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エピローグ

 リクはデイパック一つを肩に下げ、宇宙エレベーターの駅にいた。月軌道上のステーションから地球軌道上のステーションISSホーキング行きのルナ・ライナーに乗る。

 あの一連の騒動が収まってから時を経ずして辞令が出た。異動先はホーキング。出張所長補佐というのが新たな職名だった。

「月コロニーの危機を救った英雄に対して何という人事でしょうか。私には納得がいきません」

 異動の話を伝えると、ハマダさんは自分のことのように憤慨してくれた。一応昇任がらみではあったが、月からISSではとても栄転とは言えない。

「事態は収めることができましたが、保秘義務違反を随分とやらかしましたからね。監察官からは相当絞られました」

「ですが、その決断があったからこそ、あの危機を乗り越えられたのでしょう。お一人だけでというのは土台無理だったのです。あのままだったら、恐らく今の月コロニーはありません」

 リクだって、この異動を伝えられた時は怒りに身が震えた。着任してからもうすぐ1年が経つ。その間、たった一人の潜入任務で、どれほど神経をすり減らしたことか。多少のルール違反はあったが、最終的には「ルナ」の危機を回避し、容疑者も逮捕できた。それなのに、この仕打ちだ。ハマダさんにこの異動を打ち明ける時でさえ、憤懣が胸の奥底でドロドロと渦巻いていた。辞職すら考えていた。

 だが、目の前で自分のことのように憤っているハマダさんを見ていると、リクは胸の中で、氷が融けるように怒りが和らいでいくのを感じた。

<分かってくれる人がいればいい>

 リクはそう思った。


「どこの組織でもそうですが、上は現場のことが分かっていないものです」

 ハマダさんはまだ悔しそうな顔つきをしている。リクは続けた。

「でも、ハマダさんは違いますね」

 ハマダさんは何も言わずに、リクの瞳をじっと見つめた。

「社員のことをとても大切にしている。いつまでもそうあってください。私は忘れません。あなたのような方が月コロニーにいることを」

 そう言ってリクは右手を差し出した。ハマダさんはいつもの柔らかい笑顔を浮かべて、その手をがっしりと握った。

「タカシマさんにもよろしくお伝えください。彼女には本当に迷惑をかけてしまいました。事件後に何十枚もの秘密保持契約書にサインをさせてしまった。全て私の責任です」

「お気になさらないでください。ああ見えてもタカシマは度胸が据わった冒険好きな女の子です。今回の事件も彼女にとっては楽しい記憶となって残っているはずですよ」

「そうだと良いのですが…」

「何ならタカシマの記憶をトレースしてみますか」

「冗談はやめてください」

 リクは笑った。

「僕に対する彼女の評価を、僕自身で体験するなんて、想像するだけでも恐ろしい」

 ハマダさんは握った手に力を込めた。

「それは心配する必要がないと思いますよ。タカシマはホーキングに遊びに行きたいと言っていました」

「それならうれしい」


 リクが目を細めた瞬間、手首の通信デバイスが振動した。メールの着信通知だった。発信者はナカモトだった。

<「ルナ防衛」での共同戦線の勝利を祝します。ご協力に深く感謝致します。タカシマ・レイ(コードネームR13)とともに心よりのお礼を申し上げます。またお目にかかる機会がありますように>

 レイがR13、ナカモトの仲間…リクは混乱した。しかし、すぐに全てを理解した。

 だからナカモトはレイが失踪したと告げたとき、あんなに激しく動揺したのだ。敵のAIに対抗するプログラムをあれだけ短時間で構築できたのも、暗号資産の仕組みに精通していたからだったのか。リクはしばらく茫然とした後、声を上げて笑った。

<ハマダさんを月に導いた協力者というのもレイだったんだ>

 自分もハマダさんさえもすっかりだまされた。当然タカシマ・レイという名前も本名ではないだろう。リクは自分の迂闊さに対する叱責と同時に、鮮やかともいえるレイの行動に感嘆した。そして、改めてナカモトの組織の強大さとメンバーの有能さを実感し、なぜだか笑うことしかできなかった。

 握手の手を離さないまま笑い続けるリクをハマダさんが不思議そうな表情で見つめていた。


 また、リクはこうも確信した。

<ナカモトは自分を信頼している>

 レイがR13、つまりナカモトの仲間であることを明かしたのは、リクがこの短いメッセージで全てを理解し、絶対にこのことを他に漏らさないと信じたからなのだ。取引所でたった一人、ルナを管理しているナカモトの姿と、たった一人で潜入任務を続けていた自分を重ね合わせながら、リクは彼との間に築かれた信頼の確かさを想い、胸を熱くした。

 しかし、とても残念なことにも気付いた。もうレイには会えないだろうということだ。仲間にさえ本名を明かさないくらいガードを固めている組織なのだ。本名がどうあれ、身分を明かしたということは、二度と会うなという通告のはず。ホーキングに遊びにいきたいというのはレイの本音なのかもしれないが、それが実現することはないだろう。リクの脳裏にレイの美しい指の動きとさわやかな笑顔が浮かんだ。


 アナウンスがルナ・ライナー駅への軌道エレベーターの出発時間を告げた。

「それではもう行かないと」

 リクは握った右手を離した。名残惜しかった。

 そうだ、月の生活で信頼を築けた人がもう一人いた。ハマダさん。彼がいなければ、ナカモトやタカシマ・レイと出会うことができなかった。この作戦は発動しなかったし、ルナは失われ月世界は大混乱に陥っていただろう。

「いつまでもお元気で、カワダ様」

 ハマダさんはリクの目をじっと見ながら言った。結局、この作戦はハマダさんが要だったのだ。

「もう仮名を使う必要はありませんね。私の本名はキズミ・リクです。ハマダさん、本当にお世話になりました。いくら感謝してもしきれない」

 言葉はありきたりだったが、リクは万感を込めて感謝を伝えた。しかし、ハマダさんはいつもの柔和な笑顔で答えた。それは毎日、コンシェルジュとして接していたときと変わらぬ佇まいだった。

「このような意義のある戦いの末席に加えていただき光栄でございました。またお会いできる日を楽しみにしております。キズミ様」


(了)


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