにもなるだろう。視線が近づいていくことに少しだけドキドキする。しかしそれは、自分の時の流れが彼女と違うことの証明でもある。
……だから、この気持ちも風邪のような、一時的なものなのだ。いつかきっと治るし、飲み込めるようになる。
「ノエル殿、お疲れさまです。……失礼する前に、ノエル殿にも挨拶をと思ってきました」
「レオハルトさん……」
しばらく魔女と過ごしていたレオハルトは、帰る前に一言声をかけに来てくれた。子供相手でも律儀で誠実な人柄が、村人や他の騎士から慕われる理由であり、そして魔女が同族であるニコラウスを除いた人間の中で、最も親しくしている理由でもあるだろう。
「先ほども思いましたが、また大きくなりましたね」
「はい、俺は獣人なので……成長期が来たんだと思います。すぐに大きくなって……あっという間に……」
ノエルの時間はきっとレオハルトより短いだろう。言葉に詰まってうつむいていると、レオハルトが目の前にやってきてしゃがんだ。以前はそれで目線が合っていたが、今は見下ろす形になっている。それだけノエルの背が伸びた証だ。
「魔女殿は魔族ですから、私たちとは違います。……それでも、今共に過ごす時は大事にしているでしょう。それに、ノエル殿がいないと魔女殿は困ってしまうようですよ」
「……俺がいないと?」
「はい、お茶を淹れようとしてくださったのですが、少し慌てていらっしゃる様子でしたから」
普段はノエルがお茶も食事も用意するし、魔女は台所に立たない。きっとお茶の道具一式がどこにあるかわからなかったのだろう。
いつも余裕があり、穏やかな微笑みを浮かべる彼女が困ったように首を傾げる姿を想像して、ノエルは少しだけ笑った。……自分はどうやら、魔女の生活の一部になれていたようだ。
「よかった、少し元気が出たようですね。……先ほどは、誤解をさせてしまったかと思いまして」
「……えっと……」
「私もノエル殿と同じです。ただ、この身を尽くして支えたいだけ。……私は戻ってこられなくなることがあるかもしれませんが、最期まで騎士としてできることをするつもりです」
……どうやらノエルの勘違いだったらしい。声のない魔女とは会話ができないのに、それでも二人でお茶の約束をするくらい特別なのかと思ったが、そういう訳ではない。何故なら魔女からすれば、レオハルトもノエルも同じ時間を生きられない者だから。
そして何より、騎士であるレオハルトは突然命を落とすかもしれない。もしかしたらノエルよりも早いかもしれない。それをちゃんと理解している、そういう意味に聞こえた。
「……俺も最後まで、魔女さまのためにできることを、します」
「それなら私たちは同志ですね。……一緒に頑張りましょう」
立ち上がったレオハルトが拳をそっと突き出した。ノエルもそこに自分の拳を軽くぶつけて応え、だんだんと湧き上がるやる気に尻尾が揺れる。
「じゃあ俺、魔女さまのところに戻ります!」
「ええ。ではまた」
笑顔で見送られ、家まで軽い足取りで戻った。玄関を開けると魔女はポットと浄花の茶葉を手にしていて、戻ったノエルを見てにっこりと笑う。……もしかして、ノエルにお茶を淹れてほしいと思って待っていたのかもしれない。
「お茶を淹れましょうか?」
彼女は穏やかに微笑みながら頷いた。……どうやら、ノエルは魔女に必要とされているらしい。それが誇らしくて嬉しかった。
もしかして、ノエルが一番精神年齢高いのでは…?
五百歳より大人かもしれない、がんばって五百歳
章を区切るのを忘れていたんですよね…ということで章を追加して、ここまでを四章にしました。
三章の終わりは「52話 レオハルト」になります、位置は目次をご参照ください。
次から五章です…!後生だからすっかり忘れていたことを許してください。




